別れと旅立ち
令和2年9月16日
加筆訂正を行いましたが、内容に変更はありません。
令和5年1月23日(月)
若干の表現を変えましたが、内容に変更はありません。
なぜ女だけ貞淑を求められるのだろう。なぜ女だけ我慢しなければならないのだろう。どうして男に従い、逆らわないことがよしとされているのだろう。
男は浮気をしても咎められない。むしろ勲章を見せ合い、自慢げに称えあう姿を何度見たことか。多くの女性を囲えることは金持ちの証とはいえ、他にお金の使い道ならいくらもあろうに……。なぜ『妻』をかなしませる道を選ぶのか。
そして当主であろうと女であれば、夫以外の男性と噂になろうものなら、ふしだらと蔑んだ目を向けられる。性別が異なるだけで、なぜこうも違うのか。前なら気にしていなかったことが、今では気になり我慢ならない。
夫であるサートは他の男とは違うと信じていた。幼い頃より婚約を結び、互いに思い合い、愛し合っていると思っていたから。ただそれだけで盲目的に信じていたのだが、それは私の一方的な考えだったらしい。
「ジェーン様、新しいお花はどうされますか?」
実家で暮らしていた頃より私に仕えてくれているリッテの声を聞きながら、枯れ始めた花に触れる。
「そうね……。お客様をお呼びする訳でもないし……。手入れも大変だから新しい花は用意しなくて良いわ。ついでに全ての花も撤去しましょう」
「かしこまりました」
すっかり人がいなくなった本邸。義理の両親である当主夫妻も夫も、敷地内の離れで暮らし始めて幾日過ぎただろう。
この家のお金を管理しているのは私ではない。頼んでも恵んでもらえないので持参金を崩し、本邸での暮らしを維持させている訳だけれど……。
お金には限度があるので節約のため二人だけを残し、他の使用人は全員暇を出した。
本邸に残ったのは私とリッテ、その夫であるパデラだけ。リッテは絶対に私のもとを去らないと言い張った。その理由は数年前に亡くなった彼女の母親が私の乳母であったため、私たちは互いを姉妹のように思っているから。家族を見捨てられないと言われ、その言葉に甘えている。
「三人住まいには広すぎる屋敷だし限界もあるから、完璧な維持は諦めましょう。自分たちのエリアだけ清潔を保てばいいわ。私も余った使用人部屋に移動するから、そうすればあの豪華な部屋を掃除する手間が省けるでしょう」
必要最低限なものを運び、屋敷の片隅三人で暮らす。
離れの別邸にはここにいた使用人や料理人たち、皆が移動して今ごろ賑やかに楽しく暮らしている。それに比べ私たちは静かだ。でも仲は良く穏やかで、少し前までに比べ居心地の良い空間となっている。
それでも私を悩ますモノはある。
「ジェーン様、サート様から花の贈り物です」
「捨てておいてちょうだい」
「メッセージカードも付いております」
一応内容には目を通すが、すぐにかまどへ投げ入れる。
毎回『私の気持ちは変わっていない』、『愛している』といった言葉ばかりつづられ、疑わしい内容にまたかと辟易している。
夫は数日おきに花とカードを届けてくるが、それがなんだというのだろう。花は見て愛でるもの、空腹を満たすことはできない。どうせ寄越すなら花ではなく食材にしてほしい。
昔、彼が王子殿下の留学に従い国を数年離れている間、不安はなかった。あの頃は彼を信じていたから。それに彼も……。
「浮気などしない、愛しているのは君だけだ」
そう言って旅立った。当時はそれだけで信頼しており、十分だった。さらには後々……。
「仕事柄、君にも他言できないことがある。不安にさせることがあると思うので、そういった時はいつか説明すると言う。それが合図だと分かってほしい」
王子の側近に選ばれたからこそ、他言できない情報を抱えることもあるので承知した。現にこれまで何度かそう言われたことがある。
「いつか説明する」
そんな時は今抱えているのは他言できない仕事だと納得し、私も詳しく尋ねないよう気をつけていた。
「なにがあっても君を守るよ」
結婚前に優しく言ってくれた甘い記憶も色褪せ、今では思い出したくもない。なぜあれらの言葉を疑わなかったのだろう。
