7
十二月二十日、金曜日。
その日の朝は異常なほどに寒かった。いや、冬だから当たり前なのだが、肉体的にというより、精神的にと言った面でのことだ。
ピピピッ。
無慈悲にも目覚ましは鳴り響き、俺はゆっくりと起き上がる。目覚ましを止め時間を確認すると朝の七時、起きるには丁度いいだろう。だが、冬の朝とはかなり寒い。すぐにでもリビングのストーブの電源を入れ、その前でカタツムリになりたいくらいだ。
「おはよう」
リビングに降り、房代に挨拶する。リビングは既にほんのりとした暖かさに包まれていた。房代が先に点けておいてくれたのだろう。
「おはようございます。今朝も寒いですね」
房代は柔和な笑顔でそんな事を言う。確実に嘘な気がする。毎年思うのだが、房代はいつも着ているものが変わらない。幽霊だから当たり前なのだが、確実に薄着なのだ。そんな状態で「寒い」などと言われても説得力は皆無となる。
「そうだな。もう、年の瀬だしな」
俺はそのことには突っ込むことなく、話を進める。何故なら、それは房代の優しさの一つであり、同居人としての俺への配慮なのだ。
「そういえば、今日で二学期も終わりなのね」
房代はしみじみと言う。
「あぁ、そういえば、そうだっけ」
俺はジャムパンを頬張りながら答えた。今日が終業式で、そこから一月の初めまでの約二週間程度が冬休みとなる。これが、普通の学生ならはしゃぎまくるのかもしれないが、俺には二つほどの懸案事項が舞い込むであろうことが予想された。既に一つは投げ込まれているのだが……。
「そういえば、明日でしたね、ご両親が帰ってくるのは」
房代は相変わらずの笑顔だ。
「そうなんだが、俺としては、今日の午後から借り出されるであろうことがちょっとな」
思わず食べかけのパンを置いてしまう。
「あぁ、美樹さんのお手伝いね、毎年のことなんだし、そんなに老け込まなくてもいいでしょ」
「そりゃ、そうなんだけど……」
今年は少し遅い始まりではあったし、美樹の様子が妙なのだ。
「どうかしました?」
「いや、ちょっとな……」
「晃仁ー!」
突然外からそんな声がした。
「あ、美樹さん来たみたいですね」
「え? ちょっと待て、いくらなんでも早すぎるだろ、まだ半にもなってないのに」
「確かにそうですけど、兎に角、お迎えしますね」
そう言うと房代は玄関のほうへと向かった。俺は急かされるようにパンを口へと放り込んだ。一方、玄関では房代と美樹が他愛もない会話をしているであろう音のみが聞こえてきた。
「遅い!」
そこから十分ほどで、支度を済ませて再びリビングに降りると美樹が突然そんな風に言ってきた。コタツに入って番茶を啜りながら。
「遅いって、むしろ時間ぴったしなぐらいだろう。っていうか早いほどだ」
「何威張ってんのよ。私が支度してから二十分ぐらい経ってんじゃない。それに、早く行かないといけないし」
むちゃくちゃだ。というか、こいつは一体何時に起きたんだよ。
「は? なんで早く行かないといけないんだよ。むしろ、ゆっくり行ったほうが、教室の暖房も点いて暖かいだろう」
「そんなの、私が当番だからに決まってるでしょう」
「いや、お前それ俺には一切関係が――」
「とにかく、準備が出来たなら早く行く」
そういうと美樹は俺を引っ張るようにして学校へと向かった。これが美樹の様子がおかしい一つだ。いつもならここまで強引ではなかったはずだ。
当然終業式なので半ドンだ。午後には全く予定がなくなる……はずだった。
「……というわけだから、一時間後にうちに来て」
帰り道、美樹が自分の家に入る間際で、そんなことを言い出した。これが朝に言った懸案事項の一つなのだ。何かと言うと要はクリスマスの飾りつけだ。神社の娘が他宗教のお祝い事をするのはどうかとも思うが、美樹はそんな細かいことはどうでもいいと切り捨てた。しかも毎年のことで、本来なら一週間前からお呼びがかかるはずだった行事だ。
