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ピンヒールで踏み抜いた先

作者: 金原 紅

 私にとってピンヒールは大切な武装だ。


 元々170センチある身長がさらに高くなろうとも、同僚から満員電車では近寄るなと言われようとも、絶対に欠かすことはできない。最低でも5センチのピンヒールの靴が通常装備だ。

 足は痛くなるけど、ピンヒールの靴を履くと背筋がスッと伸び、カツカツと鳴る足音には気が引き締まる。


 そして今日もお気に入りのヒールが7センチある黒いピンヒールの靴を履き、足音も高らかに外回りをこなしていた。


「よし、今日はこれで終わりね」


 その日に行く予定だった全ての訪問先を回り終え、まだ比較的高い位置にある太陽に顔を綻ばせる。今日はこのまま直帰予定だから、普段よりも格段に多い自由時間に喜びを隠せない。

 まずは何をしようか、そんなことに思いを馳せながら一歩足を踏み出した時だった。


 いつものヒールがアスファルトを叩くカツン、という音ではなく、まるで薄いガラスを割ったかのようなパリン、という音が足元からしたのだった。

 そして、先程踏み出した右足の踵がズブリと沈み込んでいく。


「えっ…………、ぇえっ!?」


 歩くために体の重心は右足へと移り、左足を浮かせた瞬間だったのだ。踏ん張ることも体のバランスを保つこともできず、驚愕の声を上げることしかできなかた。

 そして、暮れかけの空が目に入ったのを最後に、私の体は何処かへと落ちていったのだった。


   § § § § §


「……ぃ、おい、お前!」

「ぅん…………?」


 ガツガツと脇腹に感じる衝撃と、何だか威圧感を感じる声に、意識が浮上する。

 真面目に脇腹が痛い。


 なかなかに不快な目覚めに、眉間にシワを寄せながら目を開く。そして目に入った光景に、目を疑う。

 さっきまで、普通に都内のオフィス街に居たのに、ここはどう見ても森の中だ。


「どこ、ここ…………?」

「は? お前、ここがどこかも知らねーで寝てたのか?」

「いや、だって私……って、アンタ何っ!?」


 起き上がりながら先ほどから声を掛けてきていた男へ目を向け、ギョッとする。

 横になった私のお腹の横あたりに立つその男。立ち位置的に、脇腹の痛みの元凶だろう。その格好はぶっ飛んでいた。


 軍服のような、黒いレザーっぽい素材の上下に、太ももまである同様に黒いレザーっぽいブーツ。さらに二の腕まである、これまた黒いレザーっぽい手袋。おまけに腰には丸く纏めた長い鞭が下げられてる。

 しかも、鉄色の髪の毛は長く伸ばしているようで、三つ編みにしても腰程の長さがあった。


 どー見ても、ガチなコスプレイヤーか、女王様だ。1:9くらいの割合で。


 そっと距離を取りつつ愛想笑いを浮かべると、その男はフン、と鼻で笑いながら琥珀色のつり目を細める。


「そんで、お前は何でここにいるんだ? そんな布の服で居るなんて、自殺志願者か?」

「は?」


 確かに、私の今の格好は普通のパンツスーツ姿だ。いつの間にか持っていたはずのカバンもどっかに消えているから、持ち物は一切ない。

 手ぶらのスーツ姿で森の中に居るのは確かに普通ではないが、某樹海ではないのだ。自殺志願者だなんて、大袈裟な。


 男の言うことがわからず首を傾げていると、いつの間にか腰の鞭を手に持っていた男がソレを勢いよく振り抜く。


「っきゃ」

「ここは魔獣の森。最低限の装備も持たずに入るなんて、自殺行為以外の何物でもねぇ。そんなこと、ちみっこいガキでも知ってることだけどなぁ?」


 ズバン! という鞭が起こしたとは思えないような音の直後、グギャウという醜い悲鳴が上がった。

 そして立ち上る生々しい臭い。


 恐る恐る、音のした方向を見ると、そこには黒い何か。

 何かは理解できないし、したくもない。でも鋭い牙っぽいものや爪っぽいものが見え、危険なモノだったことは明らかだ。




「ッチ、ファングヴォルフじゃ大した収穫になんねぇ」


 そんなことをぼやきながらその男は黒っぽい塊のそばでしゃがみこみ、しばらくごそごそとやりはじめる。そして一通り作業が終わったらしいあとに私の方を振り向き、呆れたように声をかけた。