サートと結婚して三年。子宝に恵まれず焦る私に彼は、『子は天からの授かりものだから焦ることはない』と言ってくれていた。彼がそう言ってくれるだけで、どれだけ救いになっていたことか……。
なにしろ舅と姑からの早く子を成せという圧力が凄まじかったから、一人でも味方が多い状態がどれほど頼もしかったか……。それなのに……。
「今日から一緒に暮らすことになったピカロとリダ、それからコルデ殿だ」
ある日、突然サートが女性と二人の子どもを連れ帰宅した。
「その三人とお前は、どういう関係なのだ?」
舅の質問は当然で、私もその答えを知りたかった。
「……コルデ殿は留学先で知り合った女性で……。二人は彼女の子で……」
一歳違いの姉弟。年齢からサートが留学中に妊娠している子たちだった。それで皆察した。この二人はサートとコルデ様の間に生まれた子なのだと……。
信じていた世界が一瞬で崩れた。黙って早足で部屋へ向かう。とてもまともに三人を正視できなかった。そんな私を彼は追ってくると腕を掴んできた。その手を振り払い、涙を浮かべながら大声を上げる。彼に対し怒鳴ったのはこれが初めてだった。
「どういうこと⁉ 浮気をしないと言ったのに! 嘘だったの⁉」
「落ちついてくれ、ジェーン」
「これが落ちついていられるものですか! あの二人はあなたの子なの⁉」
「私を信じてほしい」
「信じてって……」
なにを言っているの? 意味が分からなかった。
それは質問に対する答えではない。あの姉弟があなたの子か否かそれを知りたいだけなのに、なぜ答えてくれないの?
「突然ごめんなさい、ジェーン様。驚かれたことでしょうが、しばらくお世話になります」
言い争っている中割りこんできた私より年上のコルデ様が、頭を下げる。
サートは姉弟を自分の子どもだと否定しない。それが答えなのだろう。ずっと信じていたのに……。この人は他の男性と違うと信じていたのに……。それなのに……。
裏腹に舅と姑は孫二人の登場に大喜びした。
「ああ、なんて可愛いんだ」
「本当、サートが子どもの頃を思い出しますわね」
まだ子どもを生んでいない私はこの日を境に、ますます肩身が狭くなった。
舅たちは二人の子どもを連れては出掛け、行く先々で孫だと紹介し嬉しそう。それに比例するよう、私への当たりは厳しさを増す。
ある朝、朝食を取るため、いつものように席へ着くと……。
「居候のくせに図々しいこと。当然のように朝食をいただこうなんて、なんてさもしい女なのかしら」
その姑の言葉に耐えられず、食堂を飛び出した。
以来彼らと食堂で食事を取ることを避けた。使用人たちの会話から、舅たちもそれを喜んでいると知る。
居候呼ばわりされて以来、リッテが部屋に運んでくれる質素な食事を平らげる。夫であり味方であったはずのサートは食堂で皆と一緒に過ごしている。ねえ、あなた。この状況をなんとも思わないの?
それなのにある日、サートが尋ねてきた。
「どうして最近、食堂へ顔を出さない。部屋に閉じこもってばかりと聞くが、調子でも悪いのか?」
この時、どんな顔をしたのか自分では分からない。死んだ目で口だけ弧を描いたのかもしれない。ただ彼の言葉が信じられなかった。どうして? 皆が私の同席を望んでいないからよ? なぜそんな当たり前のことを尋ねてくるの?
「……どうして私が家族団らんの場へ顔を出せましょう」
「君も家族じゃないか」
「まさか……。お義父様たちだって望んでなく……。お義母様も私のことを、いそ」
どんどん声が小さくなる反論を、彼は一方的に決めつける大きな声で覆ってきた。
「父から君が三人を気に入っていないと聞いている。気持ちは分かるが、なにも心配をすることはないだろう? 少しは君も皆と打ち解けようとしてはどうだい?」
本気で言っているのだろうか、我が耳を疑った。
指先まで冷えた体温で、この人は仕事に出かけている間、私がどう過ごし扱われているのか知らないのだと理解した。つまり私に興味がない。舅たちの言い分だけを信じ、私から皆と親しくするのを拒んでいると本気で思っている。
ねえ、どうして私の言葉を遮ったの? どうして私の話を聞いてくれないの? 私を守ると約束してくれたあなたは一体どこへ消えたの?
