025 私の記憶の引き出し
「ちょ、ちょっと宜しいでしょうか? お二人に聞きたい事があるんですが」
路地に入ってきたのは鈴木百合香だった。
困惑した表情でゆっくりと桜たちに近寄ってくる。
「聞きたい事? って言うか、なんであんたがここにいるの?」
ずんと一歩前に出た未來が問いかけた。
「それは……」
狭い裏路地に女子高生が三人。
互いに微妙な距離を取りながら未來と百合香が向かい合う。
「……ついてきました」
「ついてきた?」
いつからついて来てたんだろう? っと、ここでふと思い出す。
未來とホテルの前で言い合いをしていた時の事。そう言えばこの子と同じ制服の子がいた!
顔は見えなかったけど、まさか……
「そ、そうです……ついてきました。学校からずっと」
困惑しながらもちょっと赤くなった鈴木さんの頬。同時に熱くなる私の顔。
あなた、何か変な事を考えてますか? 私と未來はそういう関係じゃないからね?
「ごめんなさい、お二人の……邪魔をしてしまって……」
私と未來を交互に見てる感じ。うん、絶対に何か勘違いしてそうだ。
「いや、別に邪魔じゃないけど? 別にここで何かをしようって思ってた訳じゃないし。でも何? いまさら何を聞きたいのかな? 桜が処女かどうか知りたいの? それとも軽巡洋艦と重巡洋艦との違いが知りたいとか?」
カーッと真っ赤になる鈴木さん。
いや、そこは私が先に照れなきゃでしょ! あと、軽巡洋艦とかの話ってスルーだよね、やっぱり。
「ええと、私が聞きたいのは巡洋艦の違いじゃなくって……」
そっちだった! でも、そっちに照れる要素あった?
「でも重要だよ? WWTやるなら知ってた方が面白いし」
未來も話題をそっち方面にしないでっ!
「そ、そうなんですか? でも私はそういうのに興味ないし、で、えっと……あっと……」
ほら、会話が脱線して混乱してるじゃないの。
「未來、話を戻して! 駆逐艦とかいいから」
「何で? ははーん、もしかして桜は鬼畜艦が好きなの?」
えっ? なにその新しい船。鬼畜艦? 陵辱艦もあるのかな? ヤダソレコワイ……
「あのさ、桜ってどっちかというとMだよね」
「え? ま、待って! お船の話はどこへいったの?」
鬼畜艦はどこへ? って私の頭には艦隊なんて浮かんでないんだけどっ!
浮かんでいるのは……(R指定です。ご自由のご想像ください)
「えっ? Mってお船の話だよ? M級駆逐艦 って知らない? 第二次世界大戦でイギリス軍がつかってた駆逐艦だよ?」
初耳です! どんだけ軍事オタクなの?
「いやいや、普通の女子高生が知ってる内容じゃないでしょ?」
「あ、あのぉ……」
「今の女子高生の旬は艦娘なんだよ? 知らないの? 擬人化させたやつ」
「ええと、戦車は? あんなに好きだった戦車はどこいったの?」
「あのぉ……」
「馬鹿! 戦車は好きに決まってるでしょ? 私は大洗に行って戦車道を極めるんだもん! ぱんつぁー!」
「いや、ええと、それってゲームと違う方向性になってない? それはアニメだよね?」
「ええと、話を聞いてもらえますか?」
「アニメでも良いじゃん! コラボしてるし!」
「いや、いいけどさ」
「でしょ? だから桜も」
「話を聞いてよ!!!!!!」
「「!?」」
驚いた。すごく大きな声に驚いた。
未來と私は二人で鈴木さんの方を見る。すずきさんは恥ずかしかったのか真っ赤になっていた。
「鈴木さん?」
「は、話を聞いて欲しいんです! お願いですから!」
「な、なに? 私と桜の間に割り込もうって言うの?」
「そうじゃないです!」
やけに未來が鈴木さんに強くあたっている。
なんだか鈴木さんが可愛そうだ。
「未來、もういいから聞いてあげようよ」
「桜までそんなこと言うの? 私よりこの娘を取るって言うの!?」
そこでハンカチをわざわざ出さないで! それも私のあげたキャラクターの奴!
そしてハンカチを噛まないの! あなたは昼ドラのヒロインですか!
「未來、そういう冗談は今はもういいからさ、とりあえず鈴木さんの話を聞こうよ? 本当に、ね?」
「そんなのつまんない。それにもう鈴木さんと話す事はないでしょ?」
「そんな事ないでしょ? わざわざ追いかけてきてくれたんだよ? それに聞きたい事があるって言ってるんだよ?」
わらにもすがるような目で鈴木さんは私を見ている。
なんとか助けてあげたくなる。
「でもさ、ついて来てってお願いしてないよ?」
「そうですね。確かについて来たのはご迷惑だったかと思います……だけど本当に聞きたいんです」
鈴木さんはすごく縮こまっている。本当に恐縮そうにしている。
「いこうよ桜。もういいじゃん」
そして未來は私の手を引っ張ってその場を後にしようとする。
だけど私は拒んだ。未來の手をぐっと引っ張りなおした。
こんな顔をした女の子を残してなんてゆけない。
「桜……なんで?」
「鈴木さんが聞きたい事があるって言ってるのに、その態度はないんじゃないかな? そんな未來は嫌いだよ」
「……っ」
未來はムッとしたまま私の手を離した。何をそんなにイラついてるんだろう?
私が鈴木さんと話しをするのにここまでイラつく事ないはずなのに。
「鈴木さんごめんね? で、聞きたい事って何かな?」
もしかして何か思い出したのかな? もしかして私と付き合っていた記憶とか?