「お前まだ座ってんのかよ?」

「だって、腰抜けた……」

「はぁ?」


 アホじゃねぇの、とかぼやきながらもそ彼は私の側へ戻ると、グイと二の腕辺りを掴んで無理矢理引き上げる。


「おらよっと」

「ちょっ‼ うわっ!」

「いってぇ!」


 腰が抜けた状態で、しかも慣れない森の中だったのだ。無理矢理引き上げられたところでちゃんと立てるはずもなく。

 グラリとよろついた体を支えようと慌てて男へしがみつくも、立ち上がってみると意外と私よりも小さかった。おかげで色々と目算が誤り、よたよたとふらついた足が、思いがけず彼の足を踏みつけていた。


 しかも、よりによってピンヒール側で。


「お前、なに靴に仕込んでんだよ!」

「仕込んでるわけではないけど……。ごめん」


 ヒールの形状を見せて謝ると、ひとつ舌打ちをして大きくため息を吐く。そしておもむろに自身のニーハイブーツを脱ぎはじめる。


「なに?」

「お前、どうせその靴だとこの森のなか歩けねぇだろ? それ脱いで代わりにコレ履いとけ」

「えっと、じゃああんたはどうすんの? 予備の靴でもあるの?」

「あ? 予備の靴なんてあるわけねぇだろ」

「え? じゃあ」

「その靴履くに決まってンだろ」

「ええええ!?」

「んだよ、うっせぇなぁ。おら、さっさとしろよ。日が暮れるともっと獰猛なヤツらがわんさか出てくるぞ?」 

「うぅ……。分かったわよ!」


 そうして渋々靴を交換し。

 不幸なのか幸いなのか、互いにサイズに問題はなかった。まぁ、私はニーハイブーツの上の方のボタンが止まらなかったけど!


 結果、そこには黒いピンヒールの靴を手に入れ、より女王度の上がった男が居た。


 人生初であろうピンヒールの靴を履いても、生まれたての小鹿のようにプルプルすることなく、しっかりと立ち。それどころか、まるでピンヒールの威力を試すかのように、幾度も力強く踵を踏みならしている。

 そして靴を交換したことで身長差も引っくり返り、僅に私より高くなった目線で満足げに笑う。


「よし、じゃあいい加減森から出るか。てか、そういえばお前の名前は? 俺はゼロだ」

「突然ね、あんた……。私はやしろ 千歳ちとせ。千歳でいいわ」

「チトセか。んじゃ、さっさと行くぞ」

「ちょっと! 無茶言わないでよ!」


 そう言うやザクザク進んでいこうとするゼロを慌てて追いかけながら、私はクスリと笑いをこぼす。

 見た目は完全にヤバイ奴だが、そう悪い奴ではないみたいだ。

 全く訳のわからないところに来てしまったみたいだし、まだまだ先行きはわからないけど、ゼロと会えたことはきっと悪いことではないはずだ。



   § § § § §


「て思ったことが私にもあったけど、やっぱりゼロはぶっ飛んでるよね?」


 そう愚痴りながら出された紅茶に口をつける。


 ここに来て早くも半年が経っていた。戻れる見込みはまだたっていないけれど、ある程度生活も落ち着き、こうやって愚痴を溢しつつお茶をするような相手も出来ていた。


「ははは、ゼロ君はちょっと変わった子ですからね~」


 穏やかに笑いながらお茶菓子を勧めてくれるのは、この部屋の主で、私ともゼロとも共通の知人だ。かなりまったりした性格の御仁だが、常識的でとても良い人だ。

 この人ーーセスさんと比べるまでもなく、やっぱりゼロはおかしい。ぶっとんでいる。


「セスさん。いくら性能が良いからって、あんな格好するような奴はちょっと変わってる、じゃなくて大分オカシイ、よ……」

「チトセさんそこまで言わなくても……」


 へにょりと眉を下げたセスさんだが、私としては前言は撤回するつもりはない。


 ゼロのあの格好、この世界の標準かと思えばそんなことはない。セスさんだって、至って普通のシャツとズボン姿だ。あとは職業柄白衣を羽織っている程度か。


 ゼロは魔獣ーーこの世界特有の獣で、魔力を持った獣だーーの調教師をしている。

 魔獣は総じて能力が普通の動物より高く、上手く使えればかなり有用な存在だが、獰猛な性質なものが多い。そんな奴らをうまく主人の命令に従うように訓練するのがゼロの職業なのだが、獰猛な魔獣を相手とするため、やはり危険が付きまとう。

