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とある画家と犬の話

作者: 多喜

最近私のアトリエには野良犬が入りこむようになった。

庭で大人しくしていたので出来心で餌を与えたのが不味かったのだろう。


「来てくれよマリサ!前に話していた先生がいるだろう?あれから何度かアトリエに通っていたら今日は中に入れてくれたんだ!」

「あらあら、よかったわねえ」

「すごいんだ!中には書きかけの絵やデッサンが散らばっていて!」

「興奮しすぎて邪魔をしてはだめよ?」



驚くべきことに犬は最低限のしつけが行き届いているようである。

私が筆を執っている間はおとなしく静かに待つことができ、集中力が切れた頃を見計らって紅茶を運んでくる。もしやどこかから逃げ出してきた飼い犬なのかもしれない。


「なあお前、まだあんなおっかないやつのところに通っているのか」

「もちろんだ!製作途中からこの目で見られるんだぞ!」

「確かにすごい作品を作る人ではあるが、俺は完成作品だけでいいな。なんか怖いだろあの人」

「それはあるな。機嫌悪いとキャンバスが窓から飛び出して空を舞う」

「思った以上にやべえな」



犬は時々花を持ってくるようになった。

どこかの庭先でも通り抜けてくるのだろう、季節ごとの花は私の庭には無い花だ。

このまま朽ちていくだけとは痛ましい、せめて絵の中だけでも美しい姿を残してやるとしよう。


「そういやあの人に依頼ってどうやってんだ。前任からは依頼とか無視して描きたいようにしか描かないって聞いたけど」

「花とか雪だるまとか持っていくと割とそのまま絵の一部に使ってもらえるぞ」

「あの四季のシリーズそういう感じなのか」



そういえば、犬を初めて見たのは授賞式の立食会だったか、私の絵が好きだとかなんとかわんわん騒いでいたように思う。

聞くに堪えない早口でひとしきり好きに騒いでこちらの話も聞かずに去って行ったので、やはり犬である。


「せんせい!せんせーい!!お客様です!すごい品のいい、お洒落な!っていうかこないだ描いてた絵はもしかしてこの方がモデルですか!?」

「黙れ!!!!」

「あだっ!なんで投げるんですか!?」



婚約者のジュリエッタがやって来た。

ノートを一冊無駄にした。


「私が邪魔なのでしょう!?」

「なんの話だ?」

「私のことはアトリエには入れてくれないのにその人はいいのでしょう?」

「まあコレは君とは違うが」

「やっぱり、その人は、その人が!!あなたにとって特別なのね!!!」

「なっ!誰が好き好んでこんな才能もなくセンスを磨く努力もせず、発想も貧困で私の絵を理解するだけの学も語彙力もないやつと公私ともに居たいと思うものか!!!」

「はあ!?何偉そうに言ってんですか!こっちだって絶対嫌です!こんな芸術に才能全振りして生活能力皆無の野郎と一緒とか!」

「なら来なければいいだろう!言っておくが私からお前を招いたことは一度たりとも無い!」

「すごい絵ができるのわかっててしかも製作段階から見れるとか!そんなん見に行くに決まってんだろ!っつか語彙力無いのわかってるならいちいち感想求めてくんな!!」

「ひと段落したところであんなに嬉しそうな目をされたらなにか声をかけてやらねばと思うだろう!?」


「そう!いう!ところっ!!!!」


「「泣いた!?」」



ジュリエッタの話をしよう。

彼女は私の婚約者で、恥ずかしながら初恋の人である。婚約者からすぐにでも妻にしてしまいたいところだ。しかしそうなるとこの家に彼女が住むことになるわけで、彼女に見られていると思うと落ち着かない気持ちになり絵を描くどころではない、だからできるだけアトリエには来てほしくないのだが。

