『小説家になろう狂い』・・・ランキング狂い、戦争に酷似した現象
『小説家になろう狂い』
・・・ランキング狂い、戦争に酷似した現象
㈠
小説家になろうには、ランキングの項目がある。日間、週間、月間、四半期、年間、と5種の期間で、ランキングを決定している。これにやりがいを求めることは大変正直な、心の移ろいであって、我々は、これらに入り込む為に執筆しているという、一定の意味を見出している。しかしやはり、年間となると、相当な努力と、運と、作品の持った所謂独創性の独り歩きの様な現象が必要になるだろう。作者の手を離れた作品は、どんどん独り歩きして、頂点へと登っていく。
こういった、ランキングに狂うことは、小説家になろうなら、誰にでも起こり得る当たり前の狂い、である。しかし述べたように、作者の意図を離れて、作品というものは歩き出し、この現象というものは、結局、作品とは作者の手を離れたら、どんな物体になるか予測不能だということだ。
㈡
この、作品の独立というのは、一般論に置き換えると、例えば戦争などにも準えることが出来る。戦争とは、或る一端を初めとして、人々の意に反して、人々を戦いへと誘うのである。この不可思議は、歴史がそうさせるのであって、戦争が終わった時に、その歴史を振り返り、その過ちに気付くのであるが、その時点ではもう手遅れなのだ。全く怖ろしいこの自然災害にも似た現象は、或る空間に置いて、敵対関係を結ぶ者同士が、互いの非自己享受に耐えかねて、相手に恨みを持ち、やがて戦争を起こすのであるが、そこには、偶然やら必然が入り混じって、どうしても、戦争の終わりになってみないと、その正体を現さない。
要は、どこかで誰かが止めていれば、と言った一つの願いが空論に終わることに悲劇がある。誰も殺し合いなどしたくない、殺したくない、殺されたくない、その様な当たり前の感情を麻痺させてしまうのが、戦争なのだ。
㈢
無論、ランキングに入ることを、戦争に例えるのではない、その様な馬鹿げた空論は、無視して大丈夫だろうが、作品とは人間ではなく物質である。その物質がランキングに登っていくとなると、やはり作者の力だけでは到底及ばない空間的現象になってしまうだろう。
初めに述べた通り、小説家になろうの、ランキング入りはとても嬉しいことだが、そこにはいつも、偶然性という奇跡が傍にいることを、思い返した方が良いと思われるのだ。その神の様な存在を認識した上で、頂点へと登っていけるなら、それはこの上なく喜ばしい、喝采を浴びるような、現象体験になるだろうと思うまでだ。