⑦
現在地を知らせるメールが来るようになってから二週間が経った。
クラスメイトの中には自宅が空き巣の被害を受けた人間が出た。そのときに警察から事情聴取を受けたことが安藤の心に傷を付け、さらにクラスでの安藤への風当たりをより一層強くした。
安藤は学校へ登校することへの嫌悪が強くなっていた。どうして皆は自分を信じてくれないのだろうか。そんな思いが安藤の心に泥のように溜まった。
クラスメイト達への不満を胸に抱えながら、教室に入るとクラスメイトたちの視線が一斉に安藤に集まる。いや、ただ一人。東だけは安藤から目を逸らして、教室の端で外を見ている。
「すまない、安藤。俺はお前を信じていたかった。だが、クラスメイトの中からまた空き巣の被害が出た。しかも、自宅にいたアンドロイドを壊すほどの危険な人間による犯行だ!」
高田はAR眼鏡を外すと、眉間に皺を寄せて安藤を睨む。
「しかも、この2週間で毎日お前以外のクラスメイトには現在地を知らせるメールが来る。しかも誰か一人には必ず、お前でなければ取れない写真が入っていた。お前が犯人なのはもう分かっているのだから、正直に言ってくれ!」
安藤の全身から嫌な汗が流れる。自分ではない。今まで言ってきた言葉には何の意味も無かった。そう思うと、虚無感が体を支配して何も言い返す言葉が無かった。
返事をしないでいると、北野が安藤の前まで来た。
「都合が悪きゃだんまりけ。これだから、甘ちゃんは!」
そう言いながら、腹部に拳がえぐり込むぐらい強い力で殴った。
「はよぉ、言っちよ。すれば、殴らんでぇ」
腹部の痛みに必死で耐えながら立ち続けると、次は右頬を拳で殴られた。バランスを失って床に倒れると、北野は安藤に跨り、今度は左頬を殴る。
これ以上殴られるのはまずい、安藤は無意識にそう思った。脳が焼けるように熱くなり、安藤は体のコントロールを失った。右腕が自然に動き、北野の腹部を殴る。殴ってから、不意にやってはいけないことをしたことへの後悔を思った。
教室中から驚きの声が上がる。
「てめぇ!」
北野は反撃を受けたことが相当しゃくにさわったらしく、再び拳を持ち上げた。すると、安藤が入ってきた扉から教師型アンドロイドが教室に入ってきた。北野は拳を上げた状態で動きを止め、クラス中が一瞬で静まり返った。
沈黙がしばらく支配しても、チャイムがならないことをクラスメイト達が不思議がり時計を見る。安藤も顔を動かし時計を確認すると、まだ授業まで五分も時間がある。
教室中が授業時間外に入ってきた先生型アンドロイドを見ると、先生は声を出した。
「初めまして、皆さん。私は<unknown>人あらずもの。皆さんのおかげで安藤遼が違法アンドロイドであることが証明出来ました安藤遼を捕まえてください。そうしていただければ、皆さんの監視及び、メールの送信を中止しましょう」
最初に声を出したのは高田だった。
「安藤をお前に渡せば俺たちは、開放されるのか?」
クラスの全員が神の審判を待つかのように、アンドロイドの言葉を待つ。
「もちろん」
その言葉と同時にクラスメイト達が目を血走らせて、安藤に近寄る。北野はさっきまで上げていた手を下ろし、安藤の肩を掴む。
これが今まで友達だった人間達の姿なのか。そんな風に思うと、安藤の内側に汚い泥が溜まっていく。もう吐き出してしまいたい。内側に溜まった汚い物を。そんな風に思っていると、東の声がした。
「ちょっと待ってよ。皆! いつも優しい安藤君がそんなことする訳ないじゃない。どうして、信じてあげないの?」
東の言葉を聞くと、クラスメイトの動きが止まって何を言おうとして、口を動かすが声が出ていない。