……もうなにを言っても無駄なのだと、涙さえ出なかった。
最近は軽い朝食を食べ終えると夕刻まで公園や図書館で過ごす。そんな私の姿を目撃している人は多いが、コルデ様たちの件から私の置かれている状況を察してくれているのだろう。遠目で同情心と好奇心の眼差しを向けてくるが、話しかけてくる者はいない。
友と呼んでいた女性たちもどう扱っていいのか困り、対応にあぐねいている様子で最近は連絡を取っていない。
三年経っても子が生まれない中で、サートの子どもとその母親が現れた。末路は見えている……。そう、離婚される未来。
実家もそんな娘が恥なのだろう、助けようとしてくれない。心配してくれるのは、リッテとパデラだけ。
「おやおや、美しい女性が一人沈んでどうされた」
ある日、いつものように公園のベンチで腰かけていると、陽気に話しかけてくる男が現れた。
「トゥロ様」
昔から数々の女性との浮名が絶えず流れてくるトゥロ様は了承を得ることなく、隣に腰を下ろしてきた。
「いや、答えを聞かなくとも分かっていますけれどね。今ではサートが留学先で関係を結んだ女性を呼び寄せ、二人の間に生まれた子どもとも一緒に暮らし始めたことは有名な話。同時に、あなたとサートが離婚するのも時間の問題だとも。いや、真面目な男だったので意外ですよ」
長い足を組み、正直に言ってくる。でも下手に誤魔化し、私の機嫌をうかがうよりましだとつい笑う。
「正直ですわね」
「誤魔化しや上辺だけの慰めが欲しかった?」
「いいえ」
女性関係の噂が派手で、今も独身を謳歌されているトゥロ様。女性の扱いに慣れているその軽さが、今は私の心も軽くしてくれる。
それからトゥロ様と公園で過ごす日が増えた。
私が女好きのトゥロ様に慰められ、なびくのではと噂になり始めたとリッテ経由で知ったが、屋敷に居場所はなく、離婚秒読みの私には彼との時間が慰め。醜聞など、どうでも良かった。
どうせ実家にも帰れず市井で生きるしかない。リッテがそうなったら一緒に暮らそうと誘ってくれたのは嬉しい。しかしいつまでも二人に甘えられない。本気で将来を考えなくては……。
そう思うのにトゥロ様と話していると、そちらに夢中になる。
彼は時々菓子などを持ってきてくれ、口にすれば久しぶりに美味しいという思いが湧く。誰かと美味しさを共有するのは久しぶりのことなので、嬉しくなる。リッテとパデラ以外の人に対し、嬉しいと思える日が訪れるなんて……。
そんな幸福も味わっているのでトゥロ様と会っている間、自然と笑顔が戻る。だけど帰宅すれば息苦しく、表情は消える。それに気がついているのは、やはりリッテとパデラだけ。
「最近トゥロと逢瀬を重ねているそうじゃないか。どういうことだ、奴の不評は君も知っているだろう? まさか奴と本当に不貞を働いているのか?」
ある晩、帰宅したサートが苛つき責めるように尋ねてきた。
「君は私の妻だぞ? 世間から浮気者と馬鹿にされたいのか?」
「……構いません。どうせあなたとは離婚秒読みの関係なのですから」
女の身で言い返すなどとんでもない話だが、どうでもよくなっていたからか、つい本音が口を出た。
「はっ、なにを言って……」
サートをよどんだ目で、じっと見つめる。
「ご存知ありませんの? 私とあなたの離婚はもうすぐだという噂を。そしてあなたとコルデ様が再婚されるという噂も」
「私にそんな気はないし、そんなことはあり得ない」
「ではずっと妻と恋人、二人の女性と暮らし続けると?」
「そうではない!」
「お父様ぁ」
ノックもせず姉弟が部屋に入ってくると、サートに駆け寄る。
「いつまでお話されているの? 早く戻って来て」
「おじい様とおばあ様もお待ちですわ。お父様も早く一緒にカード遊びしましょう?」
サートの手を掴む二人の視界に私の姿はない。サートだけを見て、彼だけを求めている。
「……可愛いお子たちがお待ちです。早く行って差し上げて下さい」
「ジェーン、噂は所詮噂だ。どうか信じてくれ、私の気持ちに変わりはないと」
「………………」
二人に手を引かれ、サートは去った。
……どうして君も一緒にと誘ってくれないのかしら。なぜこの場にいないのかとばかり尋ねてくるのかしら。君も一緒に。ただその一言が欲しいのに……。あの人も結局皆と同じで、私だけを置き去りにする。それでなにを信じればいいの?
