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僕が小説を書き始めた理由

作者: 雨空涼夏

僕はそこに足を踏み入れた。その瞬間、僕の鼻腔に紙とインクの匂いが広がる。やっぱり図書室はこうでなくては。

広くはないが狭いわけでもない高校の図書室には、人の気配が全くなかった。


ついさっき入学式を終えたばかりの僕は、この高校の図書室事情なんて知らないのだけど、ここまで人が居ない所だっただろうか。

僕の在籍していた中学校では、少し騒がしいものの、沢山の人が漫画や小説を読んでいた。そのせいか、人のいないこの図書室に少し寂しさを感じた。


そんな気分を紛らわそうと小説を探すが、どこにも見当たらない。奥の棚を見に行こうと先へ進むと、入り口からは見えなかった空間が僕の目の前に姿を表した。

その空間は、他と比べて天井が高く、倍ぐらい高かった。壁には窓が複数取り付けられており、夕暮れ時の日光が備え付けの椅子と机を赤く照らしている。この机は勉強や読書する場所なのだろう。そこには、一人の女子生徒が座っていた。


その人のいる机には、原稿用紙が乱雑に積まれていた。よく見れば、いくつかのまとまりとなってホチキスで留められている。

 女子生徒は一心不乱に原稿用紙に文字を書き続けていた。小説の在り処を訪ねようと近寄ると、文字を書き綴る手が止まり、その人がこちらを向いた。


「見たことの無い顔だな。こんな私以外誰も来ないような所に何の用だ?」


僕は答えなかった。ただ、彼女の夕日に照らされた姿はとても綺麗で、言葉を紡ぐことさえ忘れていた。


「おい、聞いているのか?」

「は、はい! 何ですか?」

「何をしに来たのかと聞いたんだ」

「あ、えっと、小説を探しに来ました。ついさっき入学式を終えたばかりの新入生です」


女子生徒は「なんだ、新入生か」と呟き、僕に向き直った。

「私は文芸部の部長をしている二年生だ。見てのとおり、ここで小説などを日々書き綴っている。小説の棚は隣の部屋にある、私が案内しよう」


先輩に案内された部屋は、図書室の隣の書庫だった。教室一つ分の部屋には小説の入った棚が並べられている。中には最近発売された小説も置いてあった。だが、僕の興味はすでにそこに無く、別のものに向いていた。


「そこの時計が六時になったら図書室に戻ってくるんだ。施錠をしなければいけないからな」

「ちょっと待ってください」

「何だ、まだ用事があるのか?」


呼び止めると、先輩が怪訝そうな目を向けてきた。


「先輩がさっき書いてたのって、小説ですよね? 良かったら、その小説を僕に読ませてください!」

「私の小説を? なぜだ?」


なぜなんて聞かれても、理由は一つしかない。僕は大きく息を吸って、


「読みたいから、ただそれだけです!」


言い放った。自分の小説を読みたいと言われたことに驚いているのか、先輩は微動だにしない。声を掛けようか迷っていると、先輩が大きな溜め息を吐いた。


「分かった。好きなだけ読んでいくといい。物好きもいるものだな」

「ありがとうございます!」


先輩から許可を得た僕は、意気揚々と原稿用紙の山に手を伸ばした。

 先輩の小説には色んな世界があった。ファンタジー、ロボットもの、野球部の青春、学生の恋愛話、虫から見た人間の世界、詩や童話。ジャンルにまとまりはないが、出てくる風景、生き物、世界すべてが生き生きと描かれていた。山のように積み重なった小説達を読破し終わり、大きく伸びをする。横を見ると、先輩がドヤ顔でこちらを見ていた。


「どうだ、私の書いた小説は」

「皆生き生きとしてて、読んでいてとても楽しかったです。もっと続きが読みたいです」

「それは良かった。生憎だが、続きは書いていないのだ。済まないな」

「大丈夫ですよ。気にしないでください」


とは言いつつも、少し残念に思う。続きが無いと分かった時のよく分からない喪失感が胸の中を満たしていった。


「今日は時間だ。帰るぞ、後輩」

「はい、今日はありがとうございました」


先輩にお礼を言い、僕は家に帰った。


次の日、生徒会のオリエンテーションで部活動の紹介があった。サッカーに野球、バスケなどの有名な部活が次々と紹介されていく中、僕は先輩の書いた小説の続きを考えていた。あの野球部の皆は甲子園に行けたんだろうか。もやもやして、紹介どころではない。


