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 翌日、安藤が高校の教室に入った時には、授業まで三十分もあるというのに、すでに数名の生徒が登校していた。ほとんどの生徒がARメガネに夢中になっているため、教室には蝉時雨と生徒の息遣いが主に聞こえた。時々聞こえる人間の声はARメガネを掛けたまま行われる、小さな談笑ぐらいだ。

 安藤はARメガネを掛けると気持ち悪くなるので、無理に周りに合わせよとはせず、カバンからデッドメディアである本を取り出した。意識が本に集中し蝉時雨が遠い世界の音になろうとした時、安藤の肩に誰かが手を置いた。

「プリント印刷してきた?」

 男性にしては少し高い声だ。その声で誰が話しかけてきたのか、安藤にはすぐに分かった。友人の高田翔太だ。

 読書を中断して高田の方を向く。いつもは色白の高田の肌が今日は心配事があるらしく青白い。髪が肩に掛かるほど伸びているため、ARメガネのテンプルは見えない。しかしARメガネのレンズにはネットブラウザが表示されているため、何か調べものをしながら話しかけてきたのだろう。

「印刷してきたよ」

 わざわざプリントを印刷してきたか聞いてきたということは、高田は印刷を忘れたのだろう。バックから昨日印刷したプリントを取り出し高田に渡した。

 高田はAR眼鏡越しにプリントを凝視する。AR眼鏡で今日使うプリントのデータを手に入れていたのだろう。そのデータと渡されたプリントを見比べているようだ。

 渡したプリントが正しいプリントだと確認できたらしく、早足でコピー機のある図書室に向かった。

 学校で生徒が使える印刷機は図書室にしかない。しかし図書室にある印刷機は、資料となる図書のコピーを目的に設置されているので生徒はコピー機能以外を使用することが出来ない。そのため、高田はARメガネからプリントのデータを手に入れても、印刷することが出来ないから安藤に頼ったのだ。

 高田が教室からいなくなると、すぐに違う人間が安藤に声をかけてきた。

「いっつも思うんだけど、感謝の言葉も言えない人間によく物貸せるね」

 嫌な光景を見た人のような嫌悪感の混じった声音で話しかけてきたのは、東愛舞(いぶ)だ。薄茶色に染められた髪が肩まで伸びた女子生徒だ。スカートの丈が膝よりも短くしているため、生徒指導をしているアンドロイドから度々注意を受けている。

「必要とされているのなら、それに答えてあげようとする意思。そういった優しさが人間にはとても大切だと思うけどね」

 そう言いながら、東のことを見るといつも肌身離さず着けている白いAR眼鏡をつけていなかった。珍しい、と思い安藤は東の目を見入るように見詰めた。

「人間主義者の家って全員こんなのばっかりなの? まるでアンドロイドみたい。それともキリスト教徒かな?」

 東は嘲笑うような笑み浮かべる。だが視線はAR眼鏡がないため、何処に向ければ良いのか分からないらしく、きょろきょろと泳いで安定していない。

「無宗教だよ。でも、どうして僕がアンドロイドみたいなの?」

「お願いすると何でも言うこと聞いちゃうところとか。二条を守らないといけないアンドロイドそっくり」

 東の言った二条とはロボット工学三原則の第二条だ。安藤は小学校の低学年の時に習ったロボット工学三原則を思い出す。

 第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

 第二条、ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

 第三条、ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

「命令された記憶はないけどね……」

 安藤は苦笑いを浮かべる。

「アンドロイドも買い物を命令しなくても、お願いすれば買い物に行く。それとおんなじでしょ」

 勝ち誇ったような笑みを浮かべる東を見ていると、安藤はその笑みにわざわざ水を差す必要はない気がした。そのため、そっか、と言い同意する。

 二人の間に沈黙が訪れる。

 安藤がARメガネを掛けていない東の顔を脳に焼き付けるように見ていると、東が口を開いた。

「そんなに見られると恥ずかしいんだけど。今日はAR眼鏡つけてないし」

「いつもAR眼鏡を掛けているのに、珍しいよね。何かあったの?」

 いつもと違うことを指摘してもらえて嬉しいのか、東は自然な笑みを浮かべる。

「昨日、机に置いておいたら落として壊れちゃった。昨日の内に修理に出したんだけど、修理が終わらなくて今日はないの」

「代替機を借りなかったの?」 

 毎日AR眼鏡を肌身離さず使っている東のような人なら、修理に出す場合は代替機を借りるのが一般的だ。

「修理だけでもお金かかるんだよ。代替機借りるとさらに料金が上がるし、壊したり傷つけたりしたらさらに料金が上がる。そんなお金ばっかりかかる物を借りたりしないよ」

「フーム」

 ブルーカラーの家ってそんなにお金無いのかな、と安藤は思った。だが、父親がホワイトカラーの安藤がそれ口にするのは差別をするようで気が引けた。そのため何と返答すれば良いか分からず、喉から唸るような音を出して相槌をうつしか出来なかった。

