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◇ ◇ ◇
ところで、夢とは科学的には記憶の整理のことなのだという。つまり、懐かしいものを見るのは整理の最中ということになる。一方、美樹に言わせると夢には全て意味があるのだそうだ。その夢を見るには見るなりの理由が存在するらしい。それに当てはめたとき、今俺がみている夢は、単なる記憶の整理なのだろうか、はたまた、何らかの理由を持ったものなのだろうか。まぁ、別にどちらでもかまわないのだが……。
二年前の二月十四日、つまり、中一の時のバレンタインデー。
前日から色めきだっていた男子どもは朝から見るからに挙動不審で、しきりにお目当ての女子を見てはその子がチョコを持っていないかを確認しようとし、持っていたら、それを誰に渡したかなどという予想をお互いに言い合っている。これを見ているとまだ女子のほうが落ち着いて見えてしまう。
「そりゃ、女子はみんな覚悟決めてるからよ。どう転んだって悔いなしって思ってるからね」
隣の席の美樹が当然とばかりに言い放つ。
「それもあるかもしれないが、そもそも、このクラスの男子が眼中に無いってこともあるだろうな」
「確かにそうねぇ、クラスにお目当ての男子がいない子は確実に平然としてるわね」
そう言うと美樹は突然何かを思い出したように自分の鞄を漁りだした。
「そういえば、晃仁にチョコ渡そうと思ってたんだった。はい、コレ」
美樹は赤い紙とピンク色のリボンでラッピングされた四角い箱を差し出した。
「俺にか? ありがと」
特にテンションが高くないのは当たり前で、毎年義理チョコを貰っているためだ。
「今回は、その……手作りってのに、挑戦してみたのよ。ま、まぁ、ただのチョコケーキだから簡単だったんだけどね」
美樹は照れたようにそっぽを向く。
「へぇ、手作りか。義理にしては凝ってるんだな」
「……っ、そ、そうよ、義理よ、義理! 決まってんでしょ!」
今度は急にこちらに向いてそう言い放ってきた。何がしたいんだこいつは。
「おっはー、アッキーに美樹、今日はバレンタインデーだね!」
俺達がそんな会話をしていると雪音がハイテンションで入ってきた。
「あぁ、今美樹にチョコを貰ったとこだ」
「義理だけどね……」
美樹は義理を強調するように言う。拗ねてるのか?
「そうか、そうか、実は私もアッキーにチョコを渡そうと思っていたのさ。はい、どうぞ!」
そう言って雪音は赤いリボンでラッピングされた丸い箱を差し出してきた。
「お、おう、サンキュ」
そのあまりの勢いに少し気圧されながらもその箱を受け取る。
「ちなみに、私のは手作りチョコレートだよ。いやぁ、慣れないことはするべきじゃないね。何回も失敗しちゃったよ」
雪音はあっけらかんと言う。
「手作りか、それは凄いな。まさか本命とかじゃないだろうけど嬉しいよ」
あくまでも冗談のつもりで言う。
「もちろん、本命だよ」
ニコッとした表情で言う雪音。
「そうだよな、本命な……、え? 嘘」
「ははは、冗談冗談、義理だよ義理。友チョコってやつ」
ケラケラと楽しそうに笑う雪音。冗談でもこれはきつすぎるだろ。
「そ、そうだよな。驚かすなよ」
「……私だってずっと本命なのに……」
隣からボソボソと何か聞こえるが俺の耳には届いていない。
そして、今度は同じく二年前の夏――。中二の一学期終業式――。雪音の転校前最後の登校日だ。
その放課後、教室で俺と美樹、雪音と梶沼といういつもの四人で最後の時間を名残惜しむように過ごしていた。
そして、下校を急かすチャイムが鳴り、俺達は学校を後にする。
中学からの通学路途中にある分かれ道。そこで、雪音と梶沼、俺と美樹、という風に向かう方向が分かれる。そこに差し掛かると、雪音は俺達に別れの挨拶をした。
「うっ……ゆき、ね……」
美樹は嗚咽を漏らして、雪音と抱き合い、二人して、ボロボロと涙を流す。その光景を見ているとこの二人が親友だったということを思い知らされる。
どれぐらい二人して泣いていたのだろう。俺と梶沼はこの女子二人を放っておくわけにもいかず二人が泣き止むまで待たざるを得なくなっていた。そして、小声でなにやら二言、三言、言葉を交わした後、二人はようやく離れ、帰路へとつく。俺達はそれぞれを宥めながら家へと送ったのだった。
