014 俺の予定通りには物事は運ばない
玄関扉から入った俺の後ろからは、未來の声が聞こえていた。
でも、俺は後ろを振り向かずに玄関を閉めた。
ドアをたたく音が数回して、しばらくドア越しに未來の声が聞こえていたが、五分もしないうちにそれは聞こえなくなった。
どうやら未來はあきらめて家に戻ったらしい。
「はぁ……」
俺は小さく息を吐いて、玄関に背中を預けた。
ずるずると落ちる自然と体育座りになる。
冷たいドアとタイルの感触が背中やお尻に伝わる。
その伝わる冷たさ以上に、俺の胸は痛んだ。
苦しい。未來の事を考えると苦しい。
好きとか嫌いとかそういうんじゃない。
うまく表現できないけど……苦しかった。
俺はぐっと胸を押さえた。
これまで生きてきて存在しなかった邪魔な物体がそこにあったが、それでも俺は胸を押さえた。
高鳴る心臓がドキドキと俺が生きているって証明してくれている。
要するに、こいつは今の俺の生きている世界が現実だって言っているんだ。
わかってんよ……もう理解してるから落ち着けよ心臓。
やっぱりこれは現実なんだろ? わかってんよそんなの。
「くっそっ! でもやっぱ納得できねぇ……」
なんで俺は……女なんだろう?
なんでいまさら女なんだろう?
やるせない気持ちがぐっとこみ上げると同時に、未來の笑顔が脳裏に浮かんだ。
ごめんな、未來。
★☆★
「ただいま……」
いつまでも落ち込んで玄関にいる訳にはゆかない。
俺はリビングドアを開けて声をかける。
しかし返事は返ってこない。と言うよりも薄暗い。誰もいない。
そう言えば、母さんたちは引っ越しの手配とかいろいろあるからって言ってたのを思い出した。
「ん? この匂いって……」
リビングにはハンバーグの良い匂いが漂っていた。
そして、見ればダイニングテーブルには俺の好物のハンバーグがおいてあるじゃないか。
「なんだよ、冷めてるじゃん……母さんめ」
デミグラスソースのかかった冷めたハンバーグを見ながら思わず微笑んでしまった。
だって、母さんってハンバーグ超絶作るの苦手なんだよな。
「何年振りかな、母さんの手作りハンバーグは……」
俺は静まったダイニングで晩ご飯の冷めたハンバーグを口に運びながら時計を見た。
もうすぐ八時になる。そろそろ出かける準備をしないといけない頃だ。
今だに母さんも親父も戻って来ていない。
しかし、これは俺にとっては好都合だ。
親に怪しまれる事なく正々堂々と外出ができるからだ。
まぁ、いても何とか言い訳はできるんだけどな。
「よしっ」
俺は部屋で着替えると部屋を後にした。
★☆★
薄暗い住宅街を俺は歩いて約束の公園へと向かう。
いつも歩き慣れたいつもの住宅街を抜ける。
夜になっても特別何がある訳でもない住宅街。
もちろん昼間だって何もない。
変わった事と言えばここ最近になって数件ほど建て替えをした程度だ。
その程度の変化しか起こらない俺の住む街。
本当に普通で面白みのない街だけど、それでも俺はこの街が好きだ。
なんて、今になって思ってるだけだけどな。
だけど……俺はこの街から出てゆく。
俺が女になったから、親父たちが気を利かせてくれて人生をリセットさせてくれる事になったから。
まぁ、リセットと言っても、男で過ごした18年が消える訳じゃない。
18年間の記憶はずっとずっとこの街で俺に関わった人々の脳裏に残る。と思う。
思うけど……でもきっといつか忘れ去られるんだろうな。
人間の記憶なんて薄れてゆくものだから。
でも仕方ない。だってそれは偽りの俺の記憶なんだから。
本当の俺は……女なんだ。
あの男だった俺は嘘の俺なんだ。
もう存在しないんだ。
そう思うしかないって言い聞かせた。
そして、俺はこれから先は女としての人生を歩む。
この街で過ごした想い出は、本当の意味での想い出へと化すのだ。
未來と過ごした時間も想い出になるんだ。
もちろん百合香と過ごした時間も。
そんな事を考えている間にターザン公園に到着した。
ターザン公園。
それは百坪くらいしかない小さい公園だ。
昔は多少の遊具があったのだけど、子供が怪我をするとかなんとか言って、結局はベンチしかない空き地になってしまった。
ターザン公園の由来になったぶら下がりロープももちろん無い。
俺は現在の親どもに物申す。
いいじゃないか。子供なんて怪我してなんぼだろ!
