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バケモノ姫の○○騒動  作者: 長野 雪
バケモノ姫の嫁入り騒動
16/35

【小話】バケモノ姫の手料理騒動

 カタカタゴトゴトと馬車が走る。


(馬車が違うだけで随分と快適なのね)


 前から後ろに流れて行く景色を眺めながら、ユーディリアはそっとため息をついた。

 母国レ・セゾンからセクリアへと輿入れに向かっていた時は侍女と共に車内の揺れに辟易していたものだ。馬車の扱い手がドニーでなければ、もっと揺れていただろう。


(あの馬車も、懐かしいのだけれど)


 あの時はブリギッテと馬車の揺れを笑い飛ばしていたと思い出し、つい顔が緩んだ。


「―――楽しそうだな。それほど母国に帰るのが待ち遠しいのか」


 隣から聞こえた硬質な声に、ユーディリアはぴっと気を引き締めた。


「帰るだなんて人聞きの悪い。条約締結のために行くのでしょう?」


 とは言え、久しぶりに父親に会うのも事実なので、どこか浮かれてしまっているのは否定できない。

 鉱山国セクリアの第一王子への輿入れに向かったユーディリアが、最終的に大国ミレイスの第四王子リカッロと婚姻を結ぶことになってしまってから、1ヶ月。ようやくユーディリアの母国レ・セゾンとの正式な取り交わしを経て、ユーディリアの身の上が決定するのだ。略奪された姫君という立場は、正式な友好の証としてやや異なったものになる。ミレイスの属国という立場に未だ内乱の気配が見え隠れするセクリアには、大きな一歩となるだろう。


(―――ということは、わたしも勿論わきまえているし、将軍やリッキーにも言い含められていることだけれど)


 何かと口の悪いこの『旦那様』と上手くやれるかはまだ不安である。


「出発前にも言ったが、言動には気をつけろよ」

「分かっていますわ。会談の地と定められた国境地点に到着するまでは、わたしとあなたはとある商家の夫婦。―――そういうことでしょう?」


 道中の安全を鑑みて、リカッロとユーディリア、そして馬車を守る護衛は、そういう設定となっている。王城にリカッロ王子が不在であることを気取られないためにも、副官であるボタニカを残しているのだ。

 朝早くに王城ではなく城下から質素な馬車と護衛4名で出発し、今はもう国境にほど近い所まで来ていた。明日の会見に備え、国境近くで一泊するのだという。


「ところで」


 考えごとをしていたユーディリアは、いきなり声をかけられて「なんですの?」と反射的に応えた。

 ちらり、と隣に目をやれば、商人風の出で立ちをしたリカッロが、いつも以上にイイ笑顔を浮かべている。それを見たユーディリアは、イヤな予感しかできなかった。


「レ・セゾンでは、食事を作るのは当番制と言っていたよな?」


 ぐ、と言葉に詰まる。そういえば、そんな話もしたかもしれない。伝統と歴史と異能だけがウリの母国は、お世辞にも台所事情が豊かとは言えなかったのだ。

 そのため、ユーディリアも彼女の兄弟姉妹も王族としての仕事の他に内職仕事を嗜んでいた。ユーディリア自身は刺繍で銭を稼いでいたし、彼女の何番目かの兄は代書をしていた。叔父に至っては、場末の酒場でピアノを弾いている。

 来賓を招く時を除いて、食事は当番制だったのも、常時料理番を置いておけるような懐事情ではなかったためだ。


「そのようなことまで、お伝えしましたかしら?」


 何を言われるか分かったものではない、とユーディリアはそらっとぼけた。何も、父親に会う直前にそんな話をしなくても、とも思う。


「あぁ、確かに聞いたな。それで、だいたい何人分を作ってたんだ?」


 相手はどうやら、どうしてもこの話題を続けたいらしい。

 諦めて、何人分だったかを数えようとして―――


「その日によって量は違いましたけど、少なくとも10人分以上は作っていましたわ。それがどうかしまして?」


 その答えに満足したのか、リカッロは「そうか、なら楽勝だな」などと不穏な台詞を吐いた。

 イヤな予感におののきながら、ユーディリアは辛抱強く続く言葉を待つ。こんなため息も聞き漏らさないような密室でなければ、彼女の相談役達に助けを求めたいところだ。だが、視線からバレるのを恐れて出発前に顔を見せないよう言い含めたので、おそらくは出てこないだろう。