言葉だけでなく、態度を示してほしかった……。
どれだけの言葉を呑みこんできただろう。先ほどの口答えだって、呑みこんできた言葉に比べれば比較にもならない小さなもの。それに噂は所詮噂だと言うのなら、なぜあなたはそれを信じ責めてくるの? どうして信じてくれず、私だけ我慢しなければならないの?
それから間もなくなぜかコルデ様たち親子は離れで暮らすことになった。よほど三人が大切なのか警備兵まで用意され……。
寂しくなった当主夫妻は追いかけるように使用人たちを連れ、離れへ引っ越した。
「……これではどちらが本邸か分からないわね」
人気のなくなった本邸で皮肉をこめ呟く。
サートは寝泊りを離れで行っている。その上で花束を贈ってきて、同封されたカードに白々しい言葉を並べている。どうしてこんな状態でカードに書かれた言葉を信じると思っているのかしら。もうあの人が理解できない。
そして今日もカードをかまどへ放る。
「今ではここを訪れる客もあなただけよ、トゥロ様」
「そうだろうね、他の客人は当主夫妻のいる離れを訪れるから」
「あなたはよろしいの?」
「私が会いに来たのは君だから」
「またそんなことを……。今まで何人の方に同じ言葉を吐かれたのかしら」
不要な品を贈ってくる夫と違い、トゥロ様は数日おきに訪問したついでだと食材を差し入れてくれる。三人になったとはいえ限りある財源の中での差し入れは、命綱となっている。
「トゥロ様が女性に人気な理由、なんとなく分かってきましたわ」
「おや、やっとですか。そうですね、あなたはこれまでサートばかりで他の男を知ろうとしなかったから」
「そうですわね。女性は貞淑を求められ、私は彼を愛していたので……。だから他の男性は眼中にありませんでした」
「今は?」
答えず微笑みだけを返した。
「最近よくここへトゥロを招いているそうじゃないか」
珍しく本邸に足を運んできたサートが、玄関先で怒りの形相で詰め寄ってきた。
「彼とは友人になりましたの。商売のため、外国の品々を買付に行かれる話を聞いていると面白くて、つい夢中になって話しこみ、あっという間に楽しい時間が過ぎます」
「分かっているのか、君は私の妻なんだぞ? それなのに他の男を招き入れ二人きりになって……。嘲笑の的になっていると知らないのか?」
嘲笑の的になっているのはトゥロ様とのことだけが問題ではない。それをこの人は分かっていないのね……。離婚されぬまま放置された哀れな女。人はそんな他人の不幸が面白いのよ?