俺なんてブランコから落ちたからブランコから落ちると痛いって勉強したんだ。
そうだ! 何事も経験だろ!
でも……俺にとって18年の男性の経験は必要だったのか?
うーん……まぁ、いやな経験じゃなかったけど。
だけど、その分俺は女性としての18年の経験がない訳だよな?
……生まれて最初から女だったら、俺ってこういう性格になってなかったのか?
こういう人生を送っていたのかな?
もしかして、超絶なお嬢様になってたり?
いやいや、不良になってたかも?
それはないか。親父って怖いしな。
でも、最初から女だったら、今の俺は本物の俺じゃないのかもしれない。
そんな下らない事を考えながら中央に設置されたベンチに腰掛けた。
「あと五分で九時か……未來の奴くるかな……」
「こんばんは、桜花ちゃん」
「ひゃっ!」
携帯電話の時計を見たと同時に未來が目の前に現れたジャナイカ。
どっから現れた? 俺、気がつかなかったんだけど?
「何を驚いてるのかな? さっきから目の前に立ってたんだけど」
「えっ? マジ?」
「マジだよ」
どうやら、俺が考え事をしていたせいで未來の存在に気がつかなかったらしい。
どんだけ俺は物思いにふけってたんだ?
「そ、そっか……すまん」
「で、早速なんだけどさ……って、桜花ちゃん……」
未來は俺の服装を見て話しをやめた。
なんだよ、早速気がついたのか?
「どうしたんだ?」
「あのさ、それってさ……その服ってさ……桜のだよね?」
未來はどうやらこの服を俺のだと覚えているらしいな。
「ああ、これはお前と中学校の時に一緒に買い物に行った時に買ったやつだよ」
「えっ!?」
暗闇の中でも未來の動揺が感じ取れた。
「な、なにを言ってるのかな?」
「だから、俺と一緒に買いに行っただろ? 大宮に」
「いや……えっと……桜から聞いたの?」
「あの日は雨だったからさ、大変だったよな。傘を持って行ってなかったしな」
「あ、あのさ聞いてる? その話って桜に聞いたの?」
「でもってさ、お前がICカード落とすしさ、駅に落ちてたいて見つかったから良かったけどさ」
「お、桜花ちゃん! 私の話を聞いてるの!?」
「なんだよ? 聞いてるよ」
「じゃあ、なんで答えないの?」
「だって、桜から聞いたんじゃないからさ」
「じゃ、じゃあどうやって知ったの?」
「どうやってて、それを説明する為に未來に来て貰ったんだ」
「あ、あのさ……桜花ちゃんて桜のなんなのよ? なんて言うか、なんでそこまで知ってるの? もしかしてどっかに桜が隠れていて遠隔で桜花ちゃんに情報を与えてるとか? それで私を馬鹿にしようと思ってるとか?」
そう言った未來は怒ってはいない。
いつもの未來からは想像の出来ないレベルでなぜか未來は怯えていた。
怒ったり、疑ったりするかと思っていたのに、未來は怯えていた。
何かに恐怖するように。
「それはない」
「嘘だよ……じゃ、じゃあ、その時のお昼ご飯は?」
「マグロナルドだな」
「……即答だね」
「だって、俺は桜だからな」
未來が硬直した。
「あ、あはは……冗談でしょ」
「冗談じゃない」
「ぜ、絶対にありえない!」
未來がゆっくりと首を振った。
「違うって……桜はあなたじゃない! 桜は……桜だもん! なんで桜花ちゃんが桜なのよ!」
未來はこの現実を受け止めたくないみたいだった。
だけど、俺が桜なのは本当だ。嘘じゃない。
未來にはこの現実を受け止めてもらうしかない。
俺だって、本当はこんな現実……受け入れてほしいなんて思ってないんだぞ。
「未來、しっかり聞けよ」
「やだっ!」
未來は両耳をふさいだが、俺が無理やりその両手を離させた。
「な、なにするのよ!」
「聞け! 俺が桜だ! お前の幼馴染で……お前とずっとずっと遊んでいた幼馴染の桜だ!」
「嘘だ!」
「本当だ!」
「な、なんなの? このドッキリなんなのよ? 私をだましても良い事ないよ? カメラはどこよ?」
「聞け! いきなり信じろって言わない。だけど信じてくれ。俺だって自分で信じたくないレベルなんだよ。でも、だけど、俺は桜なんだ! 嘘じゃない!」
「嘘だ!」
「嘘じゃない」
「嘘だよ!」
「嘘じゃねぇよ! ほらっ! お前と小学校の時に遊んでて枝が刺さった左腕の傷もある!」
俺は携帯で傷あとを照らす。
「そ、そんなの特殊メイクよ!」
「俺がそんなのできる訳ないだろうが!」
「じゃ、じゃあ、アメリカ巡洋艦のシムスは何口径の主砲を装備してか言ってみてよ! わかったら信じる!」
「な、なんだよそれ! 普通にわかんねぇよ! なんで軍事クイズなんだよ!」
「や、やっぱり嘘だ! 桜じゃない!」
「だから、俺はそっち系はまったくわかんねーの!」
「嘘だ! だって、桜は中学校の時に戦車ゲームにはまってたじゃん」
「戦車? もしかしてあれか? 前にお前が遊びに来た時にやってたやつか? あれは友達が面白って言うから少しプレイしてただけで、お前が俺の部屋で見た数日後にはやめたの!」
「う、嘘でしょ?」
「嘘じゃねぇし! 俺はああいうのは3D酔いするからダメなんだよ」
「じゃあ、私がわざわざ戦車ゲームのためにパソコンを買ったのは無意味だったの?」
「は、はぁ?」
首をゆっくりと振りながら未來が頭を抱えた。って言うか、お前なにしてんのさ?