「ケッ、全員所詮は意気地なしけ」
北野は安藤の肩から手を離すと、東を指差して言葉を続ける。
「こいつが写真を送ったに違いねぇんだ! そして、人あらず者がこいつを掴めりゃ監視をやめると言っちょる。ならば……」
安藤は、北野が東を指差したときに自由になった右腕を使い、必死の思いで北野の脇腹を殴る。
北野は横に倒れたため、安藤は急いで立ち上がると、廊下に走って逃げた。
「安藤くん、ちょっと待ってよ」
安藤の後を追って、東は廊下に走って出る。下駄箱まで行くと、安藤は上履きのまま外に出てしまった。東は上履きから靴に履き替えて駆け出す。安藤と東の距離がだんだんと離れていく。
「待ってよ! 人間主義者だから運動してるのは知ってたけど、速すぎ!」
安藤がいつも東と分かれる富川の橋の所まで来ると、一人の背の高い男が待っていたように立っていた。
「待っていたぞ、違法アンドロイド。人あらずモノにして、人として生きてきた幸福者よ」
安藤は男の言葉など耳に入らず、男を駆け抜けようとする。だが、男が安藤に手を伸ばして服を掴むと、安藤を走って来た方へと投げ飛ばす。僅かな時間だが、安藤は身を空中に預け、男の前に倒れた。
安藤が立ち上がると、東が額から汗を流しながら安藤に追いついた。
「速いよ、もう。何があったの?」
男は東を見ると、顔を歪めるように笑う。
「情報部隊はきちんと周りの連中に説明していなかったようだな。だが、我にそれは関係ない。違法アンドロイドの破壊のみが我が使命にして、存在理由。違法アンドロイドよ、最後の言葉はあるか?」
安藤は男を見る。浮浪者が着ているような汚れた服を着ている。男はボロボロ服を揺らしながら、上着から一本のナイフを取り出した。男がそのナイフを弄ると、ナイフの刃の部分が赤く光り出す。鉄などを簡単に切り裂くヒートナイフだ。刃渡りは簡単に銃刀法違反に捕まるほど長い。
「僕はアンドロイドではない」
熱くなり赤く輝くナイフに怯えながら、安藤は救いを求める。
「あんた何やってるの。それ違法でしょ!」
「我らに法は通じない。我らは幼き頃から違法の身。違法アンドロイドのそやつとは反する存在なのだからな」
男は真顔になり、ゆっくりと目を閉じた。
「命乞いが最後のセリフとは、メシアの希望も悲願にはまだ遠い」
男は目を開き、ヒートナイフを振りかぶる。
安藤は己の意識下では動くことが出来なかった。ただ脳が焼けるように熱くなり溶け始めているようだ。その感覚に意識が薄くなり、体が無意識の内に動き出す。安藤が左腕を頭上まで上げると、痛覚が反応する。男は振りかぶったヒートナイフを安藤めがけて振り下ろしたのだ。安藤の左腕の前腕に食い込み始める。
「硬いな。一般に出回るヒートナイフでは切れないように作られているということか。そこまでその身を重宝されるとは、羨ましい限り」
言葉を発しながらも、男はヒートナイフに力を加え続ける。安藤の左手がゆっくりと切断されていく。
安藤は唸るような声を出すが、言葉にならない。だが動きはきちんとしていた。左腕を切断されながら、思いっきり足で地面を蹴り男と距離を取る。だが、遅かった。地面から足が離れた瞬間、安藤の前腕の真ん中が切断された。
腕から赤い鮮血が僅かに出るが、すぐに止まった。安藤は切断された腕の切り口を見ると、言葉を失った。傷が出来た時に血が出るようにするために、皮膚の裏に僅かに血のような赤い液体がある。だが、その奥には色々な配線があったのだ。
「血が出るように作ってあるとは、芸が細かい」
「安藤くん、その腕……」
東が悪魔を見ているかのような、存在を認めたくないと言わんばかりの目で安藤を見る。
