佐々木翔哉 前編
「あっ、しょうちゃん!いらっしゃい」
商店街にある、馴染みの居酒屋に入るとカウンターにはいつもの顔ぶれが居た。ヒラヒラと手を振る人当たりの良い中年の女性は田中さん。その向こう側で小さく頭を下げたヒョロくて若い男は森脇くんで、入口近くで視線だけ向けてきた白髪の男性は石田さん。だいたいこの時間帯にこの店で晩飯やら晩酌をしている。
田中さんは実家のご近所さんで、娘さんが俺の3歳下と5歳下だったと思う。同じ小学校に通っていた娘さんのことは全然覚えていないけれど、あちらは俺の事を覚えていたらしい。ある日偶然にこの店で遭遇したときに話しかけられて、それから年の離れた呑み友達になった。森脇くんと石田さんは田中さんにここで紹介されて顔見知りになった呑み友達だ。
Uターンで戻ってきて友達の居なかった俺に友達を紹介してくれた田中さんは、お節介焼きがすぎる所は否めないけれど、悪い人ではない。常に誰かのお世話をしたいらしい田中さんのお節介レーダーはここ半年、俺に恋人を作らせる事に向いている。俺は恋人が欲しいなんて言った覚えはないんだけど。
あんなふうに呼ぶって事は、今日も何かお節介な話があるのだろう。わざわざ石田さんが一席空けて座っているし。俺は呼ばれるまま田中さんの隣に座って、ビールと赤天を注文した。
「しょうちゃん!聞いてちょうだい。先週、この近くに雑貨屋さんができてね、若い娘さんがやってるお店なんだけどね、地元に貢献したいって話だし、アレ持っていって貼ってもらうと良いんじゃないかと思ってたんだよ」
田中さんがアレと言って指した壁にはこの街を本拠地にするアマチュアサッカーチームのポスターが貼ってある。つい先日持ってきて、貼った今年バージョンのカッコイイやつが。田中さんにしては、本当にありがたいお節介を焼いてくれるらしい。
「田中さんが紹介してくれたって事で良いですか?」
運ばれてきたビールジョッキを田中さんのジョッキにカンと打ち合わせて、言葉なしの乾杯をしてから口をつける。なんてことのないいつものビールの苦みと喉越しだ。田中さんもいつも通りのハイボールをゴクリと飲んで俺の方を向いた。
「いや、アタシも直接の知り合いじゃないんだよ。知り合いの娘さんが始めたお店なんだけどね。なんとその娘さん、元アイドルらしいんだよ。そういう子が応援してくれるってなったら、イルカレッドのファンも増えそうじゃない?」
「元アイドル?だれ?どこのグループ?」
ウキウキ喋る田中さんの向こうから森脇くんがすごい勢いで、食いついた。そう言えば森脇くんはアイドルオタクで、俺等が知らないようなグループの応援してるんだった。
こんな田舎出身の有名アイドルなんて居れば、もっと大騒ぎになっていそうだし、俺等が知らなくても森脇くんが知ってるグループの可能性は高い。
「ん-、なんだっけ?大人数のグループに居たらしいよ。神坂美紀ちゃん。本名でやってたらしいよ」
田中さんの返事に森脇くんがギョッと目を見張った。呟いたグループ名は後ろのテーブルの笑い声にかき消されたけれど、俺の耳には届いた。
そのグループ名は聞いた事はあるけれど、人数は多いしテレビに出る様な有名グループでもないから、俺がその子を知らないのは当然だろう。森脇くんは知っている風な反応だったけれど、さっきの食いつきが嘘の様に、眼の前の定食に集中し始めた。
どんな子なのか聞けば田中さん曰く母親は美人だけど、娘はそうでもなかったなんていう。アイドル時代の活動の様子も知らないけれど、子供の頃は大人しい子だったなんて話だした。こんな田舎街のそうでもない見た目の大人しい子がアイドルになんてなれるものだろうか?
