001 魔王降臨
「ダーダフー、ダーダーフー、ガーストバーダーダーダーフー――」
薄暗い儀式場の中央に誂えられた巨大な魔法陣が光を放つ。その光は魔法陣の中央へと行くほどに強くなり、中心地には光の柱がそびえ立つ。呪文を唱えていた老人がその光に照らされて姿を現すが、ローブのフードを深く被っているためにその顔までは窺い知ることはできない。
「時は満ちた! 今こそ一万年の長き眠りの底から、お目覚めになられるのじゃ!」
老人がそう言って杖を一振りすると、老人の後ろに地面から少しばかり浮くようにして存在していた黒い球形の物体がすぅと光の傍まで移動した。
「貴様は儀式の大事な生贄じゃ、光栄に思うがよい」
老人がそう言葉を掛けたのは球体の中に閉じ込められているディオロン族とゆうこの世界特有の種族で、羽のように折り重なった二対の長い耳という特徴を持つ一族の女性であった。
この世界には大きく分けて四種類の種族が存在する。一つは人間。そしてもう一つはエルフ。三つ目は獣人。そして――魔族だ。ちなみにディオロン族はエルフの一種である。
この世界ではエルフと一言で言っても多様な種族が存在している。四つ耳のディオロン。褐色黒髪のアンジェの民。もちろん我々の良く知っている一般的なエルフ像、単に耳が長いというエルフも存在している。
そして現在囚われの身となっているディオロン族の女性。名はシルフィ=ワーグテイル。女性用の軽装な鎧を着ていることから女騎士といった風貌をしているが、実はこう見えてワーグテイル王国というエルフの国のお姫様だったりする。
通称、ディオロンの姫騎士。
腕はたつが、少々じゃじゃ馬なのがでかい傷。今も後ろで束ねた燃えるような長く赤い髪を振り乱しながら黒球を内側から蹴りつけている。
「こらっ! ここから出しなさいよっ! クソジジイ!」
そして口も悪い。実はこう見えてワーグテイル王国というエルフの国のお姫様だったりする……え? なんで二回言ったのかって? それは忘れやすい……いやいや大事なことだからさ。
「ほっほっほ、元気が良いのう」
その様子を見て老人は愉快愉快と笑うのだった。ひとしきりその様子を楽しんだ後、老人は再び杖を振る。黒球が移動を再開し、光の中へと徐々に入っていった。そして中心地の光の中へと姿を消す。
「ダーダフー、ダーダーフー、ガーストバーダーダーダーフー――」
老人が再び呪文を詠唱し始める。すると、シルフィの手の平にチクリと痛みが走った。どういう仕組みだかはわからないが手の平から血が滴り落ち、その血は黒い球体をすり抜けて魔法陣の中心へと着地した。その瞬間、光の柱がひと際輝きを増し、魔法陣の中心に小さな何かが姿を現した。それは一見少女のような見た目だが、身の丈は十数センチしかなく、背中にはコウモリのような羽を生やしている。その小人コウモリはニタリと邪悪な笑みを浮かべた。それを間近で見ていたシルフィは一瞬背筋に凍りつくものを感じる。この者は危険だ――そう直感が告げていた。
『我は、魔界の代行者、汝魔王の召喚を望む者か』
小人コウモリが脳に直接響くような声を発する。その不快な感覚にシルフィは顔を歪めた。
「はいっ! ワタクシめが魔王召喚の儀を執り行ったのです!」
老人が興奮を抑えきれない様子で小人コウモリにそう告げる。その言葉を受けた小人コウモリは再び邪悪な笑みを浮かべてから口を開く。
『汝、いかなる魔王を所望せんとする』
その言葉に老人は戸惑いを見せる。『魔王を所望』――つまり、自分の望んだ理想の魔王を召喚することができると小人コウモリは言っているのだ。そんなことは考えつきもしなかった老人は、その言葉で今までなかった欲望が沸き上がる。魔王を従えたい。だが、迂闊なことは言えない。ここは熟考するべきであろう。慎重な老人は焦らずに理想の魔王を頭の中でイメージしていく。絶対的な力を持ち、邪悪な意思で世界を破滅と混沌に誘う魔なる王――そしてあわよくば……
「優しいのにして頂戴!」
(そう、あわよくば優しい……ん?)