翌日、早朝――。
一体いつ寝たのかの記憶がない。昨夜遅くに雪音の両親が来て、雪音を見送ったところまでは記憶がある。だが、それ以降の記憶が全くと言っていいほど判然としない。恐らく、いろいろあった疲れでそのままベッドに倒れこんだのだろうとは思うのだが。
「とにかく起きるか」
小さくそう呟いて布団から抜け出る。十二月二十三日。今日も予定では美樹の家に行くことになっている。だが、昨日のこともあり、精神的に楽しい気分になれるとは思えない。それより、むしろ雪音の体調の方が心配になってしまっている。とりあえず、美樹に電話して昨日のことを話すべきだろう。
俺はそう思い携帯を開き、美樹の携帯へとかける。
『――お掛けになった電話は電波の届かないところにあるか、電源が入っていないためかかりません――』
かけた直後、そんな電子音が受話口から聞こえてきた。
「電源切ってんのか?」
その時、不安感が立ち込めてきた。明確な理由など存在しない。長年幼馴染をしてきたことによる勘というやつだ。
俺はそう思い美樹の自宅へと電話をかけた。
「もしもし、嵯峨ですが」
数コールの呼び出し音の後、美樹の母親が電話にでる。
「あ、もしもし、晃仁です」
「あら、晃仁君。昨日は大変だったみたいね」
「いえ、美樹に呼び出されたりするのはいつものことですから」
「いや、そっちじゃなくて、雪音ちゃんのことよ」
もう話が伝わっているらしい。隣の家だからしょうがないのかもしれないが、ある種の神がかり的なものも感じてしまうほどだ。
「えぇ、まぁ。あの、それで、美樹はいますか? あいつ携帯の電源切ってるみたいなんです」
「部屋にはいると思うのだけど……、ちょっと見てくるわね」
そういうと同時に保留音が流れる。曲自体はクラシックの電子音バージョンだ。でも、不思議と聞き入ってしまうのは何故だろう。ただ数小節分をループし続けているだけなのに。
「お待たせ、なんか今は誰とも会いたくないらしいのよ。雪音ちゃんのことがショックだったのかもしれないわね」
「そうですか。失礼しました」
俺はそう言って通話を切る。確かに雪音と美樹は親友だ。だが、ただ倒れただけでそこまでショックを受けるものなのだろうか。
そんな疑問が頭に過ぎりはしたが、それは後で考えることにし、今は雪音の見舞いに行くことにしよう。
俺の家から数分ほどで雪音の家に到着する。玄関で両親に挨拶をしてから雪音の部屋へと向かう。
雪音の部屋に入るのは恐らく小学生以来となるだろう。内装自体はあのころとあまり変わらない、女の子の部屋と言った感じだ。だが、ところどころに時間の変化というか、年齢の変化のようなものを感じる。そして、部屋の窓際のベッドで、少し落ち着いた感じの寝息を立てながら雪音が横になっている。
「寝てる……か。そりゃ、そうだよな。でも、少し顔色もよくなったような気がするな」
俺は雪音のベッドの近くまで行き、彼女の顔を眺める。
「寝てるとこ悪かったな。じゃ、また来るから」
俺は雪音に語りかけるようにそう言うとドアの方へと歩き出す。
「……?」
ドアノブに手をかける寸前、妙な気配を感じ振り返ると、何か黒い霧のような霞のような、不定形な塊が雪音のベッド脇で漂っていた。
「……なんだあれ」
俺は思わず口に出してしまう。その瞬間、黒い塊は動きを止め、こちらにその中に浮かんでいる赤黒い球体のようなものを向けてきた。
「……」
数秒ほどそのままの沈黙、その後、その黒い塊はスーッと消えていってしまった。俺はとりあえず、その謎の現象をメールで美樹に連絡した。電源を切っているようなので、いつ返信がくるかわからないが、教えておいたほうがいいだろう。もしかしたら、いつものように彼女の出番があるかもしれないのだから。
意外にも返信は早く、雪音の家を出るタイミングで来た。
メールの文面はかなり端的で「部屋に来て」の一文のみだった。そのメールを確認すると俺は一路、美樹の部屋へと向かった。
相変わらずの少女趣味な部屋。だが、今日ばかりは少し、部屋全体が暗く感じられた。電気がついていないことや、外が曇りだということが原因かもしれないが、とにかく暗い。
「美樹、大丈夫か?」
あまりに暗い雰囲気の部屋で、床に星型のような魔方陣を描き、その中心に鎮座しているという、あまりにも異常な状態。これで大丈夫じゃないかを確認しない人間はいないだろう。