そう言えば、あの後にパソコン買ったとか言ってた気はするけど……
「一生懸命戦車も覚えたのに……」
「な、なにを言ってるんだよ?」
もしかして、いきなり軍事オタクになったのって俺が要因なのか?
そう考えると急に顔が熱くなってきたジャナイカ。
いや、そうだよ。こいつ俺が……好きなんだった。だから?
「桜の興味がある事に興味を持ちたかったからじゃん!」
そ、そうだ……俺ってやっぱりこいつとは中学の時に両想いだったんだ。
申し訳ない感が俺の脳内を入り乱れる。
「ごめん……なんか……うん、すまん」
そして気が付けて頭を下げていた。
「……なんで桜花ちゃんが謝るのよ?」
「だって、俺が桜だし、要するに俺の責任でお前が変な趣味を持った訳だし……」
「……別に謝らなくてもいいよ。私だってそれなりに面白かったし……さ」
「そ、そっか……」
そしてゆっくりと頭を上げると、そこには涙をぼろぼろと流す未來の姿があった。
「うぅ……」
「未來?」
「なんなのよ……」
「おい」
「私、信じたくなかったのに……なんでこうも自然にそんな会話ができるのよ……ひどいよ……これじゃ……あんたが桜……桜だって信じるしかないじゃん……ないじゃん……」
両手であふれる涙をぬぐいながら未來は声を震わせていた。
俺はここまでぼろ泣きをする未來を見た事がない。
「うわーーーん!」
未來はまるで子供のように大声で泣き出した。
そしてそのままぺたりとコンクリートの地面に座り込んだ。
「未來……」
いつの間にか俺の視界がぼやけていた。
原因は言わなくってもわかるよな。
「馬鹿、馬鹿、馬鹿っ! こんなのありえないでしょ! アニメ? 漫画? 夢? 妄想? なんで? なんで? なんでなの? なんで桜が女の子になったのよ!」
「違う……違うんだよ……俺は女になったんじゃないんだ……」
「へっ?」
泣きながらきょとんとする未來。
「俺は最初から女だったんだって……そう言われたんだ……」
「な、なによそれ?」
「お、俺だって……わかんねぇ……信じたくない……でも……俺は……ごめん、ごめん、本当にごめん、女だったんだよ。ごめん……男じゃなかったんだよ……」
俺は両手で顔を覆っていた。
信じられないくらいにあふれる涙が手の隙間から地面に落ちてゆく。
止まらない。もう自分の意志でどうこうなる問題じゃない。
言葉も出ない。嗚咽をあげてしまう。
だけど、こんなんじゃだめだって鼻をすすった。
「……どういう事? なにそれ?」
「い、いろいろあった……説明……うまくできない……今は無理」
「でも……でも……嘘だよ。あれ? 訳わかんないよ? 桜は女の子?」
「俺もわけわかんねぇよ……」
「う……うぅ……」
「未來……」
「わ、わかんないよぉ……」
そしてまたしても未來が声をあげて泣き始めた。
そして気が付けば俺は未來と抱き合って泣いていたのだった。
おかしいな、こんな展開予想してなかったのに。
もっとシンプルに俺が桜だって伝えるはずだったのに。
もっとシンプルに関係が終わるはずだったのに。
どうしてこうなるんだ?




