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13 勝軍地蔵 歴史を振り返る

根津治山は、もともと厳しい修行の場だった――つまり、山伏たちが飛び回っていたってこと。聖観音菩薩(ひじりかんのんぼさつ)を安置した根津治寺がたてられたのは七〇〇年代。

「観音堂には、本尊である聖観音のほか、十一面観音と勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)が安置されていた。」という一文を見たときは、お地蔵様が「これがわれじゃ」と得意げに言った。

戦国時代には、弓や刀の難を逃れるご利益がいちばん強いとされ、武将や大名からの刀剣類の寄進がたくさんあったという。


 明治になって、ごたごたが起った。お地蔵様(つまり勝軍地蔵ね)はもともと戦いの神様で血気盛んだったけど、決着がつかないごたごたがだんだんいやになり、勝手に自分で三叉路(さんさろ)にワープしちゃったんだって。時空のひずみが大きくなっていっていることは以前から気になっていたし、山から遠く離れるのもいやだったんだって。あとで、三叉路にいるお地蔵様を見つけてびっくりした僧侶(そうりょ)が、もとに戻しても、お地蔵様はそのたび、翌日には消え、三叉路におられるので、きっとお考えがあるのだろうと、僧侶たちもついに諦めて小さなお堂をたててくれたんだって。


時とともに、根津治寺と勝軍地蔵とのつながりも人びとの間で忘れられていき、道路工事でお地蔵様は邪魔(じゃま)扱いされた。手に負えなくなった工事業者は、お地蔵様を鞘堂(さやどう)に入れた……。といういきさつ。


それから時が流れて――自分をわかってくれる人を見つけるのに時間がかかって――今、私が関わることになった。まさかこんなふうになるなんて。常夜灯にふと気づいてから、お地蔵様に出会って、世界が一変した。ほかの人にとってはどうでもいいことかもしれないけれど、私のすぐそばに不思議があって、どんどん大きく、広がっていっている。毎日が興奮の連続だった。


話す口実があるので、同好会の日はずっと、津島君と取材の打ち合わせができた。調べたことをおたがいに言い合って、メモをとる。マップに何を入れ込むかという仕上げのほうも考えなくちゃいけない。話すことといえば、根津治(ねづち)のことだけだけど(それ以外の話を津島君はしゃべらない)、津島君とおしゃべりするってことに、私は抵抗がなくなっていった。はじめはしどろもどろだったけど、慣れっていうのはすごいね。


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