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そんな懐かしいものから目覚める。微妙に視界がぼやけている気がして手を目のところに持って行くと冷たいものに触れる感覚があり、自分が涙を流していることに気付いた。
「……なん、で……」
嗚咽混じりの小さいか細い声が出る。私は思わず枕に顔を埋め必死に涙を止めようとする。だけど、その行為は全く意味を為さず、涙は瞼の裏から否応なく溢れ出してきた。
――諦めたはずなのに、吹っ切ったと思ったのに。
――これじゃ、まるで未練たらしい嫌な子だ。
何時間泣き続けたのか解らない。解りたくも無かった。だから自然と睡眠という水底に落ちていけたことは有難かった。
翌朝、昨晩泣いていたため、瞼は赤くなっていた。それは何か自分に自分自身の奥底を見せ付けられているようで不愉快以外のなにものでもなかった。だから、普段より念入りに顔を荒い、さらには、少し濃いめのメイクをした。勿論、学校はメイク禁止だからノーメイクに見えるナチュラルメイクだ。これで少しは見たくないものを見ずに済むだろう。
「雪音、おはよ」
電車を降り、学校への通学路を歩いていると後ろからこちらでの親友、優衣が声をかけてきた。
「……おはよ」
「ん? なんかあった? 元気無いけど」
優衣は私の顔を覗き込むようにして聞いてくる。
「そ、そうかな?」
「うん。っていうか、目赤いよ? 泣いたの?」
メイクのおかげで少しは薄くなったはずだけど、完全には隠し切れない。
「あ、えっと、昨日ちょっとね」
「なに、家族とでも喧嘩した?」
「ううん。親とかは関係ないの。ただ、自分のことで……」
「あぁ、もしかして、聞いちゃまずいことだったかな? それだったら無理に話さなくていいよ」
気を使ったのか優衣はそう言うとそれ以降そのことには触れてこなかった。
別に話してもいいのだけれど、それでなにか変な誤解をされても困るし、多分、この手の内容を彼女に話しても困るだけな気がする。彼女は確か初恋もまだだって話だし。本当かどうかは怪しいけど……。
「ううん。別にそういうんじゃないんだ。ただ私自身がなんとかしなきゃいけないことだからさ」
「そう? でももし、何か困ったこととかあったらすぐ言ってね。なんでも、相談乗るからさ。なにせ、私達親友でしょ?」
優衣は、明るい笑顔を私に向けながら言った。
「ありがとう。優衣が友達でいてくれてよかったよ」
「もう! 何言ってんの? 友達なのは当たり前じゃん」
「ほんと、そうだね。何言ってんだろぉ、あたし」
私は優衣に満面の笑みで答えた。少しはいつも通りのテンションになってきていると思う。
その日の放課後。
朝、戻り始めたテンションも確実に会う日が迫ってきているということを思うと一気に落ち込んでしまう。別に地元に帰るのが嫌というわけではない。彼や彼女らに会うこともさほど嫌ではない。ただ、自分の中にいるであろう、醜い感情を連れて行くのが嫌なのだ。失くせたと思っていた。吹っ切れたと思っていた。でも、それはただ思っていただけで、そうあるべきだと、そうなのだと、自分に思い込ませていただけだった。それが、今朝の夢で私に突きつけられたことだ。
「ユーキッ」
私がそんな述懐にも独白にも似た行為を心の中で行っていると視界の端に明るい声とともに優衣の顔が飛び込んできた。
「……。な、何?」
咄嗟の状態を把握しきれなかったため一瞬間が開いてしまった。
「何じゃないよぉー。ユキったらまた暗い顔になってるよ」
「そ、そう? ごめん、今日疲れてるのかも」
「うーん。だったら、これから皆でカラオケ行こうよ。そんでパーッと盛り上がっちゃおう。ね?」
優衣が屈託無い笑顔で言ってくる。
「今から?」
「そう、今から。もう、真希や沙織とも話してあるから」
優衣がそう言ってドアの方をチラリと見る。そこでは、真希と沙織が二人で話していて、こちらの視線に気付くと笑顔で手を振ってくる。その瞬間に私は理解した。今優衣はまるで、さっき決めたようなことを言っていたが、今日の早い段階で決定事項となっていたらしい。しかも、私に拒否権などは存在しないのだろう。
「なんか、ありがとう……」
気を使ってくれたことに対しての感謝が思いがけず口を出る。
「ん? 何が?」
優衣は無垢そうな表情で答える。これが、わざとなのか、素でなのかは判然としないけれど、それでも、友人としてこういうことをしてくれたことは素直に嬉しいと思う。
そして私達は学校から少し歩いて、駅前にあるカラオケボックスに入った。受付をして部屋に入る。あまり気が進まないものの手元の端末で歌う曲を検索する。
「じゃ、まず私からぁー!」
