第17章:時間軸の戦略(クロックワーク・タクティクス)
先ほどまでの石小屋とは打って変わり、古びた地図と重厚な書架に囲まれた執務室。マーベリー卿は、温かい茶を差し出してくれた。
立ち上る湯気が、安らぎを与えるジャスミンの香りを運んでくる。私はその茶をゆっくりと口にし、先ほどの緊張で凍てついた喉を潤した。
「……それで、アイシャ様。具体的にどのような策を講じられるおつもりで?」
マーベリー卿が陶器のカップを握りしめ、依然として疑念の残る目で問いかけた。
私はカップをソーサーに静かに置いた。――カチャリ、と繊細な音が響く。
「用いるのは『多段階潜入』よ」
私は彼を真っ直ぐに見据えた。
「潜入だと?」卿は眉をひそめた。「王宮の騎士は素人ではない。侵攻の前には、国境の隅々まで精査するはずだ」
「そこが死角なのよ」私は身を乗り出した。
「数名の兵を、恐怖に駆られて避難する『村人』に偽装させるの。王軍が到着し、包囲戦の準備を始めた時、その村人たちはすでに敵陣の背後に潜んでいる。……私たちの主目的は敵将の首ではないわ。
狙うのは『兵站車両』よ」
茶をもう一口含み、言葉を続ける。
「奴らが安全を確信し、夜明けの総攻撃に備えている隙に、潜伏させた兵が食糧庫を焼き払い、後方の井戸に毒を撒く。
腹を空かせ、士気が崩壊した瞬間……それこそが、ルークソウ騎士団の本隊が背後から奴らを刺し貫く絶好の機会よ」
マーベリー卿は絶句し、顎に手を当てて思考に沈んだ。
「なるほど……会戦の前に食糧を断つ、消耗戦か」
「ええ。ただし、野戦炊事場の正確な位置と予備ルートを把握するための、極めて優秀な密偵が必要よ。
敵がこちらを知る前に、私たちが敵の内情を完膚なきまでに知る必要があるわ」
その時、執務室のオーク材の扉が激しく叩かれた。室内に控えていたサミュエルが即座に身構える。
「報告いたします、卿!」外の衛兵の声が上ずっている。「北門に武装集団が接近! 数はおよそ八十! レディ・サラの配下を自称し、リーダーは……トーマスと名乗る大男です!」
私は薄く微笑んだ。
納期は完璧ね。「私の約束した、密偵と増援の部隊よ、マーベリー卿。トーマスは元騎士団長。これからここへ攻めてくる軍隊の標準な作戦手順(SOP)を誰よりも熟知している男よ」
卿は立ち上がった。
その顔には驚きと、そして隠しきれない希望の色が混じっている。「あのトーマスか? 汚職の濡れ衣を着せられた、あの男が?」
「その通りよ」私は優雅に立ち上がり、黒いドレスを整えた。「彼の頭脳と私の兵站管理があれば、貴方の領地の薔薇に、ハナの汚らわしい手が触れることは万に一つもないわ。
……さあ、彼らを迎え入れましょう」
私はマーベリー邸を出て、夜風に黒いマントをなびかせながら石階段を降りた。階段の先には、私の「主戦力」であるトーマスが、精鋭ユニットと共に控えていた。
「サラ様、命により参じました」
トーマスが深く頭を下げる。背後には、置屋出身のならず者五十名と、ブローカーから買い上げたプロの傭兵三十名。彼らは静寂を纏いながらも、その眼差しは並の兵士を遥かに凌駕する殺気を放っていた。
「良いタイミングよ、トーマス。貴方たちはすぐに傭兵を連れて北方へ向かいなさい。川沿いの茂みに潜伏し、待機。狙いは水路と木橋よ。私の伝書鳩が届くまでは、決して動いてはならないわ」
「御意、サラ様。北の亡霊となりましょう」
トーマスが合図を送ると、傭兵たちは音もなく闇の中へと消えていった。
私は隣に立つサミュエルに向き直った。「サミュエル、ハンスにハヤブサを飛ばして。東部セクターの座標(座標)を伝えなさい。『クロックワーク(時計仕掛け)戦略』の発動よ」
手に持った小さな地図を指差す。「正午の位置を正門、3時の位置を東の森とするわ。ハンスは日没と同時に、4時と5時のセクターにユニットを配置。時計回りに移動し、攻撃開始と同時に王軍騎兵の退路を背後から完全に封鎖させるのよ」
「ただちに、レディ」
サミュエルが鋭い口笛を吹くと、訓練された猛禽が夜の闇を切り裂き、ハンスの元へと飛び立った。
最後に、私の指揮効率に圧倒されているマーベリー卿を振り返る。
「マーベリー卿、見惚れている時間はないわ」私の声が彼の思考を呼び戻す。「今すぐ東へ避難の馬車を出しなさい。荷台の藁の下には、貴方の精鋭を潜ませて。絶望した難民を装い、ゆっくりと動くの。
西から侵攻してきた王子が東の『混乱』を見れば、私たちが屈服したと錯覚するはずよ」
卿は頷いた。そのオーラには、私に呼応するような覇気が宿っている。「聞いたか! 境界の村を空にしろ! 馬車を出せ!」
月光が翳り始める中、木製の車輪が軋む音と土煙が舞い上がる。変装したルークソウの騎士たちは、重い鎧を脱ぎ捨て、死を運ぶ粗末な麻袋へと身を投じた。
【作戦ステータス:トロイの木馬 & クロックワーク戦略 ―― 進行中】
【敵接触予測:48時間以内】
私は城のバルコニーに立ち、眼下で動く軍勢を見つめた。サミュエルが背後の定位置に戻る。
「完璧な戦略です、サラ様」
「いいえ、サミュエル。これはまだ、キックオフ(開会)に過ぎないわ」
私は口の端を吊り上げた。
「奴らは薔薇を摘みに来る。……けれど、そこで手にするのは、ルークソウの至る所に生い茂る『致命的な棘』よ」
更新が滞ってしまい、申し訳ありません。数日前から発熱で寝込んでおりましたが、忙しい合間を縫って、できる限り投稿を続けていきたいと思っております。
アイシャの鮮やかな指揮によって、ついに戦いの幕が上がりました!
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