二話:隣の女性
ぐぅぅぅ……。
仰向けで寝転がっていたフーマンの腹から「早く食べ物をよこせ」と言わんばかりの大きな音がなる。
彼は驚いた様子ですぐさま腹を手で覆い隠すが、さすがに隠し通せるわけもなく少し顔をしかめるが、どこか火照っているようにも見える。
そういえば彼は、ゲームセンターに入るや否や篭りっきりになり、夕食を食べることをすっかり忘れていたのだ。
「……天界では親が飯を作ってくれていたから……っ、一人も、楽じゃない、な……」
そう言いつつも仰向けになっていた体に手で支えながらも力を加え、頭から腰、膝、つま先へとゆるやかに全身に伝わると、ようやく起き上がる。
そして食べ物を求め、流しの方をみるとすぐに何かを察した様子でピタリと動きが止まる。
——これは、早急に色々と揃えなければならないな。この素晴らしき生活に支障をきたすかもしれない。それにしてもあまりにも殺風景すぎる……!
少しでも清潔にするためなのか、はたまた、地上の洋服とは似てもつかないような真っ白い服装しているためなのか、軽く服の表面を叩き、埃を払った。
「ふぁ〜、行くかぁ……」
徐に口を大きく開けるにつられて、自然と両手も大きく上へ伸びたと思うと、すぐさまゆっくりと肩の力が抜けて両手が下がる。
彼はのっそりと立ち上がると、ふと外の様子が気になり窓の方へ少し歩く。
そして、不思議そうに窓を開け、顔を外に出して少し上を見上げた。その瞬間、彼の目は無意識に大きく開く。
終わりの果てが見えない真っ黒い夜空に、それを際立たせているように輝く綺麗な星々。デネブにアルタイル、そしてベガ。夏の大三角形と呼ばれるそれらは、この美しい夜空に自然と溶け込んでおり、どの星々よりも輝いて見える。
しかし、それだけではない。街灯や部屋の明かりなど、街に潜む青色や黄色の光が、この夜を明るく照らしており、その光景は現代文明を象徴しているのかもしれない。
「お、おっと……」
彼はこの夜空に驚き、つい見とれてしまっていたようだ。
彼にとって、これほどまでの景色は今まで見たことのない光景であり、天界から見る景色とはまた一風違っているようである。
「——腹ごしらえをするのだった」
我に返ったように、窓を閉め夜空を背に向けたあと扉に向かって一直線に歩き出す。
扉前の狭く小さな玄関には、現代では似合わないような革靴が一足だけ揃えて置かれており、その靴に各足ずつ面倒臭そうにねじ込ませると、トントンと音を鳴らしながら、数回つま先を床に軽く当てる。
そして取手を握り、扉を開けた。狭い廊下に出るとすぐに扉を閉め、鍵をかける。
階段に向かうため体を右に向けると、いつか見たことのある女性が隣の部屋の前で、また何かをガチャガチャしているのが見えた。
——朝のやつだよな? 何をしているのかと思ったら、どうやらまた鍵のトラブルらしい。一体こいつはいつも何をしているのだ? ……というか、こんな時間だからか余計に怖い……!
そう思いながら見ていると、それを察したのか彼女の顔がこちらを振り向く。
「「………………」」
彼は彼女の急な行動に驚いたのか声が出なかった。
いや、それ以上に見ていたことがバレてしまったことによる怖さと恥ずかしさの方がまさっていたことが原因だろう。
彼は一刻も早くその場から逃げ出したいと感じ、静かにすっと軽く足を上げ、階段の方へと進もうとすると——。
「…………ねぇ」
小さい声が空気に乗って、かすかに彼の耳へと届く。
——ん?
彼は何かが聞こえた気がし、その音が聞こえた方向へ顔を向ける。
「……ねぇてば」
彼女は再度問いかける。しかし、その目はやはり冷たく獲物を狩るようである。
「あ、はい、なんでしょうか?」
まるで何もなかったように下手な天然さを演じつつ、キョトンとした顔で聞き返すフーマンに対して、気にもとめず顔は彼に向いたまま、「ほら早く」と言わんばかりにただ扉の鍵穴に指を差す。
「君でしょ? 開けてくれるのは」
「な、なにを……言っているのだ?」
彼は急な出来事に混乱し焦りを見せるが、やがて「異常だ」と思い、言葉をスルーしようとしたら——。
「あぁ、ごめんなさい。これは私の『力』、そう見えたからつい……」
彼女はさらに続ける。
「改めて頼みます。この鍵を開けてほしい」
——気味が悪い……! と、とにかく逃げよう……!