端末とにらめっこしていると突然マイクを通した響き渡る声がした。見ると優衣がすでにマイクを片手にモニターの前に立っていた。しかも、かなり明るいイントロが部屋中に響き渡りだしていた。
「ちょ、優衣早過ぎ」
沙織がクスクスと笑いながら呆れたような顔で言った。
「いーのぉー、こういうのは早い者勝ちなんだよ」
優衣はかなりノリノリでそう応えた。しかも、自作の振り付けまでし始めた。
「ホント優衣ってアニソン好きだよねぇ」
真希が端末を操作しながら感慨深げに言った。
「しかも振り付けもやるとか……、凄過ぎでしょ」
沙織のその呆れたような口ぶりにその場にいた優衣以外の全員が「確かに……」と納得してしまった。しかも、そんなことはおかまいなしとばかりに優衣は熱唱していた。
「そういえば雪音、あんた何か悩みでもあんの?」
再び端末に視線を落とし歌う曲を探していると、突然隣から真希の声がした。見ると真希はかなり真剣な表情でこちらを向いていた
「え? 別に悩みとか」
「隠すな、あたしたち友達でしょ? なんか悩んでんなら相談乗るから」
真希は真剣ながらも優しい瞳でこちらを見つめてくる。
「……」
「言い出しにくい?」
「……いや、そういうんじゃないけど……」
「だったら当ててみようか?」
真希は一気に顔を近づけてきた。既に真剣な表情は無く、少し楽しむようなそんな感じの表情だった。
「……え、え?」
「うーん。……そうだなぁ…、例えば、実家の方にいる友達のこととか?」
「……っ」
ドキッとした。
「アハハ、な訳無いか」
真希は冗談めかすように言い、テーブルの上の飲み物を一口した。
「……当たり」
私は観念するようにボソッと言った。
「うぇっ! マジ?」
「……うん」
「そ、そうなんだ」
「別に、そんな気にしたふうな表情しなくていいよ。ただ、諦めたはずなのに自分の中ではまだだったっていう、未練がましい悩みなだけだから」
私はできるだけ明るく振舞うようにして言った。
「いや、そんな事言ったって無理だよ。しかもそういうのなら尚更相談に乗るから。この恋多き乙女、真希ちゃんにどーっんと聞いてみなさいよ」
「え? いいよ、私個人の問題だし、それにこんな醜い悩みなんて――」
「あぁ、もう! 言え! 洗いざらい吐いて楽になれ!」
「え? ま、真希?」
「いい? そういうのはうじうじ一人で考えてたって解決なんかしないの! 友達なりなんなりに相談するの、三人寄れば文殊の知恵って言うでしょ!」
「そ、そうだね」
真希のあまりの迫力に思わず気圧されてしまう。それは周りも同じようで沙織や優衣もこちらを唖然とした表情で見ている。室内にはスピーカーからの音だけで満たされた。
「それに、解決できなくても、話すだけでも楽になったりするものでしょ! だから、さぁ」
「そ、そうだよ、私もユキが今日ずっと悩んでてたの気になってたんだよ。私なんか頼りにならないかもだけど、聞くことは得意だよ」
「わ、私だって、友達が苦しんでるのを黙って見てなんかいられないから」
「……みんな……」
別に涙ぐんでなんていない。ただ、こんなことを言ってくれる皆に感動してしまっただけだ。そして、そこから私が悩みを言う女子会と化した。
「――その、彼のことが忘れられてないんだって思ったら、なんか自分がとてつもなく嫌になって……、それに、親友にも悪いことをしたような気分になっちゃって」
「うわぁ、なんかラブコメみたぁい」
「確かにそうかもね。で、普通ラブコメ的展開だとその彼が彼女とラブラブしているところ見て、完全に吹っ切れたりとか?」
優衣と沙織は飲み物を飲みながらそんな風に言ってくる。優衣の陽気にも取れるその発言は場の空気をシリアスなものにするのを防ぎ、沙織がそれに拍車をかけている。
「そうねぇ、で? その彼はあんたの親友とくっついたりしたの?」
「……どうなんだろ? そういう話は聞いたことないなぁ」
「まさか、その彼ってアニメの主人公よろしく超鈍感だったり……」
「……うん。たぶん、そうだね」
私は心の中で謝罪しながらそう答えた。
「じゃぁ、もしかしたらまだくっついてないかもってことぉ!?」
「有り得ない話じゃないわね。彼が超の付く鈍感で、その彼女も幼馴染という関係性を壊すことに躊躇いがあるのだとすれば、くっつきたくてもくっつかないでしょ」
真希が呆れたような口調で言う。
「何それぇ! ラブコメの主人公同士がくっつこうとしてるってことぉ?!」
「ごめん優衣、それさすがにわかんない」
沙織の指摘に全員で頷く。
「えぇー? だってラブコメだと男主人公は超鈍感で、女主人公って少し引っ込み思案だったりするじゃん。聞く限りだとその二人ってそれにそっくりだなぁって」
「……ラブコメの例えはともかく、少なくともはっきりさせないといけないことがあるわね」
「はっきりさせないといかないこと?」