「僕は……」
「メシアが作りし、違法アンドロイド。パーソナルネーム、ツァラトゥストラだ」
淡々と男は告げ、言葉を続ける。
「女よ。人として接してきた物が壊される姿見たくは無かろう。去れ!」
東は体を動かさない。
「嫌。説明して。メシアって何? ツァラトゥストラって何? 安藤君は何なの? あなたは何?」
東は混乱したらしく、分からないことを吐き出すように聞く。
男は小馬鹿にしたように笑う。
「機械化する人間よ。お前がつけている、そのAR眼鏡で調べれば良かろう。なぜ聞く」
「調べても分からないの! 救世主とかツァラトゥストラはかく語りきとかそんなのしか出ないんだもん」
安藤は、この場を一刻も早く離れたいという無意識と東がした質問の答えを知りたい、という意識の間で葛藤していた。
男は安藤をちらっと見た後、東を見ながら説明を始める。
「幼き子は知らぬ、知れぬか。メシアはある思想に共感を持った人間が集まった組織だ。メシアの掲げる思想は『人間は人間という集団の中だけでは衰退するだけだ。人間を超えた超人により人類を導く必要がある』というものだ。その超人がツァラトゥストラだ」
男は嫌悪の仮面をつけたような顔で東を見る。
「去れ、人間!」
東は肩を上げて驚くが、動かない。
安藤は東に近づくために動き出すと、男はナイフを安藤に向けて構える。
「女が去らないのは悲しきこと。親しき物が壊れる様は見ても悲しいだけだというのに、愚かな。だが、貴様を壊す使命を全うしないわけにはいかぬ」
構えたナイフを再び振り上げると、男は安藤目掛けて踏み込む。安藤は無意識に体を奪われ、走り出す。東に向かって全速力で駆け寄る。
男の振りかぶったナイフは全力で走った安藤の肩を掠っただけだった。男が今度は刺すようにナイフを安藤に向かって伸ばし、再び踏み込む。
安藤は東の服を掴む。そのまま自分の方へと、東を引っ張った。安藤は自分と男の間に東を入れたのだ。
「何をしている。違法……」
男は伸ばしきった腕を曲げようとするが、遅かった。男の持ったヒートナイフが東の体へと吸い込むように刺さり、体の中に入っていく。
肉の焼ける匂いが辺りを包む。
「嘘……」
匂いによって正気を取り戻した安藤は、自分が行ったことを疑うしかなかった。そして、後悔の念が体中を満たす。
「アンドロイドの分際でよくも!」
男は急いでヒートナイフを東の体から抜く。それから頭を抑えると、うめき声を上げる。
安藤はその場に立ち尽くす。男は頭を押さえ、うめき声を上げ続ける。すると、安藤たちの一時間目の担当の先生型アンドロイドが走って現れた。
「大丈夫か、ニヒ。お前の目から状況は分かっている。もうは戦闘が無理だ。セーフティが掛かっている。戻るぞ」
先生はニヒと呼んだ安藤を襲った男に話しかける。男は呻きながらも答える。
「だが、ツァラトゥストラが……。あれは危険だ、自己防衛のために、人間を盾にする」
「実行部隊がこれでは無理だ。私の身はハックして奪った物。遠隔操作では戦闘は出来ない」
先生はニヒを支えながら立たせると、安藤を見る。
「お前を絶対に許すわけにはいかない。超人思想に染められた奴らが作りし、悪魔め」
東の傍に近寄ると、東のAR眼鏡を奪い操作し始める。
「何をしているの?」
安藤が聞くが、先生は答えない。代わりにニヒが苦しそうに答える。
「仲間を呼んでいる。逃げたければ逃げてみろ! 俺に人間を殺させたお前は、俺がこの手で破壊する!」
苦しみながら発しられたその声には、明らかな憎悪があった。
その憎悪に反応したのか、安藤の再び無意識に体を奪われ、都和に向かって走り出した。