「最後に文芸部、お願いします」


驚くほど耳にスッと入ってきたそのアナウンスに、下を向いていた顔が自然と上がる。部員が説明やパフォーマンスをするステージには、あの先輩が立っていた。


「文芸部だ。文芸部の主な活動は、小説を書いたり読んだりする。他には詩を書いたりするな。とにかく、字を、単語を、文を紡いで世界を自らの手で創り上げる部活だ」


それで終わるかと思われたが、先輩は声音を変えて再び話し始めた。


「さて、新入生達に問おう。お前達は何のために生きている?」


その言葉を聞いて僕以外の一年生が皆、いや、全員笑った。さすがに大声を上げることはしないが、「あの人何言ってんの?」とか「頭おかしいんじゃねえか?」とかあちこちから馬鹿にしたような声が聞こえてくる。

こんな時にふざけて言っているわけではないと思うが、僕にも何が言いたいのかよく分からなかった。先輩はまともに話を聞こうとしない一年生に向けて言葉を続けた。


「もしすぐに思いつかなかったのなら、何か一つ目的を決めるべきだ。そこで初めて生活することに価値が生まれる。新入生よ、目的を、目標を持て!ここでの生活を実りあるものにしたいのならば、自らの意思で未来を決めろ。以上で文芸部の紹介を終わる」


先輩はステージを降りていく。さっきまで馬鹿にしていた一年生は静かになっていた。あちこちから拍手が聞こえる中、僕の頭の中では先輩の言葉がぐるぐると回っていた。


ホームルームが終わり、僕の足は自然と図書室へ向かっていた。戸を開けると昨日と同じ風景が広がっている。本棚、差し込む光、小説を書いている先輩、そこに僕という異物が混ざり、風景が世界へと変わった。


「また君か。今日は何の用だ?」

「何となく立ち寄ったのと、さっきの言葉の意味を知りたいです」

「ああ、さっきの部活動紹介か。あれは私なりの新入生へのエールだ」


エール、そう言われてみれば理解できる気がする。何か目的を持て、か。


「目標もなく日々を過ごすのは苦痛でしかない。それよりは、やりたいことを見つけ、それに向かって過ごす方がよっぽどマシだ。教師のように進路を決めろとは言わない、楽しみを持って学校生活を送ってほしいのだ」


僕のやりたいこと、読書だろうか。この高校に来たのも、親と先生に行った方が良いと勧められたからだ。僕も目的を持つべき一人なのだろう。ふと思い立ち、先輩に聞いた。


「先輩、文芸部は体験入部はやってますか」

そう問うと、忘れていたとでもいう風に先輩は一拍手を叩いた。

「体験入部か。考えたこともなかったな。試しに入部してみたいという事か?」

「はい、そうです」

「よし、少し待っていろ。体験入部として一つ課題を出そうではないか」


先輩は脇に置いてあったリュックサックから袋に入った原稿用紙を出した。そこから数枚取り出すと、僕に渡してきた。


「さて、後輩。体験入部の時間だ。内容はただ一つ、世界を創れ。後輩の中に眠っている世界をこの紙に映し出すんだ」


つまりは小説を書け、という事だろう。先輩の反対の席に座り、鞄から鉛筆を出す。小説なんて書いたことがないから勝手が分からないな。どうすればいいか分からず書きあぐねていると、前方の先輩からアドバイスが聞こえてきた。


「話のネタに困ったら、何か気になること、疑問に思ったことを探してみるんだ。思いついたら想像して膨らませることで、自然と書けるようになっていくぞ」


気になること、疑問に思ったもの。言われてもすぐに出てくるわけではない。少し休憩しよう。欠伸を一つしながら外を見ると、電線に沢山のカラスが見えた。

そういえばカラスってどこで生活してるんだろうか。気になること、疑問に思ったことを見つけた。アドバイス通り、想像を膨らませる。カラスの飛ぶ姿、食べるもの、巣、思いついたもの全てを書き留めていく。

思ったままにそれを書き綴っていくと、いつの間にか小説が出来上がっていた。小さな子供のカラスが、巣から飛び立ち街を旅する話だ。原稿用紙で十九枚と、かなりの量だ。


「先輩、出来ました」

「お、早いな。どれ、読ませてくれ」


先輩に原稿用紙を渡すと、一枚一枚ゆっくりと読み始めた。時折笑ったり驚いたりと楽しそうな様子を見ていると、楽しめてもらえてよかったと思える。読み終えると、先輩は満足だと言わんばかりの表情で言った。


「合格だ。よくこの短時間で書き上げたな。とても面白かったぞ」

「ありがとうございます」

「私はカラスが空を飛んでいる場面が好きだな。初めて空を飛んだ時のカラスの描写はなかなかよかったぞ。鳥は空を飛ぶ時にあのような感覚を味わっているのかと思うと、少しずるいと感じてしまうくらいだ」


