⑤
翌日、学校に登校すると高田が昇降口で待っていた。
「おはよう。朝からお出迎えとは珍しいね」
高田は苦笑いを浮かべる。
「あぁ、ウォーが教室で声を荒げている。胸糞悪い」
ウォーは北野戦争の戦争という名前を馬鹿にして、高田が言っている呼び方だ。
「それは朝から大変そうだね」
北野が声を荒げていようが教室の端にいれば被害は自分のところには来ない、と安藤は思った。
安藤は東を昇降口に残したまま、教室へと向かう。
教室に入ると、大きな声で迎えられた。
「てめぇ、待ってたでぇ」
声音からすぐに北野が怒っていることは分かった。だが、北野が安藤を待っていた理由は安藤自身分からなかった。
「何で僕を待っていたの?」
安藤の言葉を聞くと
「てめぇ、シラ切ろってか。AR眼鏡ぇの画像さ見ろやぁ」
北野の言葉と同時に北野のAR眼鏡から一枚の静止画がホログラムで空間に表示された。
教室で自分の席に座った北野が恐ろしい形相でこちらを睨んでいる画像だ。
「これがどうしたの?」
恐ろしい写真だけど、と言おうとしたが喉から出る手前で止まった。
「こりゃ、昨日てめぇが高田と俺ぇのことを馬鹿にしとったときに撮った写真やろ。場所も学校だ。メールで送りつけやがって。しかも、他のもんにもおんなじようなメールをおくちょったらしいな」
昨日の母親は確かに何人か、と言っていた。東と自分以外にも送られている人間がいることをすっかり忘れていた。
言われてからもう一度空中にホログラムで表示されている画像を見ると、確かに昨日見た恐ろしい形相で睨む北野の姿そっくりだ。
「撮ったと言われても、僕はAR眼鏡も付けないのにどうやって写真を撮るの?」
「そんなぁもん俺ぁ知らねぇ。が、こりゃてめぇが撮ったとしか思えねぇ。服のどっかさ、小型キャメラでも仕掛けとったんだろ?」
北野は今にも殴りかかろうとしている。
「僕にだって現在地を書かれた、写真付きのメールが来ていたよ」
北野は少し沈黙した後、再び話し始める。
「そうけぇ。が、ぜっていおめぇがこの事件の犯人だって白状させてやっと」
北野は言い終えると、自分の席に戻っていった。
安心したため、安藤はゆっくりと息を吐いた。すると教室の前と後ろの扉がほぼ同時に開いた。教室に入ってきたのは高田と東だ。
安藤は席に座ると、東が話しかけてきた。
「大変だったね。メールの犯人じゃないのにね」
東に現在を知らせるメールが来たのは、安藤と一緒にいるときだった。安藤はAR眼鏡を使わないため、メールを送る場合は携帯電話を操作しなくてはいけない。だが、東と帰るときに携帯電話を開いていなかったのだから、安藤には現在地を知らせるメールを送ることは不可能だ。
「他人を疑ってしまうのは仕方がないよ。メールを送られた人間は不安でしょうがない。プライバシーが守られていない状態では、自分にどんな不幸が訪れるか分からないからね。だから犯人を決め付けて、精神的な安定を保とうとしているのだよ、きっと」
「でも……。優しいね」
東は言おうとした言葉を飲み込んで、言葉を変えた。だが、安藤には飲み込んだ言葉を予想することが出来た。
『でも、安藤君も被害者じゃない』
きっとそう言おうとしたのだろう。態々飲み込んだということは、いつも通りの会話をしたいという意思表示だろう。安藤は何を言おうとしたのか聞かず、普段通り答える。
「優しさは人間に大切な感情だからね」
「お人好し」
ぼそっとそう言うと、東はいつもの調子で話し始めた。
安藤は予想を外してため拍子抜けしたが、東の調子が元に戻れば問題なしだ。
「そうだ、昨日AR眼鏡ありがとね。昨日学校に連絡を入れた後に取りに行ったら、修理終わってたんだ」
東の顔を見ると、普段から東がつけている銀色のAR眼鏡になっていた。安藤から借りたAR眼鏡を返すと、東は自分の席に戻っていった。
東がいなくなると、今度は高田が話しかけてきた。
「ブルーカラーにモテモテだな」
声音に一切の哀れみなどなく、ただ嘲笑っている声だった。
「羨ましい?」
「全然。特に北野のような者に人気があるなど想像しただけでも、反吐が出そうだ」
高田は顔を歪めた。
「そうかい」
ここまで差別意識が強いと、高田はブルーカラーの家の人間を同じ国の人間だと思っているのかが怪しくなる。
「さっき扉から北野の写真を見たのだが、本当にお前が撮ったものではないのか?」
高田の表情が真面目なのを見て驚いた。
ブルーカラーの家の人間を嫌う高田でも北野の話を聞いて自分を疑っている。それではブルーカラーに差別意識を持っていない人間は自分のことを犯人だと思っているに違いない。北野の白状させてやる、と言ったあの自信は周りからの同意によって出来ていたのだ。
そう思うと、安藤の体中から嫌な汗が出た。
クラスの中で安藤を犯人ではないと真に思っている人間はおそらく東しかいない。悪用されるかもしれない個人情報を持っていると疑われている安藤は、クラスのほぼ全員に敵視された。
そんな居にくい空気が漂う教室の中、安藤は授業を受けた。