「金、金ってケチクソが。これだからブルーカラーは嫌いだ」

 小さい声だけれど静かな教室では確かに聞こえる声だった。声のした方を見ると、高田が教室に帰ってきていた。高田は安藤の机の上にプリントを置くと、東を睨むように見る。

 高田の家は確か共働きで父親は外資系の会社に勤め、母親は証券会社に勤めている。逆に高田の家の場合、母親は専業主婦で、父親は地元企業の工場に勤めている。

 高田のようにお金に困らないホワイトカラーの親を持つ家と東のように随時お金に困っているブルーカラーの親を持つ家では、価値観が合うはずがない。さらに高田は差別意識が強く、相手がブルーカラーの家の人間だと分かると強く当たる傾向がある。

 全く、と諦めの言葉が安藤の口から漏れる。そんな安藤の諦めの通り、今度は東が高田を罵る。

「礼儀知らずのぼんぼん」 

「子供にキチガイな名前を付けるような、ブルーカラーの家の者に言われたくはない!」

 そう言うと、高田は安藤の机を力強く叩いた。ドン、という大きな音が教室中に鳴り響き、クラスメイト達が高田を見る。

 高田は教室中を見渡すと、バツの悪い顔を浮かべ自分の席に向かった。

 安藤が、自分の席の前に立ち尽くしている東の顔色を伺うと、悔しそうに顔をしかめていた。

「大丈夫?」

 安藤が心配して声をかけると、東は下を向いたまま答える。

「名前、馬鹿にされた……」

 愛舞という名前は確かに一般的ではないな、と思いながらも、安藤は必死にフォローする言葉を探す。

「個性的でいい名前だと思うけどね」

 そんな言葉が瞬時に出た。東は呆れたような微笑を浮かべる。

「フォローになってないし」

「そっか」

 安藤は東の微笑に安堵し、脱力しながら呟いた。そんな安藤を見ると、東は安藤に背を向けて言う。

「優しいね」

「優しさは人間にとって大切な感情だからね」

 東は再び安藤の方を見る。その顔には普段通りの見下すような笑みが浮かんでいた。

「アンドロイドみたい」

 またそれか、と安藤は呆れたが、安心したため頬は自然に上がっていた。

「優しさついでに良い物貸してあげるよ」

「良い物?」

 東の疑問には答えず、安藤は自分のバックを漁ると、小学校の頃に買ってもらった黒いAR眼鏡を取り出した。

「何それ? デットメディアの眼鏡ってそんなにフレームのところ分厚いの? 機械とか入ってないから薄いと思ってた」

 安藤がAR眼鏡という現役で使われる機械を持つとは、予想も出来ないらしい。東は、機械の入っていないデットメディアの眼鏡だと思っているようだ。

「AR眼鏡だよ」

「嘘でしょ?」

 東は目を見開いて驚いた。

「嘘ついても僕にメリットがないよ。僕だって流行に乗る場合もあるのだよ。試しに掛けてみれば」

 安藤が促すと、東はAR眼鏡をかけた。

「何も表示されないんだけど……」

 安藤のAR眼鏡越しに、東は蔑むような目で安藤をじっと睨んだ。

「フレームのところに小さいボタンがあるでしょう? それが電源スイッチだよ」

「電源スイッチって、何年前のAR眼鏡? 私が小学校の低学年の頃はスイッチ式だった気がするけど、今は脳波で全部やってくれるんだけど……」

 東はAR眼鏡を外すと、AR眼鏡を弄りながら電源スイッチを探す。

 安藤のAR眼鏡はレンズ上にデータなどを表示する場合は、フレームについているスイッチを押す必要がある。さらに基本的に操作は音声入力だ。脳波による操作もオマケ程度には出来るが、脳波のノイズキャンセル機能の精度が最新のAR眼鏡に比べると格段と低いため、電車内などの公共の場所以外ではあまり使われない機能だった。

 そんな主流ではなかった脳波による操作が今では主流となり、全てを操作するようになるとは随分とAR眼鏡は進化した、と感心した。

「東の言う通り、僕たちが小学校低学年だった頃のAR眼鏡だよ」

 その言葉に驚いたらしく、東は手に持ったAR眼鏡から急に目を離し、安藤を見た。

「そんな古いのよく持ってたね。てか、よく保ってたね」

 東は捲したてるような早口で言うと、AR眼鏡を再び見て顔をしかめる。

 最新のAR眼鏡が全操作を脳波で行っているということは、安藤が貸したAR眼鏡を脳波で操作するはずだ。しかし音声入力が主流だった頃の代物だから、脳波での操作は少し面倒だ。その面倒さを考えると、東が顔をしかめる理由はすぐに分かった。