まるで自分の事のように話す先輩。正直に言えば全然ダメだと酷評されるくらいの覚悟を持って提出したのだが、想像以上に評価されていることに僕は少し困惑していた。まあ先輩が良いと言うのならいいのだろう。


「ところで先輩、時間は大丈夫なんでしょうか?」


壁の時計を見ると既に七時を過ぎている。普通であれば学校を施錠し始める時間だ。


「む、そんな時間か。まあ電気を消して鍵を閉めればバレないだろう。もう少しだけ私の話に付き合ってくれ」

立ち上がった先輩が電気を消し、入り口の鍵を閉める。暗くなった部屋を照らすのは、街灯と窓から差し込む月明かりだけだ。

「さて、試しに書いてみた感想はどうだ?」


暗闇の中、僕に向けた問いが響く。思ったままに僕は答えた。


「悪くないと思いました。カラスの旅行ルートを考えるの、楽しかったです」

「うむ、そうだろう。私もかつて君と同じように、書く楽しさを教えてもらったのだ」


何かを懐かしむように先輩は呟いた。


「その話、聞かせてもらっていいですか?」

「ああ、構わんよ。私は昔から人と話すのが苦手でな。一人でずっと本を読んでいた。本の中に逃げればいろんな世界がある。その数多の世界を眺めるのが私の楽しみだった」

「だった、ですか」

「そうだ。物語に限らず全ての物には始まりと終わりがある。どれだけ続きを求めても、終わりが来ればその先は無いんだ」

ああ、僕と同じだ。続きは無いと知った時に、微かな寂しさを先輩も感じているのだろう。物語は書き続ければ終わりがない。でも書き続けることはできない。だからいつか終わりが来る。結末が待っている」


「私はそれが、たまらなく怖いのだ」


ぽつりと、一言。


「そうして数多の世界の終わりに立ち会うのが段々嫌になってきたのだ。だが去年、君と全く同じ時期に私が本を読もうとここを訪れた時、教師が一人何かを書いていたのだ。それは小説だった。この人なら知っているかもしれないと思って聞いた。物語の終わりに立ち会いたくない。どうすればいいか、と」

「その先生は何と言ったんですか?」

「単純だ。『自分で書けばいいんです』とその教師は言った。盲点だったよ。それから私は小説の書き方を教えてもらい、文芸部としてここで活動するようになったのだ。さて、話はこれで終わりだ、帰るとしよう。付き合わせた詫びとして、何か奢ってやろう」

「いいですよ、先輩の話が聞けただけで僕は十分ですから」

「遠慮するな。ほら、急いで出ないと事務の人に見つかってしまうぞ」


丁重にお断りしたが、先輩は譲る気はないようだ。それに見つかったらまずいのは先輩も同様だ。脅しとしては機能していない。

しかし確かに見つかっては困るので、そのまま荷物を持ち図書室を駆け足で出る。急いで昇降口を出ると、事務員の人が鍵を閉めに行くのが見えた。あと少し遅れていたら見つかっていただろう。下校時間はとっくに過ぎているのでバレたら説教ものだ。間に合ってよかった。


先輩と向かったのは学校の近場にあるファミレス。「好きなものを頼むといい」と先輩が言い放ったので、お言葉に甘えてハンバーグセットとパフェを注文した。先輩はサラダと果物の盛り合わせを注文していた。


「先輩はそれで足りるんですか?」

「私は食べない方だから大丈夫だ。それより君は他の部活は見学したのか?」

「まだですけど、どうしたんですか?」

「なら行くべきだ。よく考えずに決めるよりは吟味したほうが後悔しないぞ」

「分かりました。明日回ってみます」


会話はそれで終わり、どちらも黙々と食べ続けた。外へ出たころにはもう八時。家で妹が早く帰って来いと文句を言い始める頃だ。先輩の自宅は僕の家と反対方向らしいのでここでお別れだ。


「今日はありがとうございました」

「気にするな。私も君と話すことが出来て楽しかったぞ。ではまたな」


そう言うと、呼び止めるよりも速く先輩は歩いて行ってしまった。溜め息を吐きながら携帯を開くと、案の定妹から無数のメールが届いている。「今帰る」とメールを送り、遅くまで帰ってこない親の代わりに食事を作るため、僕は自転車を漕ぎ始めた。