プルルル。
家に入る直前、携帯が着信音を鳴らし始めた。液晶を見ると『佐伯雪音』の表示。
「もしもし」
俺はその旧友の電話に出る。
「もしもしアッキー、元気してた?」
受話口から明るい賑やかな声が返ってくる。相変わらずだ。雪音は小学校からの同級生で、中二の夏休みに転校していったのだ。そして、こいつはなぜか俺のことをアッキーと呼ぶ。
「あぁ、まぁな。で、どうした急に」
「へへ、いやね、もう冬休みじゃない。だから、私今度の冬休みにそっち帰ることになったから」
「え? 帰ってくるのか?」
「そうだよ。私は魂の聖地へと帰還するんだよ」
「なんだよソウル・プレイスって」
中二病じゃないんだから。
「まぁ、いいじゃないの。とにかく、そういうことだから」
「そうか。で、いつ帰ってくるんだ?」
「うーん。そういえば、美樹とは今もクリスマスパーティしてんの?」
突然話が変わった。
「え? あぁ、恒例行事だからな。これからその準備をするところだ」
「そっかぁ。よし、じゃぁ、明後日に帰るから」
「は?」
脈絡が全くないように思えてならない。
「だから、明後日に帰って、私もそのクリスマスパーティに参加するから。いいよね」
「え、あぁ、俺は構わないけど、会場は美樹の家だからな、美樹にも聞いたほうがいいんじゃないか?」
「え? 美樹んちでクリスマスパーティするの?」
雪音のテンションが少し下がったような気がした。
「あぁ、毎年そうだぞ。向こうのほうがいろいろ都合がいいからな」
「そうなんだ。うん、わかった。久しぶりに話したいし、美樹に聞いてみるよ」
雪音の声がかなり沈んでいた。だが、その時の俺にはそれに気付くことはできなかった。
「あぁ、そうしてくれ、じゃぁな」
「うん、またね。……バーァイ」
雪音は最後だけ最初のテンションに戻して電話を切った。
その後、なぜか美樹から電話がかかり、準備が中止になってしまった。何度美樹に事情を聞いても答えず、むしろ、逆ギレ気味に電話を切られてしまった。
そして、問題の十二月二十二日、日曜日。
昼前の午前十時、俺は怠惰に時間をベッドで過ごしていた。完全に二度寝だ。
「晃仁さん、起きて遊んでくださいよ」
俺の視界に金髪のロングヘアーが入り込んでくる。
「寒いし、眠い」
「もう、ご両親も呆れてらっしゃいましたよ。冬休みだからって怠けすぎだって」
「いいんだよ。冬休みは怠けるためにあるんだから」
「屁理屈ですね」
「あぁ、屁理屈だ」
開き直ってみた。ちなみに夏休みもそういうものだと思っている。また、冬休みは夏休みに比べて極端に期間が短いのだから有効に怠けなければ勿体無いだろう。
「解ってるなら起きてくださいよ」
「起きろ」
直後、布団の上から急激な圧し掛かりを感じた。
「ゆ、ユリエ、突然何やってるんですか」
「サユリは甘すぎる。こいつは、すきあらばいつまでも怠ける。だから、強引にでも起こすほうがいいって美樹が言ってた」
「いや、いくらなんでもそれは強引過ぎるんじゃ」
「そ、そうだぞ、っていうか、お前は美樹の家にいたんじゃなかったのか」
俺はベッドから這い出ながら文句を言った。
「追い出された」
淡々と言い放つユリエ。
「なんでだ?」
「客が来るから邪魔にならないようにって」
ユリエは少し寂しそうにそう言う。こいつも最近はいろいろな表情を見せるようになった気がする。
「客?」
珍しい、神社の客なら美樹はむしろ逃げてくる。ということは美樹自体の客か。
「そう、だから、少しのあいだ私たちと遊べ」
ユリエは上から目線で言い放った。