「あ、あー、そうだー。急に用事をおもいだしたー。い、行かなきゃー」
フーマンは慌てて彼女に向けていた視線をさっと逸らすと同時に、以後彼女へと視線を向ける事のないよう必死に顔を夜空の方へと向け続けながら、まるで感情の入っていないただ文を読んだだけのような言葉を残してそそくさとその場から立ち去る。
やがて彼の姿は真っ暗な夜に溶け込むように見えなくなっていった。
♦♦♦
その数十分後の真夜中。時刻は深夜一時。フーマンはアパートから出て左に少し行くと、マンションやアパート、一軒家などの住宅街があり、その中でも珍しく人気がなく、ましてや街灯も少ない暗い夜道を一人で歩いていた。その光景は現代人とは程遠い服を着ているからなのか、この世界を探し回るとどこかで生活している蛮族のような格好が、より不審者感を際立たせる。彼は決して蛮族などではないのだが。
「ふぅ……。なんとか逃げることができたけど、すんげぇ怖かった……。あいつ、何者だ? そういえば『力』……とか言っていたな……」
彼にとって彼女が放ったあの言葉が脳裏に浮かんで離れない。それは、まるで何か嫌なことが起こるのを示唆しているかのようで。
そのまま歩き大きな交差点に出ると、さっきの暗い夜道とは違い、あらゆる建物によって輝いている。そして、中でも特に際立って光っているお店を見つけると、そこへ向かって足を運ぶ。
近くまで来ると店の上部に『コンビニエンスストア』と書かれた看板があり、店の前にはゴミ箱と灰皿が置かれており、あたりを見渡すと均等に白線が引かれている。
彼はここがどのようなお店なのかいまいちわからないまま、とにかく入ってみることにした。
自動扉を潜り中へ入るとすぐに「いらっしゃいませー」と店の人らしき人の声が聞こえてきた。近くにあったカゴを持ち、とにかくそのまま奥へと進んで行くと置かれている無数の品物が目に入る。
——どうやら私の入店を歓迎しているらしい。そして、天界ではこのように建物の中に入って品物を物色するといった一切お店はなく、建物の中に入るといえば、大体家か神殿か娯楽場くらいしかなかった。こういう品物はすべて店頭でしか置かれていなく、そこでそのままお金を渡すのが普通だったのだが——これは私自身の固定観念を改めなければならないな。
と思いながら、目の前にあるお菓子を手に取るとふとあることに気がつく。
——待てよ。この店の防犯対策はどうなっているのだ。こんな状態なら盗み放題なのではないのか。
フーマンはあたりをキョロキョロと見回すと、無数に店内へと向けて設置されているカメラを見つけた。
——なるほど、あれが防犯対策にとしての役割を担っているのか。すごいな、私が住んでいた天界にはない発想だ。文明の差が感じられる。
そして、そのお菓子をカゴに入れた後、多くのソフトドリンクが置かれてあるリーチンケースへと移動し、その中から一リットル入っているペットボトルの水を手に取りカゴへと入れると、ここに来た真の目的でもある米飯コーナーへと向かう。
着くと目の前には、三角形をした〈おにぎり〉というものが多く並べられており、彼の知識の中にはないものである。「なんだ、これは⁉」と思い、中でも一番美味しそうな紅シャケとツナマヨを手に取り、その下に置かれてある弁当も手に取ると、カゴの中にバランス良く入れた。
そのままレジへと向かうと、「いらっしゃいませ、ありがとうございます」と声をかけて来きたので、軽く会釈をしたのちカゴをカウンターに置いた。
すると、次々に値段を打ち込むと合計八百四十円になった。「ひぇっ、高い……!」と思いつつも支払いを済ませ、左手で袋を持つと店員の「ありがとうございましたー、またお越しくださいませー」の声と同時くらいのタイミングで店を出た。
「……残り約三千円かぁ。こちら世界では大して大きな額ではないのかもしれないな……」
彼は大きなため息をつきながら、ゆったりと帰路に就き、部屋があるアパートへと向かう。
アパートに着き階段を登っているとカチャカチャと小さな音が聞こえてきた。自分の部屋がある三階につくと、さっきの女性がいた。どうやら鍵を刺しては捻ると抜くのを繰り返しているみたいだ。
「げっ」と一瞬思ったが「はぁ……」と軽くため息をつくと彼女の方へと向かい優しく声を掛けた。
「まだそれをやっていたのですか。音、下の階まで聞こえていましたよ」
「え⁉ ご、ごめんなさい……!」
「大丈夫ですよ。それより、毎回このようなことをなぜ?」
「あぁ、このアパート自体もう古くて、そのせいか、時々扉が開けにくくなっていて、それで……」
「確かに……、私の部屋もそうですね。でも、コツさえ掴めば簡単ですよ」
「そ、そうなの⁉」
「はい。なんなら、私がお開けしましょうか?」
「お、お願いします……!」
彼女の部屋の扉の前に立つと、フーマンは少し取手を引きながら、鍵を刺して捻る。するとガチャンと音がなり、扉が開いた。
「はい。これで中へ入れますよ」
「あ、ありがとうございます!」
「いえいえ」
ありがちな相槌を打ちながら、隣にある自分の部屋へと向かおうとすると——。
「やっぱり——開けてくれた……」
彼女はおそらくフーマンには絶対に聞こえないくらいの小さな声でそう呟いた。しかし彼には聞こえており、聞き逃さなかった。
「今の言葉、きちんと意味を説明してもらおうか」
彼女はフーマンの言葉の対し、彼の目を一瞥した後、少しばかり小さな笑みを浮かべた。
「「…………」」
この数秒間、風がなびく音や工事の音、カラスの鳴き声などが両者の耳に大きく響き渡る。
先に口を開いたのは彼女。
「ふっ、言葉の通りよ。私には未来が見える。未来予知の『力』によってね。だから、あなたが開けてくれることは最初からわかっていたのよ」
「へぇ、そんな『力』を持っているのか。すごい能力だな」
フーマンには彼女の言葉が少し攻撃的で、挑発的な棘があるように聞こえたので、冷静に探りを入れつつ、さも「ならば証拠を見せてみろ」と言っているような言葉で少し煽るように返答した。
しかし、それもまるでわかっていたような口ぶりで彼女はこう答えた。
「だから、感謝の印として今からいいことを教えてあげる」
「あなたは絶対に——私には勝てない」
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