「……問題無いわ。それより、メールに書いてあった黒い塊について話したいの」
いつもの美樹らしからぬ暗く、冷淡にも聞こえる口調。明らかに今日のこいつはおかしい。
「なぁ、本当にだいじょ――」
「あれは、私の生霊……」
俺の言葉が聞こえなかったように美樹は話を続ける。
「あれが、全ての元凶。私の醜い心が雪音を苦しめてるの」
「なんだよそれ……」
「彼女が羨ましかった。憎かった。嫌いだった。そんな醜く酷い私の心が……」
全く話が見えない。なんとなく、今回の雪音の件に美樹が深く関わっていることは解った。
「……だから、全部私が悪いの……私が……雪音を……」
「……」
「だから、私がいなくなれば全部元に戻るはずよ。雪音の前からも、この世界の理からも……」
「……何、言って……」
俺は無意識に拳を固く握り締める。
「……今は力を制御させているだけ……でも、暴走したらまた今回、いや、先週みたいなことが起こっちゃうかもしれない……いえ、あの程度じゃすまなくなる。だから……」
「どういう意味だよ、それ……、ふざけてんのか……」
俺の声はいつもより低くなっていたと思う。
「……本気に……、本気に決まってるでしょ! おふざけでこんなこと考えるわけないじゃない!」
「ふざけてんだろーが! お前は、自分がいなくなった時に俺や雪音、それ以外の友人達がどう思うか少しでも考えたのかよ!」
「そんなの……、そんなの、私みたいな醜悪な存在いないほうがいいに決まってるじゃない!」
美樹の瞳には薄っすらと涙が滲んでいる。
「んなわけねぇーだろ! お前がもしいなくなったら俺は多分発狂するぐらいは悲しむぞ! 雪音だってそうだ。もし、それが自分のためだなんて言われたらあいつは……お前を探してどうかなるかもしれない。お前がいなくなってまともでいられる人間なんて、この世にいるわけねーだろ」
「……だ……だったら……ぐすっ……だったら……ひくっ……どうしろって……」
美樹の瞳からポロポロと涙が毀れる。
「いつものお前がやるような、そんな解決策があるんじゃないのか? だから、一旦落ち着いて考えろ。それに、あの時も似たことを言ったけど、もし、助けがいるなら俺も一緒に悩んでやるから」
「……っく……ぐすっ……でも……それじゃ……ひくっ……」
「でももヘチマもあるか、俺は、お前や雪音が辛そうなのは嫌なんだよ」
あれから一週間ほどで、また、こんな台詞を言うはめになるとはおもわなかった。だが、それは、心からの素直な気持ちだ。そりゃそうだろ、自分の友人同士が辛そうにしていて、思いつめていたりして、苦しんでいたりするのを見て、平気でいられるやつなんているわけがない。すくなくとも俺は耐えられない。そいつらのために何とかしてやりたいと思う。そのためだったら何でもするつもりだし、どんな苦行でも受けてたつつもりだ。
「……ははっ、晃仁にリードされちゃうなんて……。うん、そうだね……。私の生霊をなんとかしなきゃね」
美樹は涙を拭きながら言う。いまだ、嗚咽は収まりきってはいないが、少しは落ち着いたようだ。
再び雪音の家。今日は俺にしてはよく働いていると思う。同じ場所に一日で二回も行くなんて普段ならまず有り得ないからだ。だが、今日は致し方ない。なにせ、明日はとうとうクリスマスイブなのだ。別に楽しみにしているわけではない。だが、このままもし開催されないなんてことになったら俺のこの数日間の準備が水の泡、無駄な時間へと変わってしまうではないか。そんなことにだけはさせたくないだけだ。
「うっわぁ、すんごい邪気ですね」
雪音の家が見え始めた頃、隣を歩くサユリが心底嫌そうな顔で言う。
「そうなのか? 俺には解らないけど」
別に見た目には何一つ変わったところは見られないし、気分的にも違和感などは感じない。
「元々邪念の塊である私にはビンビン伝わってくるんです。こう、凄く怖いって噂のお化け屋敷に入る時や、『心臓の弱い方はご遠慮ください』とか謳ってるホラー映画を見る時みたいななんともいえない不安感や、恐怖感のようなものが……」
「へぇ、でも、元邪念のお前がそう感じるなんて意外だな。俺はてっきり喜んだりするものだと思っていたぞ」
俺がそういうとサユリは心外とばかりに頬を膨らませた後。