老人が顔を上げるとシルフィが小人コウモリに向かってそう伝えていた。
(バカめ、生贄の要望など通る訳がなかろう。召喚者はワシなのじゃからな)
老人はその姿を見てせせら笑う。だが――
『あいわかった』
その言葉に老人は目を丸くする。
(まさか――了承したのか?)
「待たんかッ! 召喚者はワシじゃぞ!」
慌てる老人をみて小人コウモリは邪悪な笑みをより一層邪悪に染めた。そして魔法陣の中央から大量の黒い霧が吹き出し、儀式場を満たす。視界が数秒完全に奪われたが、すぐに霧は薄くなり始める。
「くそっ! どうなったのじゃ!?」
老人は視界の悪い中目を凝らす。だが煙の中には既に何もいない。
「ど、どうなったのじゃ!?」
動揺する老人だったか、直ぐにその表情が凍りつく。どこからともなく地獄の底から響くうめき声のような声が聞こえてきたのだ。その声は徐々に大きくなっていき、次の瞬間、祭壇の中央に何かが空から降って来て墜落した。その衝撃で土煙が巻きあがり、視界は再び遮られる。
「つ、ついに……降臨なされたのか?」
老人の緊張がピークに達する。そしてついに煙が完全に消え失せ、魔王がその姿を現す。白い髪、深紅の瞳、そして漆黒の衣に包まれたその姿は――
「こ……子供、だと?」
十四、五歳といった感じの少年の姿をしていた。老人は一瞬虚をつかれるも慌ててその少年に駆け寄る。
「あ、貴方様が……魔王様であらせられますか?」
動揺しながらも、丁寧な言葉遣いで失礼のないように伺いを立てる。すると少年は老人を見て答えた。
「はい。商会から来ました。名刺をどうぞ」
そういって少年は老人に名刺を渡す。名刺には〝魔王、夜之瀬逢真〟の文字が。だが、老人はそれを受け取ると完全に固まってしまった。
「アンタ……本当に魔王なの?」
傍でその様子を見ていたシルフィが疑いの眼差しを逢真に向ける。『優しい魔王』と頼んだはずだが出てきたのは子供。その腰の低い丁寧な対応も魔王らしくは見えない。
「貴方が契約者ですね? 僕は商会から来ました夜之瀬逢真といいます。若輩魔王ですが、よろしくお願いします」
そう言って深々と頭を下げる少年。不意に、何かに気がついたのかシルフィを怪訝な目で見る。
「拘束プレイ……ですか?」
どうらやシルフィが囚われていることに今更ながら気がついたようだ。
「そこの爺さんに捕まってるのよ。アンタの生贄にって」
「え?」
逢真はいまだ固まっている老人をちらっと見たが、興味なさそうにシルフィへと向き直る。しばらく黒い玉を眺めていたかと思うと「なんで……」と呟きもう一度老人の顔を見る。
「あ、能力これしか使えない……召喚したてじゃこんなものかぁ……まあいいや」
しばらく悩んでいた逢真が何かを決めたのか、そんな言葉を呟きながらシルフィの入っている黒い球体に触れるとボソリと呟く。
「三狐神」
逢真がそう言葉を発すると球体が一瞬のうちに霧散し、逢真の手の中へと吸い込まれるように消えてしまった。突然自分を支えていた黒い球体が急に消えたためにシルフィは小さく悲鳴をあげて地面に尻もちをついてしまう。
「あ、ごめんなさい」と謝る逢真を軽く睨みつつ立ち上がるシルフィ。
三狐神。食物をつかさどる神で、稲荷の別名。魔力を喰らう逢真の能力の一つである。
「そんなはずはありえんッ!」
突然の老人の大声に二人は驚いて老人を見る。すると老人は自分の大声で我に返ったのか、ハッとした表情を一瞬浮かべてから逢真たちの方へと顔を向けた。
「な! どうやって影牢から出たのじゃ!」
老人は非常に驚いた様子で叫んだ。
「どうって、こいつが出してくれたんだけど?」
そう言って逢真を指差すシルフィ。それを聞いて老人は目を丸くして逢真を見た。
「いったいどうやって……腐っても魔王と言うことか? まあよい」
そう不気味に呟く老人。もはや逢真を魔王として扱う気すらないのか逢真 に対する態度態度が悪くなっている。
「おいっ小僧。いっしょに参れ」