翌日、俺は田中さんに教えられた店に行ってみた。何とも判りにくい場所で、しかも一見すると民家のようにも見える佇まいだった。ただとんでもなくオシャレではある。窓から見える店内の様子は、雑貨屋ではなくてアクセサリーショップと言った雰囲気で、俺みたいなゴツい男が入るのは躊躇われる。
恐る恐るドアを開けると、カランカランとベルが鳴って店の奥から小柄な可愛らしい女性が出てきた。肩までの長さの黒髪と切り揃えられた前髪のせいか、クリっとした目だからか、幼い印象で高校生と言われても信じてしまいそうだ。本当に可愛らしい、元アイドルと言われて納得の女の子だった。田中さん、何がそうでもないだ。めちゃめちゃ可愛いじゃないか。田中さんは自分の顔を確認してから物を言うべきだ。
「いらっしゃいませ。……贈り物、でしょうか?」
「あっ。すみません。買い物に来たのではないのです。このポスターをお店に貼って頂けないか、というお願いです」
俺は持って来たポスターを広げて見せたけれど、どう見ても店の雰囲気に合わないポスターで断られる以外の想定ができなかった。けれどこの雑貨屋の店主たる女性は小さく首をかしげながら、ポスターを真剣な表情で見てくれた。
「イルカレッド?サッカーですか?」
「はい!Jリーグを目指してるチームでして、そうは言ってもまだまだ中国リーグっていうアマチュアリーグなんですけど。島根はスポーツ不毛の地とか言われたりもしますけど、それでも、地域全体で応援すれば叶わない夢ではないと思うんです。今は観客も少ないし、成績的にも上のリーグに上がるのは難しいんですけど、それでも、他の地域から来て入団してくれる選手も居ますし、大卒で入ってくる若い選手も居るんです。一緒に地域の夢の応援をしませんか?」
「えぇっと、このポスターを貼るだけで良いんですか?」
ポスターは貼って貰えそうな雰囲気に、俺はもう一歩踏み込んでお願いをしてみる事にした。もしかしたら、元アイドルのこの人はチームに注目を集めるきっかけになってくれるかもしれないし。まずはチームを知って好きになってもらわないと。
「もっと深くクラブに関わって一緒に応援して貰えたら嬉しいですけど、今はよく分からないと思うので、一度試合を見に来ませんか?丁度今週末試合がありますし」
鞄からチラシを出して、今週末の試合予定を説明した。今週末はサンビレッジで強敵との試合だ。本当はもっと勝てそうな相手との試合に来てほしいところだけれど、その次浜田で開催されるのは四週間後になってしまう。
「えっと、あの、名刺とかいただけますか?試合観に行った後でまたお話伺いますので」
「俺、ただのサポーターなんで、名刺とか無いんですよ。佐々木翔哉って言います。紙とペン借りれます?連絡先書いていきます」
店長さんが渡してくれたメモ用紙に名前と電話番号、それから次の日曜の試合に是非来て欲しいと書いた。それから、持って来たポスターはそのまま渡して帰ったけれど、果たして貼ってくれているだろうか。
試合開始二時間前、太陽はまだ昇りきらないけれど暑くなってきてる。チームを鼓舞するための幕を張りながら顔なじみと挨拶を交わしていくけれど、顔ぶれが足りない。隣で手作りの個人幕を張ってる仲間に声をかけた。
「山本さんは?何か聞いてる?」
「仕事だって。幕は預かってきてるよ」
日曜日も仕事だなんて大変だな。まぁ俺達よりも選手のほうが大変だろう。アマチュアチームのサッカー選手は平日働いて、トレーニングして、そして日曜日には試合がある。一体いつ休んでいるのだろう。そうやって、俺達に夢を見せてくれているのだから、俺にできる事は、できる限りの応援はしようと思う。
試合会場周りに立ってるクラブが用意した幟は全選手一枚ずつだけれど、自主的に作られる弾幕はどうしても平等とはいかない。去年新卒で来た選手の幕が二枚、地元出身で十番をつけるチームの顔みたいな選手のが二枚。逆に幕がない選手もいる。早く全員分揃えなきゃな。
幕を張り終わって一旦外に出ると、屋台の準備が整っていた。観客が少なかったらきっとこの人たちも出店してくれないだろう。少しでも色んな人が来てくれる様に呼びかけなきゃなと思う。
