第5章:潜入調査(インフラ)と旧知の再会
貴族街は相変わらずだ――傲慢で、煌びやかで、吐き気を催すような高級香水の匂いが立ち込めている。
アルバートは深く息を吸い、顔を隠すように御者の帽子を深く被り直した。彼にとって、ここに戻ることは危険な潜入任務を意味していた。
【視点:アルバート ―― 現場ネットワークマネージャー】
アルバートが最初に向かったのは王宮ではなく、街の片隅にある、若手貴族などまず足を運ばない古びた喫茶店だった。
そこでは一人の老人が、緩慢な動作でグラスを磨いていた。
「ブラックコーヒーに、森の蜂蜜を二杯。……シラス」
カウンターに座り、アルバートが静かに告げた。
老人の手が止まる。シラスは、アイシャが失脚した際に不当解雇された、元オブライエン家の家令だ。シラスは鋭い目でアルバートを射抜き、囁き返した。
「森の蜂蜜はこの時期にはないぞ、アルバート。『下』から持ってこない限りはな」
「持ってきた。……そして、『あの花』はまだ枯れていない」アルバートが断言する。
シラスの身体が震えた。
彼はすぐさまアルバートを狭い奥の部屋へと案内した。「アイシャ様があんな卑劣なことをするはずがない。だが教会だ……奴ら、爵位剥奪の承認が早すぎた。何かがおかしいぞ」
アルバートは身を乗り出した。「それが、私がここにいる理由です。アイシャ様はデータを求めています。『聖域協定』について何を聞いていますか?」
シラスは隠し引き出しから、古びた羊皮紙を取り出した。「これは単なる祈りの契約ではない。王国は聖教団と密約を交わした。教会はハナと王子の血統を『光の番』として全面支持する。
その見返りに、教会は北部国境の『魔力結晶鉱山』の独占権を得るのだ」
アルバートは拳を握りしめた。「あの鉱山は……アイシャ様が三年間かけて手掛けたプロジェクトだ! 彼女が北部を安定させたからこそ、稼働に漕ぎ着けたというのに!」
「その通りだ」シラスは悲しげに頷いた。「奴らは婚約者を盗んだだけではない。教会の買収のために、彼女の努力の結晶まで盗み取ったのだ。
教会の後ろ盾がなければ、浮気スキャンダルのある王子は即位できない。だから、アイシャ様の成果を自分たちの『免罪符』として使ったのだ」
アルバートは立ち上がった。その瞳には冷徹な決意が宿っている。「仲間を集めてください、シラス。アイシャ様に救われた使用人、庭師、料理人……。私たちはもう単なる家政婦ではない。情報部だ」
「次なる計画は何だ、アルバート?」
「協定の原本が大聖堂に移送される時期を特定します。アイシャ様は仰いました。リスクマネジメントにおいて、攻撃すべきは『敵が最も安全だと思い込んでいる瞬間』だと。
教会の支持を断ち切れば、王子の正当性はゼロに転落する」
アルバートは足早に店を出た。頭の中では物流のスケジュールを組み立て始めている。
彼はもはやただの御者ではない。この象牙の塔を崩落させる機械の歯車なのだ。
アルバートは馬車を駆り、オブライエン邸の門を潜った。物流報告や予算会議で活気に溢れていた屋敷は、今や巨大な墓標のように静まり返っている。
深夜まで働くアイシャのために用意されたハーブティーの香りも、もうどこにもない。
庭を掃いていた数人の使用人が手を止めた。彼らの顔は沈み、目の下には隈が浮いている。
「アルバート?」マーサという名の年長の侍女が駆け寄った。「戻ったの? 噂では……アイシャ様は『下』へ送られたと……」
マーサの声が震える。他の使用人たちも集まり、項垂れた。
世間から見ればアイシャは失脚した罪人だが、王国の安定のために一日二十時間働く彼女を見てきた者たちにとって、その物語はあまりに歪だった。
「様を見たのかい?」若い使用人が掠れた声で訊く。
「あんなに立派なアイシャ様が……熱湯をかけたなんて理由で堕ちるなんて。あの方が戦後の経済をどれだけ支えたと思っているの。どうして、あんな卑しい場所へ……」
アルバートは御者台から飛び降りた。彼は仲間たちを一人ずつ見つめる。彼らの瞳には疑念の火が灯っていた。健全な疑いだ。彼らは現場の人間であり、アイシャ・ファン・オブライエンが単なる貴族ではなく、この国の「主管理者」であったことを知っている。
「聞きなさい」アルバートは低く、だが重みのある声で囁いた。「あの方が、そう簡単に堕ちると思うか? 五つの州の小麦税を一手に管理した頭脳が、たかが一枚の追放勧告で諦めると思うか?」
マーサは息を呑んだ。アルバートの口調から何かに気づいたようだ。「……まさか」
「アイシャ様は堕ちてなどいない。ただ『オフィスを移転した』だけだ」アルバートは意味深な笑みを浮かべた。
使用人たちの目が見開かれる。
絶望に沈んでいた空気が一変し、希望を孕んだ緊張感へと塗り替えられた。
「よく聞いてくれ」アルバートは車輪を点検するふりをして続けた。「アイシャ様の旧執務室に入る経路が必要だ。そこに残された教会の監査スケジュールの控えが欲しい。
もし君たちが、今もあの方に命と誇りを預けているのなら……今こそ『真のプロジェクト』に従事する時だ」
マーサは力強く頷き、拳を握った。「宮廷の連中はゴミを捨てたつもりでしょうけど、あの方という『国家の頭脳』を、自分たちの手の届かない場所へ送り出したことに気づいていない。
……指示を。私たちは何をすればいいの?」
アルバートは脳内の仮想画面を呼び出し、アイシャの「資源管理」の指示を反芻した。「悲嘆に暮れているふりを続けろ。絶望しているふりをするんだ。
だが、ハナの執務室に出入りするあらゆる情報を拾い上げろ。……内部からの破壊を開始する」
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