「心外です! いくら邪念でもそんなゲームやアニメの悪役みたいにダークなもの大好きなわけないじゃないですか!? 自分で作ったものはともかく、他人が作ったのは嫌悪感を覚えます」
「そ、そうか、それは悪かったな」
「まったく、晃仁さんはもう少しそういうことをお勉強するべきだと思いますよ」
「そうさせてもらうよ」
俺は完全な社交辞令を言う。
そして、そんなことを話している間に雪音の家へと入る。
「あの、すんごく嫌な雰囲気なんですけど、帰ったら駄目ですよね?」
雪音の部屋に続く廊下を歩いているとサユリがそんなことを言ってくる。
「駄目に決まってるだろ」
「ですよね。はぁ、気分が重いんですよ。他人の邪気ってだけで嫌なのに、ものすんごく攻撃的で、鬱屈してて、おまけに陰湿な気配までしてるんですよ。まるで、怒った時の美樹さんみたいなんですよ」
「うるさい。つべこべ言うな。それに、美樹は怒ってもそんなんじゃないだろ」
「えー」
サユリが不服げに唸りを上げる。
「お前らの見方が屈折しすぎなんだよ」
「うー」
サユリが嫌そうに唸り声を上げているが、俺は気にせずドアを開ける。
「なんですかここ、まるで魔窟じゃないですか!?」
言っておくが見た目には全くおかしなところはない。
「そうなのか? 俺には普通の部屋に見えるけどな」
「……いいなぁ、人間は、人外の影響を受けにくかったり、向こうが見せないようにしてたらそのまま見えないし……。羨ましいですよ」
どうやらサユリには相当な光景に見えているようである。怖いもの見たさで見たい気もするがそれはやめておこう。
「よし、始めるか」
「……あ、そうですね」
「えっと、最初は何からするんだったかな」
「生霊さんに具現化してもらう必要がありますね。晃仁さんにだけ見えてないようなものなので、それを解消します」
「でも、なんで俺には見えないんだ?」
「推測ですが、美樹さんは、自分の負の感情から生まれた生霊を晃仁さんに見られたくないんだと思いますよ。それで、無意識に晃仁さんには見えないようにしていたのかもですね」
「なるほどな。で、どうすればいいんだ?」
「今回は私もサポートするので、無にしていただくぐらいに念じてもらえれば大丈夫だと思います」
「なんか、結構無茶な注文をされてる気がするな」
「とにかくやってください」
「あ、あぁ」
そう言われて俺は軽く瞼を閉じる。
「あ、後、具現化したら、ちょっと喋っててくださいね」
「……はぁ?」
意識を降下させようとしているところに飛び込んできた台詞に思わず反応してしまう。
「いや、ユリエと同期して、しかも美樹さんの意識をここにつれてくるのってかなり神経使う上にそれなりに時間かかるんですよ。できるだけ早くするよう努力するので、一分ほどお願いします」
「わ、わかった」
よくは解らなかったがかなり大変なことをするようだ。ならこちらもそれなりに頑張る必要があるだろう。
俺は再び瞼を閉じ、意識を降下させる。
無というのはおそらくほぼ不可能な技術だ。それはそうだろう。人間は常に思考する生物だ。無になろうとそれを意識した時点でそれは無であるはずがないのだ。なぜなら、意識すればそこには思考が生まれてしまう。無意識に意識するなどという矛盾が起こり得ないとするなら無となると意識することは思考につながっているためである。
というふうに思考が張り巡らされてしまい、無には程遠い状態となってしまった。
だが、サユリは「無になれ」とは言っていない「無になるぐらいのつもりで念じろ」と言ったのだ。なんと回りくどい言い方をしているのだろう。要は「真剣に念じろ」ということだ。
では、何を念じるべきか。考える時間も惜しいので、俺は呼びかけてみることにした。
――美樹。
――美樹の生霊。姿を見せてほしい。
――俺はこの状態を打開したいと考えている。だからお前と話がしたいんだ。
――お前がどういう気持ちでこんな状態になり、起こし、なぜ俺に見られたくないと思ったのか、俺はその全てを知りたい。
――頼む。
「……あき、ひと」
眼前から幼げな声が聞こえてきた。俺はゆっくりと瞼を開ける。
「……」
「……」
目の前にいたのは小学校高学年ぐらいの少女だった。これが美樹の生霊ということなのだろうか? だとするとこの姿は美樹の幼少期?
