幽霊兼八Ⅲ
イルカレッドの試合は今日も変わらず、ちと寂しいものだった。まぁ美紀ちゃんの友達が土鈴の霊力を使い切ってくれたから良いことにしよう。自分がヤエちゃんにあげたお守りが呪物扱いになっているのを知った時には頭を抱えたものだ。
美紀ちゃんが運転する車は夕焼けの海を左に見ながら浜田へと帰っていく。助手席で眠る美紀ちゃんの友達はムニャムニャと緩く口元を動かしながら笑っている様に見える。つい先日とんでもない失恋をした女の子には見えない。
ふと美紀ちゃんに話しかけようとしたら、バックミラー越しに鋭く睨まれた。最近の俺は人が居る時にもついつい喋りかけてしまう。その度に美紀ちゃんから「独り言の多い怪しい人だとおもわれちゃう!」と叱られている。仕方ない、今は夕焼けの中を舞うカモメの数でも数えて大人しくしていよう。
友達を家に送り届けた美紀ちゃんは、帰宅する前に店に寄った。カランコロンと逢魔が時の静けさにドアベルが響く。
「ただいま……ひぇっ!」
店内に踏み込んだ美紀ちゃんが、不意に短く悲鳴を上げた。視線の先には、まるでお化けのように不気味に浮かび上がる石見神楽の面。幽霊の目から見ても恐ろしい形相の面は、入った瞬間に目が合うように角度調整がされている。美紀ちゃんの兄君による完璧な角度調整だ。
「……もう。お兄ちゃんたら、泥棒対策にしたって怖すぎるって」
美紀ちゃんが肩をすくめる。確かに、夜中にこの面と遭遇すれば、泥棒も腰を抜かすかもしれないが、逃げるかどうかは別問題な気がする。
美紀ちゃんが胸を撫で下ろしながら、バチン、と店内の明かりをつける。オレンジ色の柔らかな明かりがアンティークの棚や簪を優しく照らし出して、いつもの洒落た雰囲気の空間になった。美紀ちゃんはハーブティーを淹れてソファーに座り、店を見回してから俺をジトリと睨みつけた。
「で?今日は一体何をしたの?私、何も頼んでないんだけど?」
「今日のは俺じゃない。あの子が持っていた土鈴にかけられたマジナイの残りかすだ」
俺は窓際の組子棚に置いてある夕日色のアクセサリーを見ながら、今日一日の出来事を反芻していた。美紀ちゃんの友達が太鼓を叩く男の姿を見て無自覚に惚れた。その瞬間にあの土鈴にかけていたマジナイが発動した。ジト目で見る美紀ちゃんにどう話すべきか。
「多分だが、残っていた霊力が風を吹かせて、ボールをゴールに押し込んだ。……あの二人を接触させるきっかけとして起きた現象がゴールだったんだと思う」
「はっ?意味が分からない」
カップを持ったまま目を丸めた美紀ちゃんは、眉を寄せて頭を振るともう一度俺の方を見た。さてどこから説明したものか。美紀ちゃんの向かいのスツールに座るような姿勢をとって、真っすぐに向き合った。
「あの土鈴は、大地震から助けたヤエちゃんが好きな人と結ばれるようにと願って俺がマジナイをかけた物だ。色々あってマジナイを使う事無く、霊力が残った状態で何故か田中さん家のご近所さんの押し入れに仕舞われていた。呪いって言われていたのは、縁を結ぶために接触させようとして何か物を動かしたのを不気味がられたのだろうな。つまり、あれは呪いの土鈴じゃなくて縁結びの土鈴だったわけだ」
おれは「良い人と結ばれて幸せになりますように」と力を込めただけだ。あんな発動の仕方は想定していなかった。いやまぁあの頃の俺の力では一斤くらいの物を動かすのが精いっぱいだったとは思うが。
「ゴールが決まった時にあの二人がハイタッチをしただろう?そのハイタッチをきっかけに二人の間の運命の糸が結ばれたのだ」
「えっ?美咲と佐々木さんの運命の糸?それは佐々木さんの願い事が叶ったってこと?」
美紀ちゃんの手元から立ち上る湯気の甘い香りが俺にも届いた。今日はカモミールティーか。何か不安でもあるのか?相変わらず眉を寄せて難しい顔をしている。美紀ちゃんの目にはあの二人が恋人になるのは良くない事として映っているのだろうか。
「いや、美咲ちゃんが一目ぼれしたみたいだ」
「はぁ?!美咲は懲りてなかったって事?!」
「いや、そうじゃない。……美紀ちゃんはアイドルだったせいで、恋愛には疎いんだな」
俺の言葉に、美紀ちゃんがムッとしたように唇を尖らせた。浜田に戻ってきて約半年、最近一段と美紀ちゃんは表情豊かになった。特に不快を示す表情が素直にできる様になったと思う。ムッとした表情から急にニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「そう言う兼八さんは恋愛経験豊富なの?ただの幼馴染って言ってたお菊ちゃんていう子は、本当は恋人だったの?」