「えっと……さっきそちらの方が言ってましたよね? 私が誰かと付き合っていたと」
鈴木さんは未來の方を向いた。未來も鈴木さんの方を向く。
「あ、ああ、言ったよ? でも覚えてないんでしょ?」
相変わらずツンとした反応をする未来。
未來の言葉にさらに困惑した表情になる鈴木さん。
「あ、あの! 本当にご迷惑かもしれないけれど、それでも知ってたら教えて欲しいの! 私が付き合っていた相手って誰なのかを!」
「「えっ?」」
私は未來と見合った。そして再び鈴木さんを見る。
「鈴木さんはつきあっていた自覚はあったの? 覚えてたの?」
未來が眉間にシワを寄せて鈴木さんを睨んだ。
「はい……あります。誰かと恋人関係だった記憶が」
「でもさ、さっきは何も答えなかったじゃん! 何でよ?」
言葉にトゲがある未来。本当に攻撃的だ。
「あ、あんな場所では答えられなかったんです」
「でもさ、何で今になって聞いてくるのよ?」
「それは……」
「もうそれは解決したからいいよ。要するに覚えてないんでしょ? 桜だってもういいって言ってるからさ。ね、桜」
鈴木さんに対する未來の強めの言葉は続いた。少し怯えるような表情になる鈴木さん。
「未來、ちょっとは抑えてあげてよ。鈴木さんが怯えてるよ」
「でもさ、答えようがないじゃん。それとも……言うの?」
未來はちらりと鈴木さんを見た。
「……言わないけど」
少し困った表情になる未來。
「だったらどうするのよ?」
「……そうだね」
私が元の恋人だなんて答えられるはずもない。未來が困るのはもっともとだ。
「お二人は何かを知っていらっしゃるんですよね? さっきから言わないとか言ってますが、それって私の恋人に関わる事なんですよね? じゃないとわざわざ私に聞きに来たりしませんよね」
「落ち着いて、鈴木さん」
「お願いです……教えてください……」
鈴木さんは深く頭を下げた。とても辛そうに震えた。
「ご、ごめんなさい。私たちも詳しくは知らないんです」
そう答えるしかなかった。やっぱり私が元は男で恋人だなんて言えない。
「私は恋人がいたんです。でも思い出せないんです。一緒に行ったデートの記憶も残っているのに相手はまるでモザイクがかかったように思い出せない。相手の名前も格好も住所も、そして顔も思い出せないんです……」
顔を上げた鈴木さんの瞳が潤んでいた。
「好きだって気持ちがこんなにも残っているのに!」
グサリと胸に言葉が刺さった。なんだろう、すごく辛い。
「お願いです! 教えてください! 私は……私は……誰と付き合っていたんですか?」
何度聞かれても答えらない。だって、私に自覚がないんだもん。
「ごめんなさい……」
「……そうですか」
意気消沈する鈴木さんを見ていた未來が口を開いた。
「いいじゃん! もしかすると思い出す……「未來!」」
私はさっと手を未來に向かって突き出した。
「さ、桜……」
「今は黙ってて!」
「話してみればいいじゃん! なんでここで躊躇するのよ!」
確かに、私は男だった証拠を探していたのだがら、鈴木さんが私と付き合っていた可能性がるのだから、ここで躊躇する必要はないかもしれない。
だけど、鈴木さんが恋人を覚えていない。私も覚えていない。
ここで私がなんて話しをしても、鈴木さんはただ混乱するだけだ。
「やっぱり何かを知っているんですか?」
「ううん、たぶん鈴木さんの役にはたてない事だよ」
「さ、桜」
「未來、もういいよ。何も知らない私たちが鈴木さんにこれ以上話せる事はないでしょ?」
「知らないんですか? お二人は本当に知らないのですか?」
本当に辛そうな鈴木さんを見ていて、私の心はこれでもかってくらいに痛くなった。
なんでだろう? 私は未來の告白は記憶は思い出したのに、なんで鈴木さんとの記憶は思い出せないのだろう?
自分がなんだか嫌いになってきた。
私にとって鈴木さんは何でもなかったのかな?
違う。それはない。そうじゃなきゃ私は……最低だよ。
「ごめんなさい……鈴木さん……ごめんなさい」
「桜?」
視界が曇る。そう、私はいま泣いてるんだ。
悲しいよ。すべてが悲しいよ。鈴木さんを思い出さない自分も、鈴木さんが思い出そうとして思い出せない姿も。
ああ、辛いよ……辛いよ……どうしてこうなったんだろう?
「な、なんで泣くん?」
聞き覚えのある方言。なんだろう? ここまで何かが込み上げて来ているのに……だめだ。
「泣かんでよぉ……うちも悲しくなるよぉ……」
鈴木さんが私に寄った。そして私の肩にそっと触れる。
「鈴木……さん……ごめんなさい」
肩に伝わる暖かさ。その瞬間、何かが心の奥から湧き出そうになる。
さっきよりも強く何かが溢れてきそうになる。
だけど、やっぱりハッキリとしたものは思い浮かんでこなかった。
鈴木さんは他人じゃないって事だけはなんとなく思い出せるのに、恋人だった記憶は思い出せない。
「ほんと、なんで泣くん? なんであなたが泣くん? うちの方が泣きたいのに……やめてよぉ」
そして鈴木さんもついに泣きだしてしまった。
「ごめんなさい……」
「謝まらんでっていっちょるじゃん……うぇぇん」
そして困惑する未來を他所に、私と鈴木さんは抱き合って泣いた。
心に込み上げる何かが結局は思い出せないまま。