次の日、今日は図書館へは向かわず他の文化部の見学に行った。他には合唱、吹奏楽、美術、演劇の四つがあるようだ。それぞれ三十分ずつ説明を聞き、実際に体験してみたのだけど、とても自分には無理そうだった。理由としては、美術を除いた部活全てが土日も練習するからだ。それでは楽しみである読書ができない。


もう一つは、参加していた一年生全員が経験者だったことだ。一人だけ初心者というのも周りの足を引っ張ってしまうだろう。運動も出来ないし、絵なんてかける訳がない。そう結論付けて、僕は早々に退散した。

それから当てもなく校内をうろついていると、いつの間にか図書室へ来ていた。中に入ると、今日は先輩の姿はなく、代わりに男の人が何かを書いていた。近づいて見ると、それは小説だった。すると男の人は急に後ろを振り向き、僕を見て言った。


「初めまして。私に何かご用ですか?」

「あ、いえ、文芸部を見に来たんです」


なんと返せばいいのか分からず咄嗟に出た言葉。男の人はそれで何かを思い出したらしく、一拍手を叩いた。


「ああ、では君が見学に来ていた新入生ですか。君の事は彼女から聞いていますよ」

「先輩の事ですか?」

「君と私の思い描く人物が一致しているのなら、そうです。残念ですが、今日は文芸部はお休みです。部長の彼女がお休みですから」


すらすらと男の人は話す。やたら詳しい。


「何で知ってるんですか?」

「私が文芸部の顧問ですから。彼女は何か悩んでいたようなので今日は帰らせました。立ち話も疲れるでしょう、座りなさい」


促されるままに、顧問の先生の向かいに座る。先輩の悩みというのが何なのか気になって仕方がない。なぜかは分からないが。


「君、彼女に気にいられていますよ」

「え?」

突拍子もないことを言われて思考が停止する。僕が気に入られている?

「それ、どういうことですか?」

「彼女は、小学校から昨日の夜まで誰一人として『友達』というものがいなかったそうです。常に孤独だったが故に、彼女はここではない物語の世界に仲間を、居場所を求めていました。それが今日の朝彼女が笑顔で、「先生! 昨日、初めて友達が出来たぞ!」と君との昨日の出来事を話していました」


友達、馴染みのある言葉だけども、先輩からすれば友達とは作ろうと思えば作れるものではなく、憧れのようなものだったのかな。


「それにしても、先生は先輩と仲がいいんですね」

「そうですね、彼女に気に入られた君になら話してもいいでしょう。前もって言っておきますが、あまり驚かないでくださいね」

「は、はい」


とんでもない秘密を話すのだろうか。一応深呼吸をして心構えをする。


「お、お願いします」

「ではお話しますね。彼女は、君で言うところの先輩は、私の娘です」

「……え?」


どんな話かと思っていたら、想像の斜め上をはるかに超えていく話だった。


「それってどういうことですか?」

「養子です。彼女の父とは縁がありまして、よく飲みに行ったりする仲だったのですが四年ほど前に末期のガンが見つかりまして。男手一つで育てた娘を一人にはしたくないから長年付き合ってきたお前に娘を託したい、と頼まれたのです。本人にも既にそれを伝え了承を貰っていたようで、後はお前次第だと脅しまがいの事をされたんです。まあ、そこまで言われたら引き受けるしかありません。親友の願いですから」


どう返せばいいのか、僕には分からなかった。小説ではよく見る話。先輩はそれを体験していたのだ。


「……それから、どうなったんですか?」

「手続きは向こうが全て整えてくれたので、私の自宅に彼女を迎え入れることになりました。それからほどなくして彼は亡くなってしまいましたが、彼女は泣くこともなく耐えていました。学校に通い、帰ってくれば部屋に籠る彼女の笑顔が見たいと思い、小説を書いてみないかと誘ってみたのです。一度教えると夢中になって書き始め、感想を聞かせてとよく私に持ってきて見せていました。笑うことの無かった彼女が笑ってくれたのはそれが初めてです」


懐かしむかのように、先生は先輩が座っていた窓際の席を眺めている。最初とは違い、その顔には喜びが混じっている気がした。


「それからは食事も一緒に食べるようになりましたし、学校の話もするようになりました。小説を書くことが、彼女と仲良くなるきっかけになったんです。すいませんね、長話に付き合わせてしまって」


 小説を書いている先輩の表情が浮かぶ。初めて先輩を見た時先輩は笑っていた。僕に小説の書き方を教えている時、感想を話している時、宝石にも劣らぬ輝きをもつ。部活をするのならそんな先輩と部活をしていきたい。