「妻が嘲笑の的になっているのが我慢ならないのですか?」
「当然だ、君だって嫌だろう?」
昔は互いの気持ちを思いやっていたはずなのに、今は噛みあわない会話で苛立ちを覚える。あの三人が現れてから全てが狂い始めた。いえ、現実が露見されただけなのかもしれない。
「お話はそれだけですか? 用件がお済みでしたらお帰り下さい。お子様たちがお待ちですわよ」
「はあ……。なぜ君だけここへ留まる」
くすりと笑う。嫌味を吐かずにはいられなかった。
「本邸を留守にさせる訳にはなりませんし、望まれていませんので。……いえ、今はこちらが別邸でしょうね、それも本邸より豪華な」
「信じてほしい、ジェーン。私が愛しているのは君だ」
帰り際にそんなことを言われても心に響かず、耳を素通りしただけ。
時々あの姉弟が来ては本邸を荒らして去っていく。まるで嵐のよう。本人たちは探検ごっこと言っているが、花瓶を割ったりカーテンを破いたり、ただ暴れているだけ。だけど私は咎めない。ついには絵画に落書きを始め、さすがに呆れる。巨匠の名作もこれでは台無しね。
コルデ様が二人を追いかけて来ては注意しているけれど、二人とも言うことを聞かない。普段どれだけ甘やかされているのか、よく分かる。立ち会う警備兵は論外で、顔をしかめるだけで忠告を行わない。どうらやら私と同じく、護衛だけが仕事と割り切っているらしい。
「やれやれ、とんだ子どもたちだな。しかも後片付けは無視ときたか」
散らばった花瓶の欠片を前にトゥロ様は苦笑いを浮かべる。
「仕方ないか、こういうのは使用人の仕事。自分たちで片付けることはない。だけど物を大切に扱えと教えてもらっていないのかね、あの子たちは。他人の物を壊すのも良くないとも。そういう当たり前の常識を教えてもらっていないとは、かわいそうだな」
トゥロ様が夫人方から仕入れた情報によると別邸でも二人は我が儘を言い、暴れては物を壊しているが、それを当主夫妻は許しているらしい。
とにかく孫が可愛くて仕方ないのだろう。でもトゥロ様の言う通り、なにが良くて駄目なのか分からないまま成長するのは本人たちにとって良いことではない。
だけど私には二人をどうこうできない。だって私はこの家の者と認められていないから、二人の躾けに口出しはできない。そんなことをすれば、より舅の怒りを買うだけ。
リッテにはきちんと掃除せず放置しておけと言う。そうすればあの二人も破片が散らばり汚れたままの場所には近寄らないので、これ以上被害が広がらない。
「しばらく国を離れることになった、新しい取引先との契約を交わしに外国へ向かう」
「それではしばらくお会いできませんわね、話し相手がいなくなるのは寂しいことです」
「離婚するなら君も一緒に来ないか? この家に縛られている必要はないだろう?」
「またそんなことを……。ふふっ、そう言って何人の女性をたぶらかしてきたのかしら」
「私は本気ですよ、昔から君のことを見つめていた。だが君はサートしか眼中になく、私の気持ちに少しも気がついてくれなかった。だからこの状況を利用し君に近づいた。他の女など誰も君の代わりになれないし、特別な感情も湧かない」
本気だろうか。
だけど私を真っ直ぐ見つめるその目に偽りはないように感じた。突然の告白に動揺し、慌てて紅茶を口にする間、久しぶりに顔が火照っていた。
「ジェーン様、来週城で大切なパーティーが行われるそうなので、準備をしておくようにとサート様から達しが届きました」
「そう」
城でのパーティーなら夫婦で出席するしかないだろう。
移動直後より別邸の使用人に言われては、当主夫妻が必要な物をリッテたちが別邸へ運んでいる。今回も命じられたドレスや勲章等を運び、私もすっかり埃臭くなった部屋からドレスを出し、パーティーへの準備を始める。
当日リッテの手により着飾られた私は一人、城へ向かう。サートとは城で落ち合う約束だ。彼は用事があるからと一足先に出発している。舅と姑とは違う馬車で誰とも会話することなく、ただ馬車に揺られ会場へ向かう。
国王陛下の挨拶が始まり、サートの名が呼ばれる。
「長きに渡る任務、苦労であった。外国の王家の血を引く者が命を狙われており、その者たちを匿ってくれていた礼を述べる。かの国王も家族を大切にもてなしてくれたと喜んでおられる」