「今日の夕メシは、お前の手料理だ」


 一拍のち、ユーディリアは理解を拒否しようとする言語中枢に平手をくらわせて、無理矢理に声を飲み込んだ。

 反論を口にしようか。結局言いくるめられてしまうのだからよそうか。疾走する馬車の中で悩む羽目になったのである。



 ◇  ◆  ◇



「あと、そちらの芋を見せていただける? あぁ、そうね、その中から5つほど選んでくださいな」


 その若奥様は、慣れた様子で野菜を選んでいた。斜め後ろにいるのは、身なりからしてその旦那だろうか。

 店主は見慣れないその客を観察しながら、言われた通りに芋を詰めていく。


「まぁ、とても瑞々しいチシャだわ。ねぇ、これはおいくら?」


 若奥様はどこかおっとりとした様子で尋ねて来る。店主はその身なりを一瞥してから2割増の値段を口にしてみた。


「あら、思ったよりも値が張りますのね。今年はそんなに不作ですの?」


 若奥様はどうやら裕福に見えて目はしっかりとしているらしい。店主は小さく肩をすくめる。


「ねぇ、旦那様。明日の朝食も振る舞いますの?」

「ん? あ、あぁ、そうだな」

「でしたら、ねぇ、そちらのベリーも1籠買いますわ。最初の芋と合わせて、そうですわね―――」


 若奥様の口から出た、実に的確な値段に、店主は小さくため息をついた。これでは儲けは当初より少なくなってしまう。でもまぁ、まとめて買ってもらえるならば、おまけしても仕方ない、と最後には諦めた。


「まぁ、ありがとうございます。―――あ、そうだわ。ついでに、肉類と穀物を扱っている店を教えていただける?」


 やっぱりこの町に不慣れな一見の客だったか、と納得して店主は自分の馴染みの店を口にした。あとで仲介料として酒の一杯でも要求してみるか、とか思いながら。



 ◇  ◆  ◇



「今まで半信半疑だったが、本当だったんだな」

「今更ですわね」


 6人分の夕食および朝食の材料を2人で分けて運びながら、その若夫婦はどこか険悪とも言えるような雰囲気で言葉を交わしあっていた。


「まさか、値切り交渉までするとは思わなかった」

「先に大ざっぱな予算を口にしたのはあなたでしょう?」


 ユーディリアのセリフに、まさかもっと質素な食事を想定していたとは言えないリカッロだった。この材料では、当初の予定よりも随分と豪華な夕食および朝食となる。明日の朝イチでミルクを届けてもらうよう交渉したり、余裕のない予算であるはずだったのに嗜好品である茶葉代まで捻出してしまった手腕を見ると、本当に王家直系の姫君なのかと疑いたくなった。


「でん、……旦那様! 奥様!」


 行く手から声を掛けて走って来たのは護衛の2人だった。


「あまり無茶をなさらないでください」

「そうです。もう少し危険を考えて―――」


 毒殺や襲撃を警戒して、敢えて宿には泊まらず、空き屋を借り上げて宿所と定めたリカッロは、荷物の搬入と馬の世話などで忙しく動いていた護衛の目をかすめ、ユーディリアを連れ出していたのだ。

 中の下ぐらいの商家を装っていたため、護衛がついて来るのは逆に目立つから、とユーディリアにうそぶいていたが、やはり護衛の許可は得ていなかったらしい。

 到着と同時に空き屋の厨房や器材を確認していたところを連れ出されたユーディリアも、(やっぱり、おかしいと思った)とちらりと隣の相談役たちを見た。護衛代わりの将軍は『そうであろうな』とヒゲを撫でつけ、買い出しのセリフ指導をしてくれたベリンダは『あらあら』と面白そうに瞳をきらめかせ、値段チェックをしてくれたリッキーは『町を見て回れたからいいけど』と素知らぬ顔だ。


「だいたい、お一人ならともかく、ひめ、奥様を連れてなど」

「荷物で手のふさがった状態で、万が一のことがあったら」


 声をひそめてリカッロに忠言する護衛たちに、あぁ、たぶん軍でもこういう扱いなんだろうな、とユーディリアは眺める。元々平民だった気安さなのか、セクリアの兵とは随分と違う。

 護衛の一人が荷物を持とうと言ってくれるのを「守っていただくのには、お邪魔でしょう?」とお断りしている間に、もう一人の護衛はリカッロを引っ張って少し離れ、何事かを囁いている。リカッロの顔が渋面を作るのを見て、明日の会談について何か問題でも起きたのかしら、と小さくリッキーに目配せした。

