12 二人で動かなければ意味がない
西部に残っている常夜灯は二十灯あまり。東部の五分の一だ。本当に少ない。一日いくつ回れるだろう? 五つずつ回って四日。七つずつ回って三日か。津島君は、西部の地図を持参していて、住所から、ひとつひとつの常夜灯の場所を確認して、赤い点を打っていた。無駄がないというか、しっかりしすぎているのは中学生とは思えない。実は年齢をさばよんでるのかも。
「津島君は、取材にどれだけかけられる? 一日十灯回れば、二日で終わるけど、ごめん、あたし、両親がほとんど家にいないから、家事をやらなくちゃいけないんだ。妹の世話もあるし、丸一日家を空けることは無理だと思うの。午前中だけ、とか、午後だけ、とかの時間を使うことになるから、四、五日はかかっちゃう……」
私の事情に、津島君は意外だという顔をしたが、そのあと「かまわないよ」と無表情に言い、
「手分けして、あとから情報をくっつけてもいいし……」
と、付け加えた。
えー、それはだめ! お地蔵様のこと話すタイミングがへる! 私がもぞもぞしていると、
「でも、常夜灯は高さがあるし、一人で測るのは大変だからな……情報が食い違うこともあるから、やっぱり二人で行ったほうが合理的だろう」
津島君は一人で結論を出した。なにはともあれ、ほっとする。
あとは二人のスケジュールを合わせるだけだと思いきや、重大なことを思い出した。鞘堂に鍵がかかっているということ。鍵をあけてもらわなければ、常夜灯の写真を撮ることができない。私がそのことを話すと、鍵のことまでは気がつかなかったらしく、津島君は「う~ん……」と、うなった。
一覧を見ると、ほとんどの常夜灯の管理は、自治会がしていた。二十のうち、鞘堂のないものは五灯、残り十五灯は鞘堂がついていた(つまり鍵がかかっていた)。
顧問の細江先生に相談すると、先生から電話をかけてくれることになった。翌週、どの自治会の会長も、こころよく鍵を開けてくださることに同意してくれたとの結果がきて、胸をなでおろす。私と津島君は、常夜灯をめぐる日時とルートを決め、先生に渡した。私が午前か午後しか時間がとれないので、取材期間は五日間になった。
津島君に負けじと、私は図書館に行って、資料を探した。常夜灯だけについて書いた本はなかったが、根津治山信仰や、根津治寺に関する郷土資料はたくさんあり、これまでの歴史を知ることができた。読んでいる間、お地蔵様は私のそばでこれは違う、これはなつかしい、などと言い、書かれていない事実や背景も教えてくれた。生の歴史授業!退屈など無縁だった。