実はコルデ様は若いころからサートたちの留学先だった国の国王の愛人で、本妻である王妃から親子共々命を狙われ、この国で匿われていたのだ。この情報が公開されたのは王妃が急な病気により亡くなり危険が去ったので、三人とも国へ帰ることになったからと説明される。
「そんな……」
すっかり孫だと信じていた舅たちの落胆ぶりは凄まじかった。二人とも呆然と三人を迎えにきた国王とコルデ様たちを見つめている。哀れすぎて逆に誰も慰められないでいる。
コルデ様からこれまで世話になった礼を言われたが、私は彼女に礼を言われるようなことをなにもしていない。
目くらましのため姉弟に、サートを父親と呼ぶように言い聞かせていたので申し訳なかったと謝られたが、どうでも良かった。
離婚秒読みと噂していた皆は私たち夫婦に興味津々といった所だが、それらの視線を無視して無言を貫いた。これまで傍観していた家族が良かった良かった。そう声をかけてきたが、なにが良かったのだろう。
「これまで真実を話せず、すまなかった」
帰りの馬車の中でサートに謝られるが、答えなかった。それで会話は終了し互いに沈黙したまま馬車は進む。サートはこちらの様子を窺いつつ声をかける機会を探っているようだが、伏し目のままで彼に機会を与えなかった。
やがて屋敷の敷地内に入る直前、御者に停まるようお願いし、やっと顔を上げる。
「あなたの仕事柄、他言できないことがあると分かって結婚しました。今はまだ説明できないと私へ伝えると約束したことをお忘れになられ、残念です。コルデ様たちがいらしてから、私があなたのご両親からどのような態度や言葉を投げられたかご存知? 私、居候呼ばわりされましたの。私を守ると約束してくれたのに、本邸で二人の使用人だけと暮らす生活を見過ごされ、あなたのなにをこれから信じれば良いのでしょう」
「二人だけ? そんな馬鹿な。私はちゃんと君の世話をするよう、使用人たちに命じていたぞ?」
「誰も本邸に訪れることはありませんでした、そう、トゥロ様以外。他の使用人はなにかあれば私の使用人に命じ用件を済ませ、本邸へ一歩も入ろうとしませんでしたから。それに生活費も渡されなかったので、食費もなにもかも持参金を切り崩し生活しておりました。食材を差し入れてくれていたトゥロ様がいなければ、とっくの昔にお金が底をつき餓死していたかもしれません」
私の告白が意外だったのか、サートがまさかと呟く。
「いつもあなたは玄関先で話すばかりで、私がどんな生活を送っているのか知ろうとしなかった。陛下から客人を守るよう命じられていたのでしょうが、その間、あなたの中に私はいましたか? 私を見ようとしないあなたに事実を伝える気になれなかった。全てどうでもよく思え……。ああ、そうでした。あの姉弟が本邸で探検ごっこと称し、いろいろな物を壊しましたが三人では片付けが追いつかず、放置しております。申し訳ございません」
「壊した? 本邸でも? そんな話、コルデ殿から聞いていないぞ?」
……あの方も大した女ね。不都合なことは伏せ、後始末せず国へ帰るなんて。どうりで式を終えるなり慌てるように出立し、謝罪の言葉にも心がこもっていなかったはずだわ。
そんなことを思いながら結婚指輪を外し、サートへ渡す。
「この指輪はお返し致します」
「ま、待ってくれ! 私は君を裏切っていないし、君を愛している気持ちに変わりはなく……!」
「あなたの気持ちの問題ではありません。私が、あなたを信用できないのです。それはあなたも同じでしょう? 私から聞く真実より、噂や他の方の言葉を信じていたのですから」
「それは……」
一瞬サートはぐっと押し黙ると、やっと言葉を絞り出した。
「……余裕がなくなっていたんだ……。なにしろトゥロは昔から君を」
そんな告白は最後まで聞く気になれず、ある日と逆に今度は私が彼の言葉を覆う。
「あなたから愛を教えてもらったはずなのに、今はそれがなんだったのか分かりません。なぜ女だけ我慢しなければならないのでしょう。なぜ辛い思いをして我慢して、黙って男に従うことが美徳なのでしょう」
かちゃり。
自らの手で扉を開けると夜の冷気が流れこんでくる。そこには約束通り、リッテとパデラが待っていた。