「脳波で操作するなら、僕のARだと大変だね。嫌だったら、返してくれても大丈夫だからね」

 返しやすい雰囲気を作るために、安藤は優しく包み込むような口調で言った。

「気にしないで大丈夫だよ」

 東はAR眼鏡をかけると言葉を続ける。

「まぁ、AR眼鏡掛けてないと落ち着かないし……」

 そう言って、電源スイッチを押す。

「アクセス、東愛舞のAR眼鏡用のクラウドへ」

 その言葉を言い終えると東の顔から力が抜けていき、真顔のまま何も言わなくなった。

 安藤がAR眼鏡のレンズを見ると、IDとパスワードの入力画面になっていた。

 周りに人がいる状況ではさすがにIDとパスワードを音声入力することは出来ないので、脳波によって入力しているのだ。

 記憶を辿ると、高田は会話をしながらAR眼鏡を操作していた。会話をしながらでもAR眼鏡へ命令している脳波だけを正確に抽出するなんてすごいな、と安藤は再び感心した。

 教室に掛けられている時計を確認すると一時間目の授業が始まるまでもう時間がなかった

「東、授業始まるから席に座ったほうがいいよ」

 東は肩を上げて驚くと、安藤の机に手を乗せる。顔を安藤の方に近づけると怒った口調で安藤を責めた。

「もう少しで入力が終わるところだったのに、必要ない文字が何個か入っちゃったじゃない!」

 やってしまった、と安藤は心の中で後悔した。

 安藤のAR眼鏡は脳波で操作する場合は、他のことに神経を使うと正しく動作させることが出来ない。しかも、さっきまで東はIDとパスワードという何と入力したか表示されない伏字になる文字入力をしていたのだから、無駄な文字が入ったら最初からだ。そのときに邪魔をしてしまったのだから、すごく申し訳ないことをしまったのだ。

「ごめん。でも、そろそろ授業が始まる時間だから席に座った方がいいよ」

 東は、視線だけを動かして時計を確認した。

「もう、分かってる。これは借りてくからね!」

 AR眼鏡に触れながら、東は自分の席に向かった。すると、授業の始まりを告げるチャイムの音がスピーカーから流れた。それと同時に、教室の扉が開き先生が入ってきた。所々に白髪が混じった頭としわが刻まれた顔から、四十歳から五十歳の間に見える。だが、その首にはセーフティ・チョーカーが付けられている。

 他の学校や塾で人気の高い先生の授業内容をベースに、生徒の状況に合わせて授業を展開する教師型アンドロイドだ。こうすることにより、先生による気に入った生徒へのえこひいきなどをなくし、平等で質の高い授業を展開する、というのが安藤達の通う高校の売りだ。それに加え、先生がアンドロイドということで怠ける生徒が出ないように、全部の教室にカメラが設置されている。カメラの映像は監視室に送られ、数名の人間によって監視が行われている。問題が起きた場合は、そこにいる人間が問題の解決を行う。

 公立高校では全学校が未だに人間が先生を行い。私立の学校でも安藤の高校以外ではあまりアンドロイドによる授業は普及していない。

 一時間目の授業が終わる十分前に、突然教室の扉が当然開いた。

 入ってきたのは、僅かに茶色がかった髪の毛を目に入るほど伸ばした男子生徒だ。安藤はあまり関わったことがないが、名前が個性的だったため、覚えている。北野戦争という名前だ。

「遅刻ですが、何かありましたか?」

 先生が授業を止めて聞くと、北野は席に向かいながら気だるそうに答えた。

「俺ぁ寝坊ですぜぇ」

 ブルーカラーの人間が多く住む地域の中でもガラの悪い人間が話す話し方だ。高田は北野の普通とは違う口調を、コックニー訛りかよ、と馬鹿にしている。

「そうですか。早く席に座りなさい」

「そうしやぁす」

 先生は眉一つ動かさずに言うと、授業を再開した。

 北野は毎日のように遅刻するが、先生も全く毎日同じように答える。呆れたり、怒ったりする動作をしないところが、さすがアンドロイドだ。

 それからすぐに授業が終わった。授業が終わると、高田は口元をほころばせながら安藤の席に近づいてきた。

「聞いたか。あいつまた言っているよ。俺ぁ寝坊ですぜぇ、だって」

 声に出すと、笑いを堪えられないのか頬も緩み始めた。

「変わった話し方だよね」

 返答に困る言葉に安藤は、苦笑いを浮かべながら可もなく不可もない無価値な返事をする。

 高田はAR眼鏡で何かを見ながら話しているので、目を合わせる必要はない。安藤は視線を動かし北野を見ると、少しだけ古いAR眼鏡越しにこちらを凄まじい形相で睨んでいた。北野とあまり関わりたくはない安藤は、北野を怒らせる起爆剤となる事や物がないことを願いながら視線を東に移す。

 東は自分の席に座ったまま、安藤が貸したAR眼鏡の操作に集中している。

 再び高田に視線を戻すと、高田はAR眼鏡に集中し始めて表情がなくなっていた。

 安藤は鞄から本を取り出し、読書を始める。高田は少し経つと席に戻った。こうして休み時間は終わった。

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