 余人に見えない相談役の存在は、こういう時に非常にありがたい。将軍も、偵察に打ってつけの自分たち自身を、存命中に欲しかったと嘆いたことがあった。

 リカッロと護衛の話を堂々と盗み聞いたリッキーは少し複雑な表情を浮かべて、ふわふわと戻ってくる。さては、レ・セゾン側から花嫁支度金の増額申請でもあったか、と考えたユーディリアだったが―――


『食事を作らせるなんてとんでもない。条約締結前に夫婦仲をこじれさせてどうするんですか。だいたいユーディリア姫を逃したら、あなたなんて一生嫁なしの独身人生ですよ。……だって』


 予想の斜め下を行ったセリフに、吹き出しそうになったユーディリアはこらえきれずに変な咳をする。


「大丈夫ですか? このあたりは山から吹き下ろす風が始終やみませんから、体を冷やされたのでは―――」

「いえ、気になさらないで。大したことはありませんから」


 当初、将軍の力を借りて派手な立ち回りを演じたにも関わらず、ミレイス軍の面々には「どう扱ったら壊れないかよく分からない生粋の姫君」という印象があるらしく、やたらと過保護に扱われることが多い。だが、「姫君」だからというわけではなく「二度とチャンスのないリカッロ王子の嫁」という意味でも壊れ物のように扱われていたと知らなかったユーディリアは必死で笑いを堪えた。


『上から命令をする司令官ではなく、同じ目線で肩を並べるタイプのようじゃの』


 リカッロと護衛の関係を見てだろう、将軍がうんうんと頷いている。


『えー、それにしたって、ちょっと仲良過ぎじゃない?』

『そうですね。城にいる時はもっと兵とは距離を置いていたような気がします』

『おそらく、軍を立ち上げた当初からの仲間ではないのかな。少数の護衛を選ぶのであれば、わしも裏切りの可能性を排除するために気心のしれた者を選ぶわい』

『あぁ、でしたら、平民として暮らしていた頃からの知り合いでしょうか』

『それなら納得ー。だって、ノリが完全に悪ガキだもん。男の人って、ふとした拍子にガキんちょに戻ることってあるしー』


 3人がそれぞれに言い合うのを聞きながら、ユーディリアは何だか楽しい気持ちで宿所まで歩いた。



 ◇  ◆  ◇



(よし、やりますか!)


 ユーディリアは、ぐっと両手の拳に力を込めた。

 手順は器材と再確認しがてら組み立ててある。料理に使う水も汲んでもらった。髪の毛は邪魔にならないようにきっちり編み込んであるし、服が汚れないよう急拵えのエプロンを身に付けた。

 手伝いましょうか、と声をかけてきた護衛には「人手がいる時にはお願いいたしますわ」とやんわりとお断りしているので、邪魔立てはないはず。

 続き部屋になっている広い居室では、リカッロと文官兼務の護衛が明日の最終確認を行っている。ボソボソと話し声が聞こえている間は、こちらへは来ないだろう。

 ふっと小さく息をついて、まずはタマネギを手に取った。


「―――お前、本当にレ・セゾンのお姫様なんだろうな?」


 そう声を掛けられたのは、夕食の支度どころか明日の朝食の下拵えまでひと段落し、余った野菜と鶏肉の皮をカラリと揚げていた時のことだった。


「随分と、今更なことを口になさるのね」


 揚がったものを皿に移し、すり鉢状の鉄鍋を火から離す。ちらり、と入り口に目をやれば、ベリンダが夫婦仲を心配する野次馬が隠れてると手振りで教えてくれた。


「打ち合わせは終わりましたのね。―――どなたか、食器を出すのを手伝っていただけます?」


 入り口に声を掛ければ、仲間に押しやられたとおぼしき護衛がたたらを踏んで姿を見せた。


「あらいけない、塩を振るのを忘れてましたわ。……はい、どうぞ」


 揚がったばかりの鶏皮と野菜をリカッロに渡す。


「これは?」

「お酒を買いに行ってらした方がいましたでしょう? ささやかながら肴になればと思いましたの」


 料理中にそれを教えてくれたのは将軍だった。それならと慌てて作った割には何とかなったものだ。


「……お前、実は身代わりのニセモノとかじゃないのか?」

「そう思うのは勝手ですわ。何でしたら、明日、お父様に確認してみたらいかがですの?」


 食器を取りに来た護衛がおそるおそる近づいて来るのを見たユーディリアは、「こちらをお願いいたします」とリカッロから目を逸らした。



 ◇  ◆  ◇



「ありがとう、ベリンダ、リッキー、将軍。おかげで何とかなったわ」


 一人、先に2階の寝室へ上がったユーディリアは髪を梳きながら、囁くようにお礼を口にした。

 買い出しで活躍してくれたベリンダ、食材の価格の知識があったリッキー、酒のつまみをと言ってくれた将軍。特に将軍からの『10人分の分量で作れ』という忠告がなかったらどうなっていたか、と考えるとヒヤっとする。