「そう。雪音はその彼のことを好きかどうか」
真希が言った瞬間その場の視線全てが私に集中する。好きかどうかって、そんなの……。
「未練があるなら好きなんじゃないのぉ?」
「そうね。彼の夢を見て泣くなんてのは完全に未練だものね。まずはそれを認めることが大事だと思うのよ」
「……未練。で、でも彼とはもう友達だし、それに――」
「親友に悪い?」
「っ!?」
真希のその一言は再び私をギクリとさせた。
「図星か、ユキはほんとわかりやすいなぁ」
「だ、だって――」
「だってもなにも、実際にそうなってるかどうか確かめたわけじゃないんでしょ? だったら一回確かめてみればいいじゃん。それでもし、二人がくっついてんなら諦めもつきやすいと思うよ?」
「……そうかもだけど……」
「それにぃ、親友って言うくらいならそんなんで関係が崩れるって滅多にないと思うよぉ?」
「……そこに賛同はしかねるけど、一理あるかもね。電話してみたら?」
沙織がそう言うと真希が頷き、私の鞄をさっと私の体に押し付けてきた。
「え? 今、やるの?」
「その方がいいでしょ。帰ってからやったらユキ絶対またクヨクヨ悩んでやらないもの」
それに反論できない自分が憎らしい。
私は三人が見つめる中、電話帳を呼び出し「嵯峨美樹」の番号に発信した。
プルルル……。呼び出し中を告げる電子音が脳内に充満するように鳴り響く。心臓が少しバクバクと鼓動しているのを落ち着けようと深呼吸しながら私はその数回ほどのコールに耳を傾けた。
『もしもし、雪音?』
コールが中断され、電話を取る音がした後、聞き覚えのある親友の声がした。
「あ、美樹、久しぶり」
『どうしたの? 何か用事?』
「ううん。用事とかじゃないんだけど……。あ、そうだ。二日ぐらい前に送ったメールなんだけど」
『え、帰省するってやつ? もしかして、無理になったとか?』
「いや、そんなことはないんだけど、アッキーにも送ったんだけど、返事がなくて」
『でも、晃仁ってそんなマメにメールを返すようなタイプじゃないでしょ?』
「うん。それはそうなんだけど……、なんか届いてないような気がするの」
『ふーん。わかった。とりあえず、伝えとくよ』
「ごめん、ありがとう」
『いいよ、別に』
「あ、後、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
『何?』
一瞬の沈黙が降りる。
「……アッキーとは、その……どう、なったのかなって」
『えっ……それは…』
無言の解答。そう理解できるような無音がその場に降りる。
「……ご、ごめん、変なこと聞いちゃったね。じゃ、じゃぁ、また今度」
美樹からの返答を聞きたくなくて私は慌てて通話を切った。
「ごめん。私、先帰るね」
電話切った瞬間の三人の反応から少し気まずい空気になりつつあると感じて、私はその場から一目散に出て行ってしまった。
「ま、待ってよ、ユキィ!」
カラオケボックスを出て、夕闇に染まり始めた道を走る私の後ろから優衣が息を切らせながら走ってくる。
「待って、ちょっと、待ってってば」
その言葉と同時に優衣が私に追いつき私の肩を掴む。
バシッ。
肩を掴む手を振りほどいて私は振り向く。
「もう、ほっといてよ!」
「ゆ――」
「どうすればいいのよ。あれじゃ、決断できない……」
「……ユキはどうしたかったの?」
「え? それは――」
「諦めたいの? でも、彼の夢を見て泣いちゃったんでしょ? だったらそれって諦めてないってことじゃん。違う?」
何も返せない自分が腹立たしく思える。でも、言い返せないということはそれが事実であり、正論なのかもしれない。
「諦めないことは悪いことじゃないと思うよ? そりゃ、他に相手がいてそこから奪うのはどうかと思うけど、そうじゃないんでしょ? だったら一回直接会えばいいじゃん。そうすればはっきりするでしょ?」
「でも―」
「でもじゃない! どうなるにしろやってみなきゃわかんないでしょ! それで、もし、関係が壊れたり傷ついたりしたら私達に頼ってよ。なんとかできるかもしれないでしょ?!」
珍しいと思った。優衣がこんなに直情的とも取れるような語気で言ってくることは今までなかったから。でも、それは、彼女が本気で私のこと、私が今抱えていることに対して本気で考えてくれている証なのだろう。その気持ちが解るからこそ何も言い返せないし、その通りだと想い、知らない内に一筋の涙が流れ落ちる。
「ごめん優衣。私、自分の気持ちを誤魔化そうとしてたんだと思う」
「そ、そうだよ、自分の気持ちには素直になるべきだよ」
何か引っ掛かりがあったような気もするけど今は気にすることはやめよう。とりあえず、それを誤魔化そうとしたのか抱きしめてくれる優衣の腕の中でこの涙とこの気持ちを落ち着かせることにしよう。