軽食を扱う屋台に並んで腹ごしらえをしつつ、まばらな人の流れを眺める。駐車場にもまだ空きが多い。あと一時間もすれば駐車場は埋まるだろうか。いまからやってくる人の中にあの可愛らしい店長さんは居るだろうか。来てくれるような口ぶりだったけれど、本当に来てくれるだろうか。
「ショーちゃん、そわそわしてどうしたの?そろそろ中入んない?」
駐車場に入ってくる車を五台確認したところで、太鼓を持ったサポーター仲間から肩を叩かれた。自分としては変わりないつもりだったけれど、そんなにソワソワしている様に見えたのか。
「この前、ポスター持って行った所の店長さん来てくれないのかなと思ってさ」
「あの田中さんに言われたっていう雑貨屋さん?元アイドルの?来るわけないって」
「話してる時は来てくれそうな雰囲気だったんだけどな」
仲間に誘われるまま観客席のいつもの場所に陣取って応援の準備をしていると、ゴールキーパーが出てきて、アップを始めた。二人しか居ないキーパーがお互いの練習相手になっている。いわみからJリーグをなんて言ってるけれど、ゴールキーパーコーチも雇えない状況では……いや、そもそも実力的にもまだまだ難しいか。
ぐるりと観客席を見回せば、夕日色のユニフォームを身に着けた人はそれなりに居るけれど、一緒に声を出して応援しようと俺達の近くを陣取る人は少ない。「いわみからJリーグ」という目標を真剣に信じて応援している人、実現すると思っている人は果たしてどれくらいいるのだろう。
子供が走り回っていて、スタッフビブスを付けた人があちこちで観客と挨拶を交わしている、アットホームで治安の良いスタジアム。ピッチサイドでマイクを握るスタジアムDJがアナウンスする屋台の内容も、スイーツがあったり選手プロデュースのドリンクが有ったり、サッカー以外も楽しむ事がある。
けれど、それは来てみて初めて分かること。来るきっかけがなければ知ってもらえないのは残念だと思う。来るきっかけってどうやって作ったら良いんだ?
太陽がぐんぐん昇って天中を超えた頃、スタンドに入って来る人の流れにあの店長さんを見つけた。白いシャツにタイトなGパンの小柄な女性は、細身で背の高いパーマ頭の男を連れて楽しそうにスタンド上段の通路を歩いている。化粧や洋服が派手な訳でもないのに、自然と目を引かれて、元アイドルという肩書きに納得してしまう。
隣の男が俺を指さして何事かを話すと、店長さんはこっちに向いた。ニッコリ笑って手を振ってくれる。来てくれたお礼を言うべきだろうし、チームの魅力を色々伝えたいけれど、デートの邪魔をして、あの男に睨まれたくはない。手を振り返して軽くお辞儀をするだけに留めて、また明日お店を訪ねようと思う。
友好的な笑顔でこちらに来ようとした店長さんの肩を叩いて首を振る男の仕草を見ると俺の判断は間違ってなかった様だ。二人が中央付近の席へと行くのを見送った。
試合開始時刻になり、選手たちが並んで出てくる。ピッチに入る時に一礼していくけれど、その礼にはどんな思いが込められているのだろう。いつも深々とお辞儀をするあのフォワードの思いをサッカーの神様には聞き届けて欲しい。
今日の対戦相手は、俺達のチームが所属するリーグの一位のチームで、Jリーグのチームになるには、勿論倒さなければならない相手だ。けれど、去年も一昨年も勝てていない。そして今日も勝てる予感はしない。勝てると思えなくても全力で声を出して応援するし、低い可能性を信じて太鼓を叩く。それがサポーターのするべき事だし、夢を託している責任の一つだと俺は思っている。
相手チームのキックオフで試合が始まって、俺はドンドンドドンと太鼓を叩いてチーム名を叫ぶ。太鼓の音に合わせた手拍子やメガホンを打ち鳴らす音は聞こえるけれど、チーム名を叫ぶのは俺の周りの数人の声だけだ。
相手チームのキックオフで始まってから五分、うちの選手は何回ボールに触れただろう、いつ失点してもおかしくない様な試合展開になっている。否、不思議と危ない印象はない。そう言えばボールは持たれているけどシュートは打たれていないか。
チーム名を叫び、太鼓を叩きながら、失点雰囲気が薄いピッチを見つめる。余裕が有るように見える要因は何なのか。
