第10章:鉄の地区(アイアン・ディストリクト)への進軍
「アイシャ様、お初にお目にかかります。ハンスと申します」
男は、野卑なならず者とは一線を画した、鍛え上げられた騎士の威厳をもって跪いた。その隣で、もう一人の男も同じ所作で続く。「サミュエルです」
私は目を細め、彼らの堂々とした体躯と剣の柄を握る慣れた手つきを観察した。「貴方たちも……トーマスと同じ、元騎士なの?」
私は少し腰を落とし、平伏する彼らと視線の高さを合わせた。
「左様にございます、アイシャ様」サミュエルが毅然とした声で答える。
「我らは、トーマス殿に叛逆の罪などないことを知っております。彼が行く場所ならば、どこへでも。そして、今この瞬間より、貴女様に忠誠を誓いましょう」
私は立ち上がり、薄汚れたローブの襟を整えた。プロの元騎士という「資産」を手に入れることは、軍事マネジメントにおいて絶大な利益となる。彼らは単なる戦力ではない。
制御された「規律」そのものなのだ。
「いいわ。ハンス、サミュエル。貴方たちが私を『鉄の地区』へ護衛しなさい」私は冷徹に命じた。「物理的な装備を整える……巨大なプロジェクトの始まりよ」
用意された簡素な馬車へと歩を進める。乗り込む直前、私は心配そうに控えていたヘレンの傍らへ寄った。
「ヘレン、私は武器を調達しに鉄の地区へ行くわ。貴女はこの地区を死守し、どんな些細な不審点も記録しなさい。
情報のパイプラインを一時たりとも途絶えさせてはダメよ」
「承知いたしました、アイシャ様。この命に代えても、務めを果たします」
ヘレンが絶対的な忠誠を誓う。
私は馬車に乗り込んだ。車内の隅には、トメ・ヨークからの投資金と置屋の税金が入った小さな木箱が鎮座している。
これは、路地裏のならず者たちを「プロの傭兵団」へと変貌させるための運転資金だ。
馬車が動き出す。煤と泥にまみれた「粘液地区」を離れ、さらに過酷な煤煙の地――鉄の地区へと向かって。
揺れる車内で思考を整理しようとしたその時、マネージャーとしての直感が警鐘を鳴らした。私は汚れた窓カーテンの隙間から外を覗き見る。遠く、古木の影に、単なる通行人にしてはあまりに規則的な動きを見せる数個のシルエットを捉えた。
【警告:偵察個体を検知】
【ステータス:三つの未確認変数が高速度で追走中】
「ハンス、サミュエル」私は御者台に向かって、鋭く、だが低い声で囁いた。
「振り向かないで。後ろに『尾行』がついているわ。ただの観察じゃない……あれは『狩り』の動きよ」
馬車が暗い境界の森へと差し掛かった瞬間、風を切る音が静寂を切り裂いた。
――ヒュッ、ドスッ!
「矢!?」
黒い矢羽のついた矢が、私のこめかみから数センチ横の窓枠に深々と突き刺さった。木枠が弾け、鋭い破片が私の頬を掠めて血が滲む。
「アイシャ様、伏せてください!」ハンスが叫ぶ。
私のマネージャーとしての本能が意識を支配した。危機管理において、パニックは資源の浪費に過ぎない。
「ハンス! 馬を限界まで飛ばしなさい! サミュエルは屋根へ! 狭い一本道で包囲させるんじゃないわよ!」
タッタッタッタッ!
背後から迫る蹄の音が、心臓の鼓動を追い越していく。不意に左側から、軽装の鎧を纏った仮面の男が馬車と並走した。血走った目で長剣を構え、激しく揺れる車内へ乱入しようと試みる。
「金を置いていくか、その首を置いていくか選べ!」下卑た怒号。
「サミュエル! 執行しなさい!」
私は無感情に命じた。
サミュエルは言葉で返さなかった。彼は猛スピードで走る馬車の屋根へと飛び移る。森の悪路による激しい揺れなど、彼には関係ないようだった。重力と強風に抗い、彼は一息で巨大な剛弓を引き絞る。
キィィィィ、ンッ!
黒い閃光のような矢が放たれた。「ギャアッ!?」左側の男は、サミュエルの矢に肩を貫かれ、そのまま街路樹の枝へと縫い付けられた。残酷なまでの精度。
だが、追走は終わらない。さらに三つの影が茂みから現れ、投擲用の斧を馬車に叩きつける。
――ドォォン! 馬車が右へ大きく傾ぎ、転倒寸前になる。
「ハンス、前方に急カーブよ! ブレーキは踏まず、遠心力を利用しなさい!」私は金貨の箱を、まるで全事業の心臓部を守るかのように抱きしめた。
「御意!」
ハンスが手綱を力一杯引き絞る。馬車は斜めに滑りながら、通常の馬車では不可能なドリフト走行でコーナーを抜けた。
屋根の上で、サミュエルは一度に三本の矢を番え、同時に放った。騎士団のエリートのみが成し得る高等技術。二人の追っ手が崩れ落ち、舞い上がった土煙が最後の追跡者の視界を奪う。
サミュエルは容赦しなかった。最後の一射が相手の馬の目を正確に射抜き、追跡者は岩だらけの道に馬ごと転倒した。
【通知:脅威の最小化に成功】
【ユニット効率:ハンス&サミュエル(100% ―― 最適)】
森を抜けると、空気が一変した。湿った土の匂いは消え、代わりに硫黄と煤の臭い、そして耳を聾するような金槌の音が響いてくる。
数千の炉から吐き出される煙のせいで、ここの空は永遠に灰色のままだ。
私たちは到着した。大陸の武器庫と呼ばれる独立地帯――「鉄の地区」へ。
「着きました、アイシャ様」ハンスが黒鉄の重厚な門を潜り、速度を落とす。
私は馬車から降り、頬の切り傷を無視して一歩を踏み出した。ハンスとサミュエルも御者台から飛び降りる。二人とも、息一つ乱れていない。並の兵士を遥かに凌駕する実力の証明だ。
「……素晴らしい投資ね」私は無事だった金貨の箱を叩いた。「この資本を、長老会の喉元を食い破る『牙』に変えるわ。
さあ、王国の法律を最も憎んでいる鍛冶屋を探しなさい。一箇大隊を武装させるための『買い物リスト』があるの」