「……美樹、なのか?」
「うん。私自身が畏怖とした頃の自分」
畏怖とした頃?
「本当は晃仁には見られたくなかった。こんな醜く醜悪なものを抱え込んだ姿は……」
『美樹』はそう言うと俯いてしまう。だが、俺には解らないことが増えた。
「なんで、そこまで自分を蔑むんだよ。しかもその頃っていったらお前も楽しそうだっただろ?」
「晃仁には解らないよ。愚かな子供が成長して、その愚かだった頃を見た時の羞恥心や嫌悪感は……」
そう言うと『美樹』は顔を上げ、微笑みをこちらに向ける。それは、かなり悲しげで寂しげに見えた。
「愚か?」
「えぇ、覚えてるでしょ? あの時の私は自分の力を皆に見せていた。それで皆が喜んでくれるならって……、そんな低レベルな思考で……。でもね。それって駄目なことなの。力を持つものはそれなりの使い方をしないといけない。つまり、私は力をひけらかしているだけの愚かな存在だったの」
「……」
どうやら美樹はよほど重い闇を抱えていたようだ。それに対して俺は何が言えるのだろう。いや、言えない。俺は美樹のような性格でなければ美樹ほど力が強いわけでもない。そんな美樹と似ても似つかぬ俺が慰めの言葉などを吐いたところでそれにいかほどの言霊が宿るというのか。おそらく、軽薄の単語と同様、一切言霊を有しないものへとなるだろう。それでは、誰も救えないし、ただの自己満足にしかならないだろう。
「……確かにそうね」
俺が返答に困っていると横から美樹の声がした。だが、横を見たところでそこにいたのはサユリだった。ただ、瞳が青色から茶色に変わっている。これがさっき彼女が言っていた「美樹を連れてくる」というやつなのだろう。
「あの頃の私は、笑っちゃうほど子供だった。だからこそ、神木に呼ばれて直接指導を受けるなんて恐れ多いことを受ける羽目になったのよ」
「……意識の同期。そんなこと」
『美樹』は少し驚いたようにサユリを見る。一方でサユリは自信満々に視線を返した。
「この子とその双対、それから諸々の術やらなんやらでなんとかやったのよ」
「なんでそこまで? あなたなら理由は解ってるはずでしょ?」
「えぇ、まぁね。でも、そこの晃仁に言われたのよ。私と雪音、どっちがいなくなってもだめだって。私は晃仁が傷ついたり、悲しんだり、ましてやそれで駄目になるなんてことは望まないし、はっきり言って嫌。あなたもそうなんでしょ?」
「それは……、そうだけど……、でも、でも! それでこの感情は収まらないでしょ!?」
「……そうね。この拗らせちゃった感情はそう簡単には収まらない。だからこそ、説得に来たのよ」
「説得? 『私』が私を?」
「えぇ」
そこで少しの間、沈黙が降りる。それを破ったのはサユリだった。
「とりあえず、晃仁にことの事情を説明しないといけないわね」
「え? あ、あぁ、頼む」
「私が言うよりは張本人であるあなたから説明してもらったほうがいいかな。お願いできる?」
「構わないわ。要は原因を言えばいいんでしょ。それは意外と単純。雪音が晃仁の傍に再度現れたからよ」
「なんだよそれ」
「そっちの私も含めてできれば言わずにおきたかったのだけど、私と雪音は晃仁のことが好きだったの」
「……え?」
今とんでもない単語がとんだ気がする。だが、俺がそれを問う間すら与えず『美樹』は話し続ける。
「最初は雪音だけが晃仁を好きだった。いや、もしかしたら私もそうだったのかもしれないけどそんな自覚なかった。
で、雪音から晃仁の事を教えてほしいって相談を受けたの。当然、雪音は友達だし、晃仁は幼馴染だから親身になって教えてあげたわ。