 だからこそ、防御能力の高い特殊な素材の服や手袋、ブーツを身に着けていてあんな格好となっていたわけだが、他の魔獣調教師たちはあんな格好はしていない。


 なぜなら、やっぱりあの格好はガチなコスプレイヤーか女王様にしか見えないから。


 価値観は異世界だろうと同じでしたよ!

 異質なのはアイツだけだった。ちなみに腰まである髪の毛もちゃんと意味はあり、髪の毛は魔獣や聖獣ーーこちらは魔獣同様魔力を持った獣だが、理性まで持っている存在だーーとの取引材料に使えるものだから、なるべく伸ばしているそうだ。

 おかげで私も、肩より長く伸ばしたことなかった髪の毛を、背中ほどまで伸ばすに至っている。ゼロほど伸ばしている人はなかなかいないが、この世界では男の人でも髪を伸ばすのが普通なのだ。

 セスさんだって、男性ながらも背中の半ばまで薄茶の髪を伸ばし、ひとつに束ねている。今は稀有な聖獣である、天使クピドのクレアちゃんがガジガジ噛みまくってるけど……。


 まぁそんなわけで、ゼロのあのぶっ飛んだ格好は理由はあれど、やはり普通ではないのだ。だけどアイツはそんなこと気にしない。

 だって性能がよければすべて問題なし、な人間だから。

 おかげで一緒に居る私まで、同種の人間かのように思われがちだ。普通の格好なのに!


「ホント、いい迷惑!」

「ははは。でもチトセさん、貴女はゼロの相棒でしょ?」

「ええ!? そんなわけないよ!」

「そうですか~?」

「そうですっ!」


 ニコニコ笑うセスさんを睨むが、全く効き目はない様子だ。

 ふう、と息を吐いてもう一口紅茶に口をつけていると、セスさんがより笑みを濃くして扉を指す。


「さて、そろそろお迎えが来た見たいですよ?」

「えっ?」

「おい、チトセ! いつまでセスと茶を飲んでんだよ」


 バン、と大きな音を立てて乱暴に扉を開けて入ってくるのは、やっぱり歪みなく女王様みたいな格好のゼロだ。ちなみに、足元はどうも気に入ってしまったらしく、ピンピールが追加されたニーハイブーツだった。

 より色物感が増している……。


「あれ、もうそんな時間?」

「ああ。魔獣たちも腹空かしてる」

「はーいはい、魔獣とゼロのごはんねー」

「あ? 俺まで一緒かよ」

「も、って言うから。どうせあんたもお腹空いてんでしょ?」

「うっせぇ」


 拗ねた様に顔を背けるゼロに小さく笑いを溢しながら、セスさんへお礼を言う。


「セスさん、美味しいお茶ありがとう! じゃあまた」

「はーい、お仕事頑張ってください」

「ばいばーい」


 セスさんと、彼の背中にくっついた小さな天使クピドのクレアちゃんに見送られ、ゼロと並んで仕事場兼家である建物へと向かう。

 ゼロが悔しがって嫌がるからピンヒールの靴を履くのをやめたおかげで、幾分私より目線の高いゼロを見上げ、問いかける。


「今日はなに食べたい?」

「んー、肉」

「昨日もお肉料理だったじゃん」

「じゃあ、ニクジャガ」

「はーい、肉じゃがね。意外とゼロ肉じゃが好きだよね?」

「……まぁ、な」

「? ま、いいか。じゃあさっさと魔獣たちにごはんあげて、私たちのごはんにしますかー!」

「そうだな」


 格好やら考えやら色々ぶっ飛んではいるけど、意外とかわいいところもあったりするゼロとの生活は案外気に入っていたりもする。

 元の世界に帰れるかは全くわからないけど、今は今の生活をしていくだけだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章がクッキリとしていて丁寧で、とても読みやすかったです。 好感が持てたのは、一級のプロ女性作品にすらしばしばある、男を見下してる感(自分の求める基準以下の男性は、とくに人間とは思えない…
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