逢真は促されるままに歩き出そうとするが、シルフィがその腕を掴んで引き留めた。
「バカ! 付いていっちゃだめよ!」
「え? でも来いって」
「だめっ! そいつ悪い奴なのよ!」
シルフィの言葉に困った表情を浮かべる逢真。老人の方に視線を向けると、なんだか物凄い怖い顔をしている。
「これ以上の邪魔は許さんぞッ!」
老人は杖をシルフィに向ける。次の瞬間黒い風が巻き起こり、杖の先でサッカーボール大の塊となる。老人が杖をもう一振りするとその球体が高速で射出されシルフィに衝突した。その瞬間球が弾けるように爆風が起こり、シルフィが数メートルの彼方へと吹き飛ばされてしまう。シルフィは地面に転がり、弾が直撃した腹部を抑えて痛みに悶えた。
「ふんっ、虫けらが」
老人はそう吐き捨てると、逢真に歩み寄って手を取り、歩き出そうとする。だが、逢真はその場を動かない。
「どうしたのじゃ?」と、老人が逢真に声をかけると、次の瞬間頬に強烈な衝撃が加わり老人は後方へ弾き飛ばされた。何が起きたのか一瞬理解できない様子の老人であったが、逢真の突き出している拳を見て逢真に殴られたのだと理解した。
「女性に手を上げる男は屑だと思いますよ」
冷たく言い放ち、逢真はシルフィに歩み寄り彼女を抱き起こす。
「大丈夫ですか?」
「……あんまり大丈夫じゃないわ」
その言葉に力なく笑うシルフィ。取りあえず命に係わる程の怪我ではなさそうだった。その様子をじっと見ていた老人が苦々しげに言葉を発する。
「やはり失敗だったのか……ならば貴様のような者には用はない」
老人は殴られた頬を抑えながら立ち上がり、杖を頭上に掲げて何か呪文を唱え始める。すると先ほどとは比較にならない程巨大な黒い塊が老人の頭上に出現した。
「あ、あんなの食らったら、マジで死ぬわよ」
シルフィの表情が凍りつく。逢真は彼女を抱きかかえながら真剣な顔で黒い球体を睨んでいた。
「あ、アンタ魔王でしょ!? アレ何とかできないの!? あ! そうださっきの! 黒いの吸収したやつでアレも吸い取っちゃえない!?」
シルフィの言葉に逢真は首を横に振る。
「すみません。あんな量の魔力吸収したら僕の体が風船みたいに破裂しちゃいます」
(つ、つかえねぇ~!)
シルフィは頭を抱える。そのとき、逢真がシルフィを抱きかかえたまますっくと立ち上がった。
「安心してください。こうゆう時の対処法は商会の新人研修で叩きこまれています」
微笑みを浮かべながらそう言った逢真。彼の雰囲気が変わった。そのまま足を前後に開き、半身の姿勢を取る。シルフィは唾を飲み込んだ。魔王の必殺技が出るに違いない。きっとそれはこの建物、いや、近くの山さえ消し飛ばす程の強力な攻撃に違いない。そう直感的に感じ取った彼女はギュッと逢真の服を握る。
「戦略的撤退ですっ!」
そう叫ぶと同時に逢真はくるっと踵を返して老人に背を向けて走り出した。ものすごい速度で走る。ひたすら走る。
「って逃げるんかいっ!」
「当然ですよ! 敵に勝てない状況と判断したら逃走を試みるのは基本戦術です!」
シルフィの突っ込みに走りながら答える逢真。その姿に老人はさすがにキレたのか「この偽物魔王めぇ! 死にさらせぇ!」と叫びながら黒い球体を飛ばしてきた。轟音を立てながら背後に迫りくる球体。逢真は前方にある通路へと飛び込んだ。次の瞬間、黒い球体が地面と壁を抉って物凄い爆発を引き起こす。衝突した通路の入り口付近は床も壁も崩れ去り跡形もなく消し飛んだ。
「うはぁ~、間一髪ですね」
後ろを振り返り、戦々恐々とする逢真。シルフィも同じようにして首を上下に動かしている。先ほどまでいた儀式場への入り口は完全に破壊されて通れなくなっているが、瓦礫の隙間から老人の怒鳴り声が漏れ聞こえてくる。
「今のうちに逃げたほうがよさそうね」
シルフィの言葉に今度は逢真が首を縦に振った。
召喚されたのは優しい魔王?
とりあえず姫を攫ってジジイから逃げます。