「まさか、あんなに食べるだなんて、思わなかったもの」

『文官の1食と軍人の1食は量からして異なるからのぅ』


 母国に居た頃は、それでも兄達が良く食べるものだと感心していたものだったが、今日はその遙か上を行った。


「美味しいとは言ってもらえたけど、あれは本心だったのかしら?」


 今日のメニューを思い浮かべてみる。予算の制限もあって、あんな感じになってしまったが、あんなもので本当に良かったのか、と。


『やっぱり、もう少し濃い味付けにした方が良かったんじゃないの?』

「そういうもの? あれでも濃かったと思うのだけど」

『ずっと馬車に乗っていただけのおぬしと違って、馬で駆け通しじゃったからのぅ。運動の後はどうしても塩分を欲するものじゃ』

「そうなの。そこは次回への課題ね。―――って次はないから!」


 何を考えているんだ自分、と一人ツッコミを入れた時、階段を上がって来る音に将軍が肩をすくめて掻き消えた。次いで、ベリンダとリッキーも姿を消す。


「相変わらず独り言が多いな」


 扉を開けて姿を見せたのは、予想通りリカッロだった。


「あら、もしかして階下まで響いておりました? でしたら、申し訳ありません」


 久々に水仕事に従事した手に軟膏を擦り込みながら、ユーディリアは精一杯の平静を装う。出会ってから1ヶ月、まだまだ会話には少しだけ緊張がつきまとう。


「何を考えていた? 明日のことか?」


 真正面まで来たリカッロは、馴れた様子でユーディリアの首もとに手を差し入れる。妻の嘘を見逃すまいとする、いつもの態勢だ。


(いつになっても、慣れないわ)


 気にすれば気にするほど鼓動が早くなってしまうのも、いつものことだった。


「今日の晩餐の、反省をしていたのですわ。皆様のお口に合いましたかしら」


 予想外だったのか、一瞬だけ、きょとんとした表情を浮かべたリカッロだったが、すぐに表情をいつも通りの余裕たっぷりの笑みに戻し「予想以上だったからな」と答えた。


「お前もさすがに軍隊の移動中の食事なんて知らないだろう? 肉を焼いただけ、野菜を洗っただけ、なんてのが当たり前だし、下手すりゃ干し肉を水で流し込むだけってのもある」


 そういえば、そんな話を将軍から聞いたことがあるかもしれない、とユーディリアは記憶を掘り起こした。


「多少上品な味付けだったが、十分過ぎるほどだよ」


 野戦食と比べられてしまったのは、何とも微妙な感じがするが、一応は期待に応えられたのだと知ってホッと頬のあたりが緩む。


「さっきも下で話してたんだが、タフトの野郎、あんなミートパイを作ってくれる嫁が欲しいとまで抜かしやがったしな。―――まぁ、これはオレのもんだって威嚇しといたが」


 前半はともかく、後半のセリフに肌が熱を帯びるのを感じたユーディリアは、慌てて思考を逸らす。


「ま、まぁ、あのミートパイに満足していただけたんですの? 少し調味料を入れすぎてしまったかと思ったのですけど、体を使うお仕事の方は味が濃い物を好むという話は本当でしたのね」


 動揺を悟られないように、と思うが、つい早口になってしまうユーディリアを見て、リカッロはいっそう笑みを深くする。


「あぁ、お前となら城を落とされて逃げ延びる羽目になっても、一緒にやっていけると確信できた」


 予想外の口説き文句に、そういったセリフに慣れないユーディリアの頬が今度こそ完全に赤く染まる。


「も、もう、誉めた所で何も出ませんわ。明日の朝も早いのですから、わたし、もう休ませていただきますっ」


 頸動脈に添えられた手を引き抜くと、ユーディリアは部屋に1つきりの寝台に潜り込んだ。


「明日はちゃんと起きられるんだろうな? さすがに朝メシ抜きはごめんだぞ」


 彼女の寝起きの悪さを知るリカッロの声に「やらなければならないことがある日は、言われなくてもきちんと起きますわ!」と声を荒げたユーディリアは、ばふん、と枕に勢い良く頭を乗せた。

