③
最後の授業の終了を知らせるチャイムが鳴ると、生徒達は一斉に教室を後にしていった。教室には片付けに手間取っている数名の生徒がいる程度だ。
安藤はゆっくりとカバンに教科書などをしまっていると、東が話しかけてきた。
「最近ネットで流行ってる都市伝説があるんだけど知ってる?」
「都市伝説? 狼男でも出たの?」
惜しい、と言うとAR眼鏡越しに東は楽しそうに笑う。
「人間にしか見えないアンドロイドがいるんだって」
「そのアンドロイドはセーフティ・チョーカーをつけてないの?」
「それが、つけてないんだって」
「ならば、それは人間だよ」
安藤は安心したように言う。
アンドロイドはセーフティ・チョーカーをつけなければ販売どころか、特殊な場合を除き起動及び工場からの出荷すら法律で禁止されている。さらにアンドロイドは一年に一回の定期検査を受けることが義務付けられている。それに、これが一番大きい理由だろうが、セーフティ・チョーカーを着けていないとバックアップサーバーへのアクセス権を失うため、アンドロイドの行動や記憶に多大な支障がきたる。
メンテナンスの義務のおかげで、老朽化により自然に外れてしまうということはない。わざわざ自分に危害を加えるかもしれないアンドロイドからセーフティ・チョーカーを取り外すことをする物好きもいないだろう。それに一度セーフティ・チョーカーを外すと再び付けることは出来ない。もし外してしまえば障害者のように言語や行動に支障が出て、廃棄か隠しながら介護をしなければいけないガラクタになる。高齢者が多く、ブルーカラーの間では介護疲労が問題になっているこの国だ。好き好んで介護をするために、そこそこの値がするアンドロイドをガラクタにする人間はいないだろう。
そう考えれば、セーフティ・チョーカーをつけていなければ人間だ。
「でも、火の無いところに煙は立たぬって言うでしょ?」
「フーム。なら、それはサイボーグだよ」
事故にあった人間が筋電義手や筋電義足、人口眼などを用いることはよくある話だ。そういった人達の中でも多くの部位を機械化した人間を見た人がアンドロイドのようだと言ったに違いない。その話が盛られて都市伝説になったのだろう、と安藤は思った。
「そんなものかな?」
「きっとそうだよ」
東は不満そうな顔をしているがこればかりは仕方ない。噂話を肯定してしまえば、他の人に不確定な情報を流してしまう可能が高まる。それは防がなくてはいけない。
二人はどちらからともなく動きだし、教室を出た。
教室から出ると休み時間に見た、恐ろしい表情を浮かべる北野の顔が安藤の頭をかすめた。
「東の家は北野の家に近いの?」
学校の付近には二つの市があり、ブルーカラーの人間が多くすむ都和市とホワイトカラーが多く住む筑紫市の2つの市だ。筑紫と都和は富川と呼ばれる川によって区切られている。東が住んでいるのは都和の富川沿いだ。
学校があるのは筑紫の富川沿いのため、東の家から学校が近いので安藤でも東の家は知っていた。
「近くないよ。私が住んでるのは筑紫の近くだけど、北野君が住んでいるのはチョンガーの近くだよ」
チョンガーは筑紫とは真逆の都和地区の端にある。だが、正確にはチョンガーなどという地域はない。都和地区の中でも封鎖的でない中小企業が住み込みで外国人を働かせていた建物が多くあった場所を指す。今ではそこで仕事がされていたというのが嘘のように、荒れているらしい。中小企業が倒産し、建物を使わなくなってもそのまま住み込み、シナ人や朝鮮人などが今でも多く住んでいる。さらに強姦や薬物、暴行などの事件も他の都和の場所に比べ圧倒的に多いため、そういった場所を指してチョンガーと呼んでいるのだ。
「それだと、随分と遠くから来ていて大変だね」
「たぶんね。仲いいわけじゃないからよく知らない。でも話し方から近くないことぐらい分かるでしょ」
東は目で笑いながら、安藤を小馬鹿にするように言った。
「それもそうだね」
東と話していて、訛りによって違和感を覚えたことは今までなかった。ただ日本語として変だと思った言葉がなかった、と言えば嘘になってしまう。だが、誤字が話し言葉で出てくるのは大きな問題ではないだろう。話し言葉によって日本語は変革されるのだから。
そんな話をしながら安藤たちは学校を後にした。二人は富川の橋まで一緒に向かう。
東はブツブツ何か言いながら安藤が貸したAR眼鏡を操作している。橋がすぐそこという所まで来ると、東が小さい声で安藤に話しかけた。
「私達、誰かに見られてるよ」
「誰に?」
「分からない。けど、絶対に見られる」
東は歩くのを止めてしまう。
仕方なく安藤は辺りを全方向見回すが、これと言って目立った人影はない。自分たちと同じ高校の生徒やスーパーからの帰りだと思われるアンドロイド、体格の良いブルーカラーの人間など普段通りの光景だ
東がかけているAR眼鏡のレンズには普段通りネットの白いブラウザが表示されている。目を凝らしてブラウザを見ると、薄らと透けるブラウザの内容が見える。メール画面が開いている。
普段通りメールの確認をしているだけだ。レンズに映った何かを見間違えたということはない。
何に怯えているのだろう、と安藤は思った。
いつも最新型のAR眼鏡を着けている人間が慣れない旧型のAR眼鏡を着けているせいで、周りの人達に集中力が行き見られている気がしているのだろう。
周りの状況からそう考えるしかない。
「周りに変な人いないから大丈夫だよ」
「だって……。これ、見てよ」
東は安藤にAR眼鏡を渡す。いつもの安藤ならば断っていただろうが、東の様子からただ事ではないと感じたのだ。
AR眼鏡をかけると、レンズに写っているネットブラウザはフリーメールに届いていた一通のメールを開いていた。
内容を読んだ安藤は驚きのあまり「何これ?」と声を漏らしてしまった。
メールの内容は『東愛舞 現在地 筑紫地区富川沿い』という文に東と安藤が富川沿いを歩いている写真が一枚添付されていた。写真に写っている東がつけているAR眼鏡は安藤が貸した黒いため、写真はついさっき撮られたものだ。
安藤は宛先を確認すると、宛先は『人あらず者<unknown>』になっていた。
「アドレスがunknownってなんだよ」
安藤は思わず驚きと呆れ半分で全身の力が抜けてしまう。AR眼鏡の設定でアドレスを非表示にしてのメール送信は出来ない。いたずらかストーカーにしては随分と手の込んでいることだ。
それに東のアドレスを知っているというが、安藤には理解できなかった。
今では利用している人間が殆どいないSNSにハマった一昔前の人間が自身で自らの日常を公開したために、生活パターンを他人に把握されストーカーや空き巣、詐欺などの被害が増大した。さらに、デットメディアであるスマートフォンのアプリを介しての遠隔盗聴、盗撮なども過去に大きな問題となり、プライバシーが騒がれた。
それらの影響でプライバシーの厳守が重要視されているのだから、赤の他人がメールアドレスを手に入れるのは難しい。
東の顔色を見ると青ざめている。
「東、一応家まで送るよ……。後で警察か学校に連絡した方が良いからね」
「うん……」
足を止めていた東はゆっくりと歩き始めた。安藤は見守るように後ろから静かに付いて行く。
安藤は都和に行くための橋を歩いて渡ったのは初めてだった。いつも見ているのに通っていなかった場所を通るのはどこか新鮮だった。
橋を渡ってから少し歩くと東の家に着いた。
「また明日」
安藤の言葉に東は力なく答える。
「うん」
東は家に入っていった。




