停滞前線
説明文です、
一応重要かな?
1942年、
8月7日のインド洋航空戦をもって、
日米は太平洋での睨みあいに転じた、
日本は補給線の増強が急務であり、
アメリカは空母などの戦闘艦艇の戦力化に一生懸命となっている、
南太平洋での第三機動部隊の活躍もあり、
アメリカ海軍は潜水艦の出し惜しみをするようになった、
空母レンジャーが第三機動部隊に追撃されることもあったが、
その持ち前の幸運で何とか切り抜けており、
角田司令官に一泡吹かせ、何とか報いることが出来た、
この時、レンジャーは単独単艦での行動であるため、
更に角田を唸らせた
一方、
日本本土のほうでは、
出撃ついでに東京によった第七艦隊の矢川が共技本に顔を出しており、
会議に参加、
東條率いる陸軍に戦車の戦力不足で泣きつかれこれを快く引き受ける、
『61式戦車』の設計図を引き渡す、
ちなみに、中戦車としての採用が既に決まっており、
現在試作車両を製作中である、
そして、
インドの方では苦戦を強いられているイギリス軍に何と予定が繰り上がりに繰り上がった、
陸軍の南方部隊が増援として到着、
破壊神の如く突破口を次々と開いていった、
現地のイギリス兵曰く、『味方でよかった』だそうだ
欧州戦線も、
ドイツ、イギリスの空軍陸軍が大活躍、
一方イタリアは、前線兵からこういわれている
『イタリア兵の強さは部隊の規模と反比例する』
イタリアは何と少数精鋭の特殊部隊の能力を身につけたのだ、
これにはドイツとイギリスも『やれば出来るじゃん』と、
ソ連の戦車、宿営地の破壊工作をおよそ90%の確立で成功させていた
一方のイタリア本土の海軍は未だに石油不足で動けずに居た、
スエズ運河は現在アメリカの潜水艦隊により封鎖、占領されており、
現在は第二機動部隊と第七艦隊待ちである、
そして、
この太平洋でのにらみ合いは、
ある海戦が発生するまで続いた
次回、
挿絵回!!
以上!
また今度ッ!!




