表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

『小説家になろう狂い』・・・アイデンティティの死滅の否定の場所として

『小説家になろう狂い』


  ・・・アイデンティティの死滅の否定の場所として



小説を書く時、誰かの文体や内容を、無意識の裡に模写していることは、執筆中に生じる可能性のあることである。勿論、悪意があってその様なことをする訳では無いし、仮に模写しても、その様なことをする意味すらない。唯、言えるのは、そのことで他者に迷惑が掛かったり、或いは、自分で自分の文章を精査し直したりする時間が無駄だろうということなのだ。この無意識と言うのは一体何なのであろうか。


例えば、芥川龍之介は、志賀直哉に対して、或る小説に志賀の作品が似ているが、読んだことはありますか、と聞いたところ、読んだことはない、と言った経緯があったと記憶している。芥川は、自然と意識的に、或る作品を借りて自己流に直すので、そう質問したのであろうが、志賀はその作品を読んでいないと言っていたと思う。志賀の無意識の強さということは、元来通説になっているが、仮に目を通していたにしても、記憶していないか、意識的には借りていないということになる。



有名な作家が、自分の内容と酷似しているとして、無名の作家に訴えられることは有りがちだが、こういったことが何故起こるのだろうか。人間には生まれ持った能力というものがあり、何かを引っ手繰る素質を生まれながらにして持っている人間がいる。これは、勿論悪意はないのであり、偶々、こういった能力があるということだ。


実は自分も、一度、驚いたことがあるのだが、宮沢賢治の作品の中に、屈折率という作品がある。自分は、その作品を持した文庫本を部屋に持っていたのだが、或る時、詩を書いていたら、ふと、屈折率と言う題名の作品ができ、書したことがある。その後、半年後くらいに、宮沢賢治の作品を文庫本で読んだら、屈折率という作品が載っていたので、異常に驚いたことがある。確かに自分は、その作品の載った文庫本を持っていたが、屈折率というタイトルの詩を読んだ記憶は一切なかったのだ。無意識が拾ったか、無意識が文庫本からその文字を或る能力で引っ手繰ったのか、今でも事実は定かではない。



しかし、こういう事実も、もし自分の未知の場合の引っ手繰りが、後から気付いたら、修正すれば良いのだろう。この無意識は、しかし、無意識が強すぎる人ほど、何かを借りて作品を作ることが多くなるから、訴訟の標的にはされよう。しかしまた、無意識が弱すぎる人は、何も書けなくなって、アイデンティティが死滅してしまうだろう。この小説家になろうにおいても、他の執筆者の作品を読みまくっている人程、なかなか自己流というものが、確立されず、筆記が出来なくなる恐れもある。


自分はこういった経緯を踏まえて、アイデンティティの保持の為に、あまり他の方の執筆作品を読まない様にしている。しかし、皆無ではない、今の小説家になろうに於ける世情も知っておかなければならないからだ。だから、要は、無意識の強さ弱さに限らず、小説家になろうの中で、自己のアイデンティティが死滅しない様に、自己を確立することが、大事なのだろうと思っている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