そしたら、わたしも……、晃仁が好きになってた……。そこからは、女子にありがちな「お互い頑張ろうね」なんていうこと言ったりして」
『美樹』はそこで一度自嘲気味に笑う。
「で、雪音が転校の時、彼女は私に「私じゃ、アッキーには釣りあわない。彼の隣には美樹いるべきなんだよ」って言ってきたの。
でも、一昨日彼女が来た時、脳裏を過ぎっちゃったのよ「とられるかも」って」
「本当、バカよね。彼女はそんなつもりなかった。ただ、あの子は一度決定した距離感は、固定化して、一切変えないだけなのよ。つまりそれは、私の思い違いだったの」
「本当にそうかな? 雪音が倒れてから晃仁のなかでの私と雪音の比重は明らかに傾いたじゃない。雪音のほうに」
「確かにそうね。でも、晃仁って前からそうなのよ。困ってる人や、助けてあげなきゃいけない人がいたらそっちへふらふらと寄ってっちゃう。いつの時代の主人公よってぐらいのお人好し。それが今回はたまたま雪音だっただけ。で、私と雪音の関係が近かったから偏っているように感じちゃったのよ」
これは褒められてるのか? いや、あまり褒められているようには思えない。
「あなたはそれでいいの?」
「私は……」サユリはそこで一旦言葉を区切り、俯く。そして、意を決したような顔を上げ言った「……それでも構わない。だって、私も雪音もそんな晃仁だからこんなことになったんだもの。それを否定したら私自身の価値観を否定することにもなっちゃうわ」
「そう……。『本体』がそれでいいって言うなら私がここにいる意味は無いわね」
『美樹』は静かにそう言った後、悪戯っぽい笑顔をしながら言った。
「じゃぁ、心の整理がついたって証拠を見せてよ」
「「え?」」
俺とサユリ(美樹)はほぼ同時に反応した。
「そりゃそうでしょ? 心の問題が解決したって言うならそれなりの証拠を見せてくれなきゃ。……そうねぇ、例えばキスとか」
満面の笑みで言う『美樹』。
「キス?! お、お前何言って」
「そ、そそ、そうよ!? こんなところでそんなこと!?」
俺達二人は共にうろたえてしまう。恐らくサユリ本人もかなり戸惑っているに違いない。
「いやいや、これに見合った対価だと思うけど? それぐらいしてよ」
生霊とは言え美樹であることを思い知らされる。顔が完全に悪戯を仕掛けた子供のようだ。
「そ、そ、それは、そうかもしれないけど……」
サユリは俺の方を見つめる。頬を朱に染め、照れてるそれはとても可愛らしいと思えてしまう。
「あ、晃仁?」
「なんだ……」
こちらまで緊張してしまう。
「こ、これは、その、ただの証明で、た、他意はないんだから」
「え? 美樹?」
俺が戸惑っているのを尻目にサユリの顔は徐々に近寄ってきて、柔らかい唇が俺の唇に重なる。
「ふぅ、いいもの見させてもらちゃった。これで私も心残りなく、本体に戻れるわ」
一瞬の口付けが終わり、二人が少し戸惑ったように呆然としていると『美樹』がそんなことを言って消えていった。
「……ん。え? ちょっ! こんなタイミングで元に戻られるとか酷い冗談ですよ!?」
どうやらサユリもサユリに戻ったらしい。
「……」
「あ、晃仁さん!? 後で美樹さんが部屋に来てくれだそうです! わ、私は先に戻りますね!」
そう言うとサユリは一目散にどこかへと消えていった。
「え? おい……」
取り残されてしまった。いまだに残る唇の感触はあまりにリアルで今尚しているのではないかと錯覚してしまうほどだった。




