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【短編】乖離 -KAIRI-

作者: 厨厨
掲載日:2026/10/22

 初秋。

 どこまでも広がりそうな紺色の空に、小さく浮かぶ青白い月。

 

 田畑に囲まれた、十字の交差点。

 赤色に点滅する信号が、荒れたアスファルトを照らす。


 その下に立つ、一人の青年。

 信号の光で照らされる顔は、不敵な笑みを浮かべている。

 カジュアルでイカつい服に身を包み、髪は綺麗に整えられている。

 このような田舎では珍しいものの、ごく普通の大学生といった印象だ。


 奇妙な点があるとすれば、全く同じ顔の青年が、向かい側に立っていることだ。

 

 その青年は少しくたびれたジャージを着ており、髪が少し乱れている。

 目の下にはクマが見え、頬は痩けている。

 点滅する電灯の弱い光が、やつれ具合を鮮明にする。


 同じ顔をした2人が、見つめ合う。

 一人は笑い、一人はしかめている。


 若々しい青年は、真っ直ぐ伸びる道路を背に。

 疲れ果てた青年は、波音を立てる海を背に。

 

 ——もし本当に悪魔が居るのなら、僕は喜んで手を差し出すと思う。


 ——非業の死なんて、未来の話はどうでも良い。


 ——今の苦しみが、今の心の痛みが無くなるのなら、それで良い。


 ——耐え難い苦痛は、いずれ僕を壊すのだから。


 

 13歳。


 教室前の廊下。

 硝子から差し込む陽気な陽の光と、開いた窓から舞い散る桜の花びら。


 教室の中では、学ランとセーラー服を着た生徒たちが喧騒を作り出す。

 教室の壁に掛けられた時間割。

 時間割の上部には、中学1年時間割、と書かれている。


 ——始まりは、クラスメイトからの言葉だった。


 ——僕は教室の一番後ろ、窓際の席に座っていた。


 ——その僕の傍に、一人の女子がやって来たんだ。


「君って、真面目だよねぇ」


「……え?」


「だってほら、小説読んでるし!」


 ——突然のことで、困惑した。


 ——確かに小説は読んでいたけれど、別に真面目じゃなくても好きな人は居る。


 ——それに、僕はどちらかと言えば面倒くさがりで、ちゃらんぽらんだった。


「いや、僕は……」


 ——僕はすぐに訂正しようとしたけれど……。

 

「小説なんて、文字多くて読めねぇよ」


 ——すぐ傍で話していた男子2人組が、割り込んできた。


「俺も。読んでも内容入ってこないし、眠くなるよ」


「それ分かるぅ! だから凄いなぁって思ったのよ!」


 女子生徒は喋りながら、男子グループの方へ去っていく。

 青年は変わらず小説を読んでいるフリをするものの、目の焦点は文字に合っておらず、視界全体がぼやけていた。


 ——言いそびれてしまった。


 ——これで僕は周囲の中で、真面目キャラのレッテルを貼られてしまった。


 ——僕の心はザワついた。


 ——どうしようもない焦燥感と、恐怖に駆られた。


 ……真面目にならないと。


 ……周りの期待に応えないと。


 ——そう思ってしまった……。



 少し時期が経ち、テスト返し。

 全ての生徒にとって、中学生になって初めてのテスト。

 教室中が悲壮感に包まれる中、青年の机の上には、98点のテスト用紙が。


 ——あの日から僕は、必死だった。


 ——元々頭も良くないのに、寝る間も惜しんで勉強した。


 ——必ず、必ず応えないと、そんな思い一心で。


 青年の近くの男子生徒、女子生徒は、青年のテスト用紙を覗き込み、目を見開く。

 徐々に他の生徒も集まり始め、青年に声を投げかける。

 教卓に立つ教師の声は、生徒達の声で掻き消される。


 ——周囲から寄せられる、やっぱりね!という反応。


 知ってか知らずか、青年の口元が徐々に緩む。


 ——正直、悪い気はしなかった。


 ——その人物像は、僕の理想でもあったから。


 ——そして次第に、僕は本当に真面目なんだと、思い込むようになった……。



 16歳。



 冬の夕方。

 強く吹き付けてくる木枯らしを嫌い、そそくさと校門を通って外へ出る、ブレザー姿の男女達。


 場所は変わり、校舎裏の駐輪場。

 冷たい風が吹き抜け、地面に落ちた枯葉を舞い上げる。


 そこに立つのは、ネックウォーマーを着けた青年と、マフラーと手袋を着たボブヘアーの女子生徒。

 女子生徒はラッピングされた小さな箱を持ち、顔を赤面させ、絶え間なく茶色の髪を弄っている。


「……す、好きです! 付き合ってください!」


 目を強くつむり、両手で箱を差し出す女子生徒。

 その姿を見て、青年は思わず立ち竦んでしまう。


 ——高校生の冬、初めて告白された。


 