「えっと、先生は文芸部の顧問ですよね?」

「はい、そうですよ」


先生が文芸部の顧問であることを確認し、僕は一枚の紙を先生に手渡した。


「今日はありがとうございました」


一言お礼を言って駆け足で図書室を出ようとすると、先生に呼び止められた。


「ちょっと待ってください」

「何ですか?」

「彼女の親としてお願いします。無理にとは言いません、彼女と、仲良くしてやってください」


なんだ、そんな事か。少しだけ間を置いて決まりきっていた答えを返した。


「最初から、そのつもりです」


さて、家に帰って入部届を書かないと。外に出ると、家に向かって自転車を飛ばした。

次の日、いつものように僕は図書室へと向かった。今日は先生はいないようだ。

奥に進むと、定位置となっている机で小説を読んでいる先輩がいた。読むのに夢中で僕には気づいていないようだ。


「先輩、お疲れ様です」

「む、君か。文芸部に入部届を出したと先生から聞いたぞ」


先輩は無自覚なのだろうか。眩しいほどの笑顔で話しかけてくる。見ているこっちが恥ずかしくなってきて、目線を逸らしながら話した。


「確かに入部届は出しましたけど、まだ部長には提出してませんよ?」

「つまりはどういうことだ?」

「こういうことです」


僕は鞄の中から寝る時間を削って書き上げた原稿用紙を出した。先輩はそれを受け取ると、不思議なものを見るように僕を見つめてきた。


「読んでみてください」

「これに書かれた文章を読めばいいのか?」

「はい」

「そうか。では読ませてもらうぞ」


先輩は紙を受け取り、読み始めた。


「僕は知らなかった、小説を書く楽しさを。それを教えてくれたのは先輩でした」


「小説を書いていた先輩の姿が気になって、僕は先輩に話しかけた。先輩の小説を読んで僕は先輩の世界の楽しさを知ったんです」


「部活動紹介の時のエールで、僕は小説を書きたいという目的を持ちました」


「他の部活も見ましたが、やっぱりここが一番です。ここには、小説と、本と、部長である先輩がいる」


「僕は楽しく小説を書く先輩の姿に憧れて、顧問の先生に入部届を出しました。もう気持ちは決まっています。これからよろしくお願いします」


一文一文、ゆっくりと区切って先輩は読んだ。噛み締めるように、ゆっくりと。僕は紙には書いていない最後の一文を言った。


「拙いですが、これが先輩に出す僕の入部届です」


これで全て伝えた。僕の持てる全てを先輩にぶつけた。本当はこんなことする必要なんて微塵もないけど、とにかく伝えたかったのだ。

先輩はしばらく経っても動く様子がなく、原稿用紙を間近でじっと見つめている。どうしたのかと不安になり、顔を覗き込んだ。


先輩は泣いていた。何かに驚いているのか。

小さく口を開けたまま、僅かに涙を流していた。


「え、あっと、大丈夫ですか?」


急な出来事にパニックになる僕。そんな僕を見て我に返ったらしい先輩が、笑いながら「大丈夫だ」と言った。


「ああすまない、こんな文章を贈ってもらえるとは思っていなくてな。嬉しさのあまりつい泣いてしまった」

「そうだったんですか、良かったです。何かマズイことでもしちゃったんじゃないかって焦りましたよ」


嬉し泣きだったようで一安心。喜んでもらえたようで何よりだ。


「さて、この素敵な入部届は額に入れて大切に飾らせてもらおう」

「えっ、それは止めてくださいよ!恥ずかしいですから!」


それはよろしくない。先輩の手から原稿用紙を取り返そうと試みるが、先輩の方が背が高くジャンプをしても届かない。


「ははは、冗談だ。額に入れないが、大切にさせてもらうぞ」

「お願いですからそうしてください」


あの文章が飾られるなんて一種の拷問だ。あれが飾られたなら、恥ずかしさで床をのたうち回れる自信がある。

先輩はすっかり元通りになって椅子に座っている。僕をからかって楽しかったのか、ご満悦だ。


「さて、君の熱い気持ちは受け取った。これから共に、数え切れぬ程の世界を紡いでいこうではないか!改めて、私は君の入部を歓迎しよう!」

「はい!」


先輩は満面の笑みで高らかに宣言した。


「ようこそ!文芸部へ!」


太陽より眩しい笑顔が、僕の視界を埋め尽くした。

ああ、そうだ。


僕はこの笑顔に、惹かれたんだ。


いかがだったでしょうか。

もしよろしければ、ご感想を頂けると幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 小説執筆、というだけでここまで素敵な話が出来るなんて。私には到底思いつきません(笑) なんだか心に沁みました。
2018/03/22 19:07 退会済み
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