 そりゃ楽しみだ、との声を最後に、リカッロが部屋を出ていく。


「まったく、何をしに来たのかしら」

『夕食がおいしかったよ、って言いに来たんでしょ?』


 再び姿を現したベリンダの言葉に、うっと声を詰まらせる。


『下でも評判でしたよ? リカッロ王子とお嬢様がいない場所でも誉められているんですから、きっと本音だと思います』

『……まぁ、王族として料理の腕が評価されるのは微妙なのかもしれんがのぅ』


 リッキーと将軍の言葉に、もはや何を言ったらいいのか分からないユーディリアはうぅ、と唸る。


「ね、ねぇ、ベリンダ。明日の朝なんだけど―――」

『大丈夫! はっきりしゃっきりと起こしてあげるから!』

「うん、お願いします……」


 リカッロの指摘通り、寝過ごす心配の大きいユーディリアは、いつも以上に小さい声で相談役に頼み込んだ。



 ◇  ◆  ◇



 翌朝、質素な鈍色のドレスに身を包んだユーディリアはガタガタと音を立てる馬車の中で、彼女はハッと息を飲んだ。


「どうした?」


 隣には、いつもは無造作にしている鉄錆色の髪をきれいに撫でつけたリカッロが座っている。その服装も軍人ではなく王子らしいものになっているが、強い印象を持つ黒い眼差しと、何より右頬から顎にかけて走る刀傷が彼を「王子様」のままにしておかない。


「い、いえ、何でもありません。その、今朝の、朝食のことを考えておりましたの」


 心臓をばくばくと鳴らしながら、ユーディリアは舌を動かす。冷たい汗が彼女の首筋を伝った。


「あぁ、少しベリーのジャムが甘過ぎた気もしたが、普通に美味しかったと思うぞ? ミルクと一緒におまけだと配達してきた鶏卵を、その場でさっさと調理したお前の手際も見事だったし、問題ねぇよ。まぁ、一国の姫君としちゃどうかと思うが」

「そ、そうでしたの。お口に合いましたのなら、良ろしゅうございましたわ……」


 安堵の息をついた嫁の様子に「そこまで気にすることか?」と眉を寄せたリカッロだったが、興味が失せたのか、手元の文書に目を戻した。

 ユーディリアはちらり、と斜め前に視線を向ける。そこには、左手でかわいく丸を作るベリンダの姿があった。


 ユーディリアが覚醒したのは、つい先ほどのことである。


 寝起きの悪さを否定するわけではないが、慣れない馬車での移動や、久々の料理で疲れていたせいもあるのだろう。結局、起きることのできなかったユーディリアの体を動かし、着替えから朝食の準備までを行ったのは他でもないベリンダだ。リッキーは料理ができないわけではないが(むしろ調味料の配合に完璧さを誇るが)、突発的な横やりに弱い。振って湧いた卵をそつなく調理することはできなかっただろう。将軍にいたっては、その料理は野戦料理一色となる。何より二人とも、ユーディリアを装うには言葉遣いに無理が出る。


(ありがとう、ベリンダ!)


 とにかく、リカッロに強烈な嫌みを言われることも、朝食抜きのまま調印に臨むことも回避できた。後で彼女の好きな花を用意しよう。


「あ、そういえば」

「は、はい?」


 心を読まれたのか、とユーディリアは慌てて短い返事すらトチった。


「寝起きの悪いお前が、朝から上機嫌で歌っている所を初めて見たんだが―――」

「あ、あれは眠気覚ましですの。寝起きはどうしても、ぼーっとしてしまいますので、ああやって頭の覚醒を促しているんですわ」


 必死の弁明に、リカッロは「そういうもんか」と頷いて書類のチェックに戻る。

 ユーディリアの家族は、朝食を作る彼女が偶に上機嫌で歌っている理由を知っている。他ならぬベリンダがそこにいるだけなのだと。父王からは自分の意識がない状態で体を明け渡すのはいかがなものかと叱責までくらった。


(まぁ、バレるわけがないか……)



 ◇  ◆  ◇



 調印式の際に、今朝の嫁の様子を語ったリカッロに対し、父王が母親譲りの寝起きの悪さについてとくとくと語るのは、その数刻後のことである。


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