 時は少し遡り、初夏。

 青年は教科書を持って、廊下を歩いている。


 ——高校に上がってから、僕には新しいレッテルが貼られた。


 ——真面目でクールな人。


 青年の対向側に、3人の女子グループ。

 その中には、茶髪でボブヘアーの女子生徒の姿も。


 ——真面目で居ようとするあまり、僕は人と関わりを失っていた。


——でもそれが、周りからはクールと思われたみたいで。

 

 校内ですれ違う2人。

 青年は自身の足元を見て歩き続ける。

 一方の女子生徒は、目で彼の姿を追い、最後は背中を見るように振り返る。

 しかし、青年はそれに気付かない。


 ——そのレッテルに、彼女は惹かれたらしい。


 

 夏の水族館。

 魚の泳ぐ水槽越しに、笑い合う2人。


 ——でも、正直嬉しかった。


 桜の下。

 屋台で買った団子を食べる2人。


 ——彼女が出来るとは思ってもみなかったし、何より2人で居る時間は楽しかった。


 夏祭り。

 花火を眺める2人の後ろ姿。


 ——外ではクールを装う自分が、2人の時は氷解していく。


 紅葉狩り。

 綺麗な紅葉を見上げる青年

 一歩下がり、主人公の横顔を見つめる女子生徒。


 ——本当の自分を出せているような気がした。


 ……そんな時だった。


 

 雪降る夜。

 大きな川沿いに広がる、街中の広場。

 街路樹は黄色のイルミネーションで飾り付けられ、川を隔てるフェンスも、赤色と白色の光で彩られる。

 

 その場で向き合う、女子生徒と青年。

 互いに防寒具を着け、年齢と比べて少し背伸びしたかのような、お洒落な服装をしている。


「別れよ、私達」


 青年に向けられた、鋭い言葉。

 女子生徒は振り返り、青年の元を去っていく。

 彼は右手を伸ばすものの、足が動かず、その場で立ち竦む。

 

 ——何でって聞いた。


 ——突然すぎて、理解できなかったから。


 去っていく後ろ姿を、ただただ見つめる青年。


 ——思ってた人と違う。


 ——彼女は目を見て、ハッキリそう言った。


 その後。

 青年はフェンスに寄りかかり、川の水面を、水面に写った自身の顔を見つめ続ける。


 ——彼女が好きだったのは僕ではなく、貼られ続けた僕のレッテルなんだと、気付いた。


 ——このままじゃ駄目、本当の僕にならないと。


 ——そう思った。


 ——でも同時に……人に失望される恐怖も、知った。



 18歳。



 季節は春。

 6畳一間のワンルームマンション。


 全身鏡の前で、コーデを確認する青年。


 ——大学生になって、僕は本当の自分になろうと思った。


 ——今までのキャラは捨てる。好きな服を着て、素直になる。


 ——そうすれば、皆が本当の僕を見てくれるようになると思った。


 ——そう……思っていた。


 キャンパスの中。

 机に突っ伏して寝るか、隠れてスマホやパソコンで遊ぶ大学生達。

 それに対比して、真面目に授業を受ける青年。


 ——人の目がある環境は、知らぬ間に僕を変えていた。


 ——無意識は、僕の僕を覆い隠し、周りの僕を光らせる。


 ——そして皆は、光り輝く方を見る。


 食堂で一人、昼食を食べる青年。


 ——僕が僕で居る時間と、望まれる僕でいる時間は逆転し、染み付いていた。


 ——僕を僕じゃなくしたのは、誰でもない、僕自身だった。


 キャンパスの廊下。

 青年は男2人、女2人の4人と共に、楽しそうに歩いている。


 ——そして、その僕を好いてくれる人が居る。


 ——友達と一緒に居て、楽しい大学生活を送っている。


 夜のカラオケ。

 楽しく歌う友人達と、笑顔でタンバリンを叩く青年。


 ——何だかんだで、理想の生活を送れている。


 ——その事実が、僕を歪めていく。


 ——この僕が、本当の僕なんだ。


 ——そう、確信してしまった……。



 22歳。


 

 会社のオフィス。

 スーツを着たサラリーマンが大勢、デスクワークに励んでいる。

 ふくよかな上司が座る席の前で、何度も頭を下げる、スーツ姿の青年。


「お前、何度言ったら分かるんだ!」

 

