009 リモーヨの村での戦闘2
「うおらぁああ!!」
力任せの大ぶり、黒い鉈をゴブリンキングは思い切り振りおろす。シルフィは容易くそれを躱して後ろへと回り込む。
「かっはっ!」
思い切り力の乗った蹴りがシルフィの腹部へとめり込み。蹴り飛ばされたシルフィの体が数メートル地面を転がる。
「わざとだよ。引っかかんな、つまらん」
よろよろとシルフィが立ちあがる。
強い。ゴブリンキングはシルフィが思っていたより遙かに強かった。逢真が勝てないと言いきった時も、ミズキがゴブリンキングが国を滅ぼしたという話をしていた時も、シルフィはたかがゴブリンという侮りを捨て切れずにいた。自分が負けるはずないと思っていた。
「うげぇっ、ごほっごほっ」
胃の中の内容物をぶちまける。血は混じっていない。内臓にダメージはあるが、致命傷じゃない。
シルフィは口を袖で拭うとゴブリンキングに向き直り、構えをとる。
「ほぉ、まだ目は死んでないな。いいぞ」
ゴブリンキングは鉈を地面に突き刺し、無手でシルフィに歩み寄る。ごうっ――という音を立ててゴブリンキングの右拳が再度シルフィの腹部へと突き刺さる。左の拳がシルフィの顔を捉える。次の瞬間には右の拳が顔にめり込む。さらに左の拳が腹に決まり。シルフィは棒立ちとなる。
そんなシルフィの右腕を掴み持ち上げ、ゴブリンキングは止めとばかり地面へと叩きつけた。
「弱い……弱いぞ……」
地面にうつ伏せに倒れ込むシルフィはもうピクリとも動かない。ゴブリンキングは興が醒めたとばかりにシルフィに背を向けてミズキの方へと歩き出す。
「油断、したわね」
一瞬の隙。勝敗が決した直後の油断。
最初の一撃で勝てないと見込んだシルフィは即座に自身の自惚れを消していた。恥も外聞を捨て、致命傷を避けることだけに全力を投じて、この一瞬を待った。
「加速!」
世界の速度が遅くなる。いや、シルフィの自身の速度が異常に加速したのだ。飛び起き、ゴブリンキングの後頭部に飛びつく。両腕をその太い首に纏わり付かせ、一気に力を込める。
ごきゅっと嫌な感触がして、首が本来曲がらないような角度へと曲がった。どさっという音とともにゴブリンキングの体が崩れ落ちる。
「……勝った」
よろよろとゴブリンキングから少し離れたところで大の字になって寝転がるシルフィ。ダメージを負い過ぎた彼女はもう本当に一歩も動けない。肋骨が数本折れ、殴られた頬やアゴの骨にもひびが入っている。内臓へのダメージも深刻だった。
「ミズキ……加勢、しなきゃ」
それでも仲間の元へ行こうと体を起こそうとする。痛みで上手く立ち上がれない。
「いい根性だ」
もう泣きそうだった。無理やり半分ほど体を起こしたシルフィの視界へと入ってきたのは、首がめちゃくちゃな角度に折れ曲がったゴブリンキングが、胡坐をかいてこちらを見ている姿だった。
「お前も能力者か。止めを刺す瞬間まで力を隠しておくとは中々面白かったぜ。最初から使ってたら俺の首をへし折ることはできなかっただろう」
ゴブリンキングは自分の首を両手で掴み、無理やり元の角度へと戻す。首の骨が砕けるような嫌な音が鳴ったが、首は元に戻ったようだ。
「とんだ化物ね……参ったわ。あんたは倒せないみたいね」
「やっと諦めたか?」
「でも、私の勝ちよ」
「……どういう意味だ?」
シルフィはニヤリと笑みを浮かべる。
「これは撤退戦。私たちの役目はあんた達の足どめよ。もう十分時間は稼いだわ」
「なるほど、確かに俺たちの種族は足が遅い。人間の足でももう安全域まで逃げてる頃だな」
「そう、後は私たちが逃げれば作戦は終了よ」
得意げにそう言い放つシルフィに、ゴブリンキングはやれやれと溜息を一つ付く。
「その程度のことも考慮しないで戦に臨むと思われているのか」
「……どう言う意味よ?」
今度はシルフィが聞き返す番だった。
「我々の軍勢は約100体。今ここにいるのはその半数の50体余りだ……この意味がわかるか?」
シルフィはその意味に気が付き、顔を青くした。ゴブリンは兵を半分に分け、残りを伏兵とした。ではどこに?
決まっている。戦力のない村の住人が魔物の襲撃を受けたら逃げるは必至。足の遅いゴブリンでは全員とは行かずともそれなりの数に逃げられる。だったら最初から逃げる先に兵を配置しておけばいい。逃げる先などゴブリンの襲ってきた方向と反対の街以外にはない。
「今頃、村人の半数は死んでいるころだな」
むろん男のことだ。彼らの目的は女とこの村自体なのだから。
シルフィは生まれて初めて絶望の味を知った。己の短慮さ、敵を侮って単純な伏兵の存在すら考慮しなかったことに言い知れない悔しさを覚える。
「きさまぁぁああ!!」
叫び声をあげ、加速してゴブリンキングに突っ込む。
「雑魚が」
ゴブリンキングは突っ込んでくるシルフィを無造作に振り払った右腕で弾き飛ばした。
今度こそシルフィは動けなくなる。ただただ憎しみの籠った視線をゴブリンキングへと向けるのみであった。
「終わりにしよう」
ゴブリンキングはそう言ってシルフィに一歩ずつ歩み寄っていった。
「ちょっと待った」
その時、止めを刺そうとシルフィに近づくゴブリンキングに制止の声を掛けた者がいた。
ゴブリンキングが声の方へを顔を向ける。そこには一人の少年が立っている。
「村人か? 逃げ遅れがいたのか? わざわざ出てくるとはな」
弱者は弱者らしく逃げ、隠れ、怯えて過ごせばいい。己の分も弁えずにこんなところに出てくる少年の義憤に呆れたのか、また一つ溜息をつく。
「また会いましたね」
「なんだと?」
少年の意外な言葉にゴブリンキングは少年をもう一度よく観察するが、如何せん魔物から見ると人間はどれも似たような姿に見えるため個体差がよくわからない。どこかで会ったと言われても人間の知り合いがいるでもなければ人間の街に出入りできるわけもなく、出会った人間などほとんど殺してきた彼からすれば自分を知っているということ自体が疑問なことだった。
「すまんが、俺はお前のようなガキは――いや、まてその白い髪、しかしそんなはずは」
少年の白い髪をみて、最近出会った少年を思い出す。しかし、それはあり得ないことだ。その人間はつい半日も前に殺しているのだから。ここにいるはずもない。
「あの程度で死ぬと思われていたとは心外ですね」
少年はゆっくりとゴブリンキングへ歩み寄る。
「生きていたと言うのか? あの致命傷で――」
そこまで言ってゴブリンキングはあることに気がつく。自分たちを囲っていた配下がすべて倒れていることに。
「――ただの人間じゃないようだな」
ゴブリンキングは警戒して鉈を地面から引き抜いた。
「自己紹介がまだでしたね。失礼しました」
そう言って少年は両手を大きく左右に広げてその存在を主張する。
「――我が名は逢真。この世界を支配するために降臨せし厄災の魔王。我が存在にひれ伏し、畏怖せよ異界の下等生物共よ」
その少年は白髪、紅眼。漆黒の衣装に身を包み、二コリと笑った。
「命乞いなら受け付けていますよ?」
この日、この時から魔王逢真による世界の侵略がはじまった。