「あなたは幾つもの約束を破った。だから今ではあなたを信用できず、夫婦関係を維持することはできません。コルデ様たちが現れてからの日々をなかったことにもできません。カードと花さえ贈っておけば私が耐えられると思って? 信用できない方からの言葉はただの虚言、花は食べることができない無用なもの。私を生かし守ってくれていたのは彼らだけ」
そう言ってリッテとパデラを見る。
「あなたは言葉だけで私を守らない、見てもくれない。当主夫妻も居候と呼んだ私と仲良く暮らすことは無理でしょう。だからこれで良いのです。私は屋敷に帰りません」
「ま、待ってくれ‼ 君とは信頼関係があり、あれで通じていたと……!」
「まあ、トゥロ様との仲を邪推し私の言葉を無視したあなたがそんなことを言うなんて、驚きだわ! ……いいわ、出してちょうだい」
扉を閉めると御者へ指示を出す。
「あ、いえ、でも……」
御者はうろたえ、慌てて扉を開けたサートが名を呼んでくるが無視してリッテとパデラを従え、歩き始める。そして近くに停まっていた馬車へ三人で乗りこむと、すぐに馬車は出立した。
「別れの挨拶は済ませたのかい?」
「納得されたかは分かりませんが……。後のことは手はず通り、代理人に任せます」
「あいつは今でも君を愛しているよ?」
馬車の中で私を待っていたトゥロ様は言う。
「私があの人を信じられないのです、幾つもの約束を破られ……。言葉だけでなく、態度でも示してほしかった……」
そう答えるとトゥロ様はこの点にこれ以上言及することを止めた。
「それにしてもあの国はあの姉弟に王位継承権を与えるそうだが、将来我が儘暴君が誕生しそうで怖いな」
「本当に」
きっと今ごろ意気消沈に本邸へ帰った当主夫妻は、惨状に絶句していることだろう。自慢にしていた亡き巨匠の美術品の大半が壊され、掃除もろくにされず多くの部屋に埃が積もり、誰の姿もないのだから。でもそれらは全て自身の蒔いた種。孫だと思いこんでいたのなら、尚更躾けが必要だったのに怠ったし、当主として本邸や使用人を管理しなかったのだから。
「ところでサートの馬車が追ってくるが、どうする?」
「無視して下さい」
「スピードを上げろ」
トゥロ様の言葉を受け、御者がスピードを上げる。二頭に対し一頭という差もあるが、ぐんぐんサートを乗せた馬車との距離は離れていき、やがて見えなくなった。
私はまだトゥロ様を愛している訳ではないと思う。
ただ今の世、女一人で生きていくには厳しいから彼を利用させてもらう。我ながら嫌な女だわ……。それにトゥロ様も気がついていながら受け入れてくれているのだから、酷い男。
ずっとサートだけしか見ていなかった人生。
それと決別し私は今日、新たな一歩を踏み出した。
お読み下さりありがとうございます。
こちらは実は年末にハッ!
と閃き、完成させた作品です。
なので活動報告で挙げていた作品たちではないという……。
長編にもできる内容かなと思ったのですが、結局はサートに対する不満とか姑たちからの嫌がらせばかり続き嫌になりそうなので、短編にしました。
コルデたちの命を狙った王妃様の話が浮かび、いつか書くかもしれませんので、今はこの辺りのことはこれ以上については伏せさせて頂きます。
申し訳ございませんが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
□令和4年12月26日(月)、以下追記□
作中での「躾け」に関しては、『躾ける』という意味を強調したく使用しているために『け』を付けているので、誤字報告は受け付けません。
□令和5年1月23日(月)、追記□
☆子どもが「うまれる」に関係する漢字は、全て「生まれる」で統一させることにしました。以降、これらに関する「生まれ」や「産まれ」の使い分けによる、変換報告は受け付けません。
☆調べた結果、「子を成す」は誤りではないので誤字報告は受け付けません。
(補足しますと、義理の両親は跡継ぎが欲しく、子どもと言っても女の子では無意味という価値観を持っています。家を存続させる等といった意味もあり、それらを複合しての『成す』なので、単純に生命の誕生を指して使用している訳ではありません)