「お前の失態は俺の責任なんだよ!」


「良い加減、理解しろよ馬鹿が!」


 ——就職した僕は、完全な役立たずだった。


 自身のデスクに戻る青年。

 椅子に座り、両肘を突いて、手で顔を覆い隠す。


 ——勘違いした僕は、知らぬ間に自分を偽ったまま、会社に就職。


 ——しかしそこは、本当の僕には合わなかった。


 ——会社内で働く、社員の失望の目線。


 ——冷たく、鋭い失望の目が、僕を突き刺してくる。


 夜の自宅。

 ゴミだらけで、散らかった部屋。

 枕元に置かれたスマホは、絶え間なく通知が鳴り響く。

 布団の中に包まり、震えながら涙を堪える青年。


 ——本当の僕は違う。こんなことが出来る人間では無い。


 ——まざまざと、現実に直面した。


 ——でもそれを引き起こしたのは、何を隠そう自分な訳で。


 青年は無気力のまま立ち上がり、夜のベランダへ。

 建物は5階建て。

 吸い込まれるかの如く、地上をじっと見下ろす。


 ——理想はあくまで理想。


 ——理想を理想たらしめているのは、叶わないことそのもの。


 ——生活苦、自責の念、自己嫌悪。


 ——現実と自分が、僕の心を蝕んでいく。


 ——そして……僕は……壊れた。


 夏。

 田舎の実家。

 

 スーツケース等の荷物が、子供の頃の面影を残した部屋に転がる。

 ベッドを背に寄り掛かり、天井を見上げてボーっとする青年。


 ——結局僕は、逃げるように会社を辞めた。


 ——何も言わずに親元へ帰り、部屋に引きこもった。


 ノックされる扉。


 ——親は、最初こそ心配してくれた。


 ——でも次第に、そろそろ働け、怠けるな、社会は甘くない。


 ——そんな言葉を掛けてくるようになった。


 ——その言葉は正論で、至極当然。


 ——傍から見れば、僕は心が弱くて、その場の辛さから逃げた怠け者。


 夜の海。

 白い砂浜、月の光が輝く穏やかな海。


 砂浜に腰を下ろし、波打ち際をじっと見つめる青年。


 ——それもその通りだ。


 ——それは分かっているけれど……僕の心と脳裏にこびり付く、あの辛さとあの光景。


 ——思い出す度に動悸がして、自分を責めずにはいられない。


 ——またこんな思いをするんじゃないか。


 ——そう思って、怖くて動けなくなる。


 砂浜から立ち上がり、堤防に造られたコンクリートの階段を上がる青年。


 ——こんな話を聞いたことがある。

 

 ——アメリカのとあるブルース歌手が、十字路で悪魔と出会い、魂の代わりにギター技術を手に入れたという伝説。

 

 ——歌手は名声を得た代わりに、非業の死を遂げたという。

 

 少し歩いて、十字の交差点に辿り着く青年。


 赤の点滅信号の下。

 不敵に笑う、少しイカつい格好——大学生の頃の青年。

 顔がチカチカと、赤い光に照らされる。


 ——もし本当に悪魔が居るのなら、僕は喜んで手を差し出すと思う。


 謎のもう一人の青年。

 見つめ合う2人。


 ——非業の死なんて、未来の話はどうでも良い。


 ——今の苦しみが、今の心の痛みが無くなるのなら。


 景色が変わる。

 謎の青年を中心に、緑豊かで、綺麗な花々が咲き乱れる、晴れ晴れとして暖かい陽気が溢れる。

 綺麗な花びらが舞い、青年の頬につく。


 若き青年が、今の青年に手を差し伸べる。


 ——でも、こんな僕の魂を、悪魔は欲しがるだろうか?


 手を取ろうとした瞬間、背後から、足元に水が流れ始める。

 振り返った瞬間、青年は大きな波に飲み込まれてしまう。

 渦の如き波に飲み込まれていく、美しい草原。

 暗く深い、海に変わる。


 ——自分自身を騙し、それを理解できぬまま、傷付き続けた、この空虚な魂を。


 ——何も無い、何も出来ない、無価値な僕の魂を。


 海の中。

 水面を見上げる青年。

 水面から僅かに差し込む、太陽の光。


 ——いや、もう分かってる。


 必死に手を伸ばす青年。


 ——誰も僕なんか欲しくない。


 ——誰も、本当の僕を欲していない。

 

 しかし、いくら伸ばしても、そこには届かない。

 青年は苦しみ、次第に力が抜けるように目を閉じる。


 ——例え、自分さえも……。

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