「恋人になれなかったから幼馴染なんだ」
今度は俺がムッと口をへの字に曲げた。言い返して揶揄おうとしているのかと思った美紀ちゃんは予想外に真剣な目を俺に向けた。
「前に聞いたときは、そのお菊ちゃんが成仏できない原因かもって言ってたよね?そのお菊ちゃんとの思い出、私にも教えて欲しいな」
走馬灯のようにお菊ちゃんの笑顔がいくつも浮かんできた。寺子屋で内緒話をしていて叱られた時、貸本屋だったお菊ちゃんの家で一緒に書物を読んだとき、それから、日和山の上で一緒に海を眺めたあの日。そう言えばあの日見た海も、今日の帰りに見たような、オレンジ色に染まる穏やかな海だった。
「菊ちゃんとの思い出か……菊ちゃんは俺に『ずっと浜田に居て欲しい』って言いながらも、俺の安全と幸せを願ってお守りをくれて、送り出してくれた子なんだ」
「お守り?」
「お菊ちゃんが手習いで使った紙で紙襦袢を作ってくれたんだ。日和山の上で、大阪に出ていく前の日だった」
俺の顔を見ていた美紀ちゃんの視線が、ゆっくりと下へ移動した。最初は俺の表情を伺っていたその瞳が、喉元の合わせ目を通り、胸元で一度止まる。それから、流れるように袖口、さらには足元の裾へと、俺の全身をなぞるように滑り落ちていった。
「手習いで使った紙……もしかして、兼八さんが着てるその着物?」
美紀ちゃんは、まるで壊れ物に触れるような、あるいは鑑定士が古文書を読み解くような、真剣な眼差しを俺の太もも辺りに向けている。正直、俺は自分の姿が見えない。だから、出会ったときにも美紀ちゃんに自分の姿を尋ねたわけだ。つまり、今美紀ちゃんに見えている着物が、お菊ちゃんに貰った紙襦袢かどうか、はっきりとは言えない。
「ん?そう見えるのか?まぁ親父が捕まると知って、お菊ちゃんが巻き込まれないか心配で慌てて浜田に戻って来る時に着ていたし、お菊ちゃんを探すために長距離飛脚になって日本中を走り回っていた頃もずっと着ていたんだ。俺の一部とも言えるものだから、幽霊になっても着ていてもおかしくはないな」
両腕を伸ばして、自分では見えない袖を広げてみた。美紀ちゃんはギュッと眉間に皺を寄せて両袖と、太ももの辺りを見比べている。一体なんだ?
「ねぇ、兼八さん気付いてる?その紙襦袢、最近書かれている文字が減っていて、それに比例するように兼八さんの体も薄くなってきてるよ。ねぇ、これって……全部消えたら、最後には心臓も、顔も、なくなっちゃうってこと?」
美紀ちゃんの瞳に、隠しきれない動揺が見える。俺は、少しずつゆっくりと成仏していっているのか?
「……ねぇ、兼八さん。もうわかったから。お願いだから、もう『お守り』なんて作らないで!」
美紀ちゃんが、ソファーから身を乗り出して俺に詰め寄った。その瞳には、親友を想う時と同じ熱い涙が溜まっている。
「結衣ちゃんの時みたいに霊力で助けに行ったり、イルカレッドの試合で選手に囁いたり、私が作ったアクセサリーにオマジナイをかけたりするのはおしまい!これからは、普通の物を売っていこう?奇跡の雑貨屋なんて噂は要らない、ちゃんと形のある普通の雑貨を売って、堅実な商売をしよう。ねっ?」
それは、商人としての俺への忠告であり、同時に、一人の友人としての切実な願いだった。美紀ちゃんの気持ちの強さに、真っすぐな言葉に胸を締め付けられる。
霊力なんてものを使って、奇跡を切り売りして、その場しのぎの幸せを作る。それは、親父が「密貿易」という禁じ手を使ってでも、会津屋や浜田藩の窮地を一気に救おうとしたあの姿と、一体何が違うというのか。いつの間にか……俺も親父と同じように、一発逆転や一攫千金を狙うような商売をしていたのか。
美紀ちゃんは、今の俺の中に「八右衛門の影」を見て、それを必死に振り払おうとしてくれているのかもしれない。俺はゆっくりと呼吸を整え、美紀ちゃんに深く頭を下げた。幽霊の俺に重みはないはずだが、心の中では石を積むような重みを感じていた。
「……そうだな。悪かった。俺は血筋というものを舐めていたようだ」
俺が掠れた声でそう言うと、美紀ちゃんは少し驚いたように顔を上げた。
「これからは、マジナイ抜きで勝負だな。地道に、一歩ずつ。この店に足を運んでくれる客と、美紀店長の腕一本で……。それこそが、本当の『商い』ってもんだな」
俺が少しおどけて答えると、美紀ちゃんは「……絶対だよ」と小さく呟いて、ようやく泣き笑いのような顔をした。