それを居ても居なくても構わない犬と並べるなんておかしなことだ。

喜怒哀楽が激しく、感情表現が豊かで、いつ見ても違った表情を見せてくれる愛しいジュリエッタ。

彼女の婚約者である私はきっと世界一幸福な男だ。ジュリエッタも私との婚約をそう感じてくれていればいいのだが。


当面犬は出入り禁止としよう。


「だそうです」

「私、えっと、その」

「誤解が解けたら出禁なんとかしてもらえるように、お願いしてもいいですか」

「・・・ええ、でも少しだけ待ってほしいわ」

「今日はずいぶん暑いですもんね」



犬が私の日記帳を持ち出した。

躾が必要である。


「それでね、あの人ったら一生懸命紅茶を入れる練習をして」

「まあ可愛い、私も練習しようかしら」

「あらいいわね、なら私はお茶菓子を用意するわ」

「ふふふ」

「あとはね、こんなことも」


「なんで先生俺の嫁の連絡先知ってるの!?っつかやめてマリサ、その話やめてぇ!!」

「迷い犬がいたら飼い主に連絡してやるのは普通だろう」



先日、手をダメにした。

傷は治ったが細かい作業をしようとすると微かにではあるが震えがある。

日常生活に支障はないのでジュリエッタに迷惑をかけるようなことにはならなかったのは幸いである。


「お医者様は精神的なものじゃないかって」

「先生、ノリで書いてるみたいなところありましたから」

「会っていきますか?」

「俺が行ったらまたキャンバスと窓がダメになります」




もうずいぶんとアトリエに行っていない。

こんなに描かずに過ごしたことが今まであっただろうか。

締切に追われることもなくなりジュリエッタとゆっくり旅行に出かけられる、ひどく穏やかな気持ちだ。

旅行先での楽しそうなジュリエッタを描き残すことができないことだけが残念である。




どうやらしばらく離れているうちに私は落ち目の画家と呼ばれているらしい。

描けば描くだけ売れていた絵もとたんに値崩れをおこしているようだ。

馬鹿々々しい、私がどうなろうが既に描かれたキャンバスの中の美しさが変化するわけではあるまいに。

そういえば最近犬を見ていない。

奴のとこだ、とうに新しい遊び場所でも見つけているだろう。




旅行先に犬から封書が届いた。

ジュリエッタが絶対に会うべきだと言ってきかなかったため、呼び出された場所へ向かう。


「お久しぶりです先生」

「こんなところに態々呼び出して何のつもりだ、ジュリエッタを待たせている手短に済ませろ」

「なら単調直入に聞きますね、指が震えて絵が描けなくなったわけですが、今どんな気持ちですか?」

「何のつもりだ」

「落ち目って呼ばれて!!ぜんぜんアトリエにもいかないでどんな気分で旅行なんてしてるのかって聞いてるんです!!」

「ふざけるな!お前に何が分かる!!!私が、どんな!!」

「わかんねえです!そうやって怒鳴る気力も言いたいこともあって、絵にぶつけるでも誰かに吐き出すわけでもない奴の気持ちなんてわかるはずない!俺はエスパーか!!」

「っつかなんだよ手が震える事のなにがダメだよ!」

「もともと緻密なのがいいなら絵じゃなくて写真でことたりるわ!!先生の絵はそうじゃないだろう!?なんかすごい色使いとか、馬鹿みたいにいっぱいいろんな角度から描かれたデッサンとか、ねちねち口うるさく偉そうに描きこんでる光の効果とか!!無駄に荘厳な雰囲気とか!!そういうのだろ!!!」

「今までだって、ただ綺麗な線を描く技術を売りにした絵なんてひとっつもなかった!!」

「手が震えたら何が問題なんだよ!?細かい作業しにくいなら筆なんてやめて指でかけ!腕がダメなら口に筆咥えればいい!そんなもんは先生が描くのを辞める理由にはならない!!」



犬がいつものごとく話も聞かず、何かしら吠えて走って行った。

そうか、犬はアトリエに通っていたわけか。

私のいないアトリエで待っていたわけだ、文句を言う相手もいない場所で、一人で。


「馬鹿め」


久方ぶりにアトリエを訪れるとそこは埃ひとつなく美しく整理されていた。

感情に任せて投げたキャンバスはキッチリ張りなおされ、壁に投げつけた絵の具は跡形もなく拭き取られていた。床に散らばっていたデッサンは書棚にファイリングされているようだ。


綺麗になったアトリエを眺めていると、感情がふつふつと煮え立つように荒立ってくる。




「あ、の、駄犬がぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ”あ”あ”!!」




「いったい誰の許可を得て私の道具に触った!!!?」

「ふざけるなよ!私のアトリエに何をしている!あの野郎!!!!」

「勝手なことしやがって!!!入室を許可したからと言って調子に乗りやっがて!!」


「ふっざけるなぁぁぁぁぁ!!!!!」




しばらく日記に間が空いてしまった。

どうも描いている時の記憶が曖昧だが、一つ作品が完成した。

タイトルは陳腐ではあるが怒りだ、それ以外の言葉が見つからない。

これを送り付けてやればいくら頭の悪い駄犬でも私の気持ちを理解するに違いない。


「プレゼントするのですか?」

「いや、これはそういったものではない」

「送らないのですか、どんな作品であれきっと彼はすごく喜びますよ。なにせ復帰一作目ですから。」



あの犬を無駄に喜ばせるのも気持ちが悪いので、あの絵は奥深くにしまっておくこととした。

手の震えは収まらないが、辞めるほどではない。



「全く、新作が出なくなったらあとは昔の絵の作成裏話をまとめたり、値崩れしたとき買いためた作品の美術館作って眺めたりするぐらいしか楽しみがなくなってしまうところでしたよ!」

「私の新しい絵が見れなくなる危機だったというのにずいぶん楽しそうではないか」

「当たり前じゃないですか、楽しみが先生の絵だけだなんて思わないでください。話変わりますけど、花のシリーズの白百合美しすぎなのであのデザインでステンドグラス作っていいですか?」

「・・・好きにしろ。」


「私が言うのも何だけど、結局絵だけじゃないのかしら彼の楽しみ」

「あのひと、先生の作品好きすぎてこの世界に入ったのよ」

「まあ!」



どうやら犬は本気で美術館を作るつもりらしい。

情熱は評価してもいいが、配置のセンスの無さは頂けない。


「ここはこれでいいんです!年号順に並べて先生の作品を初期から楽しめるようにですねえ!」

「だとしてもこの作品の隣にこれは無い!私の作品だぞ!?」

「今の所有者は俺です!!」

「日替わりで配置するのはどうかしら」

「なら来てくれた方にアンケート取りましょうか」




最近はよく妻の絵を描いている。旅行中描けなかった分を埋め合わせるように何枚も。

今書いている作品に描かれているのは妻のジュリエッタ、妻の友人のマリサ、私、後は・・・。


「これどう見ても俺ですよね!ちゃんと顔書きましょうよ!お願いしますから!!!」

「ここは陰影の関係で隠れるからこれ以上の書き込みは無しだ」

「じゃあこっちこの絵は!」

「残念ながらそちらはジュリエッタの帽子のつばで隠れるな」

「どうしてそういう意地悪するんですかああ!?」

「ここにお前が立っていることで絵に奥行きが出る、お前の存在には感謝しているよ」

「んんん!!先生のそういうとこ!ほんっとずるい!!!」

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