注意深くピッチを見ていると、特定の場所で相手選手がパスミスを繰り返している事に気付いた。低めの重心で走り方が独特な中盤の選手のあの走り方が、相手のリズムを崩してパスミスを誘っているのか。
けれど相手のパスミスでボールを取れても、そこからなかなか繋げられずにすぐに取り戻されてしまっている。そうしている間に相手は攻め方を変えてきた。逆サイドからパスを繋いであっという間にペナルティエリアのすぐ手前に迫ってきた。
迫ってくる相手フォワードに立ちはだかるセンターバックの彼は読みが上手い。けれどいつだって相手の狙いを読めているのに、邪魔をしてボールを取る事に拘って裏をかかれてしまう。
けれど、今日は違った。相手の眼の前に立ちはだかり、パスコースを塞ぐ事に徹する動きをしている。そして、見事に相手は蹴り損なって、中途半端なパスになったボールを夕日色のユニフォームが攫って行った。こんなポジショニングで相手のミスを誘って、味方にボールを取らせてなんてプレーは初めて見た。
だけどなぁ、ボールを奪って行ったあの選手は、次につなぐパスの精度が、イマイチなんだよなぁ。ってえっ? えっ?ええっ?ゴール?あんなボール、緩く見えるのに、相手が触れないパスを出す選手だったか? ゴールを決めたフォワードは、まぁ、そんな日もあるかって感じだけれど。
ゴールが決まって場内が沸く。嬉しいけれど、俺は喜びきれなかった。今まで見て来たこのチームのサッカーから考えると、今のゴールは現実感がない。まるで奇跡のような一点だ。
ゴールの後の時間帯は大事だ。上位のリーグだって ゴール後十分は失点しやすいと言われてるし、逆に常勝チームと呼ばれる所はその時間帯に追加点を取っている。きっと、ここで追加点がとれればという思いと、それこそ夢みたいだなと考える自分がいる。だけど俺はサポーターだから、希望を声に乗せる。リズムを太鼓で刻みながら。
「アレ!燃えろよいわみ、アレ!戦えいわみ」
得点直後で、気分が盛り上がっているからか、手拍子が増えた気がする。できれば一緒に声を出してほしいけれど、そこまでの盛り上がりには達していないらしい。
再び相手のキックオフで試合が動き出す。リスタートのボールが、センターライン近くに あるうちに、せめて相手のストライカーに渡る前に奪えたら。
二人、三人と相手チームのパスがつながっていく。チャンスを窺うように、前へ右へ後ろへとボールを回されている。翻弄されている様な状況に、少しずつ手拍子が減っていく。俺は減っていく周囲の手拍子に反して、どんどんと声を張り上げる。声がかすれても、裏返っても構わず叫ぶ。
「アレ!燃えろよいわみ、アレ!戦えいわみ」
ゴール前まで迫ってきた相手選手と対峙する二年目のディフェンダーに向けて更に声を張り上げる。声に出すのは決まったフレーズだけど、そこに乗せている気持ちが届く事を信じて。サッカー選手の情熱を、ディフェンダーの意地を見せてくれ。
ボールを持っている相手選手に立ちはだかる、二年目のディフェンダーが、左に体重をかけたかと思った瞬間、右に一歩踏み出して、体をぶつけるように相手の足元に有ったボールを蹴った。いつもはフィジカル負けして、あんな動きをしても相手に弾き返されているのに、今日は一体どうしたのだろう。
素早く転がるボールは、さっきゴールにつなげた選手の足元に吸い寄せられた。だけどあの選手はいっつも微妙な所にボールを蹴って……ってええ?また?
今度はふわりと空中を飛んで一気にうちのストライカーの足元に着地した。ゴール正面、ちょっと距離がある。できればもう少し前に運んでから確実に決めてほしい。けれどうちのストライカーは左足を大きく振り上げている。どう見てもゴールバーのはるか上に行く未来しかない。彼に思い切りの良さに見合った決定力を与えてください。
思わず神頼みなんかをした瞬間、ボールはゴールバーに当たってゴールラインの向こうヘボトリとあちた。一点目から四分の出来事だった。
それからも奇跡のようなプレーが続いたのだけれど、残り十五分辺りから急に動きがいつもどおりになって、あっという間に失点した。まさかここから逆転負けするかとヒヤリとしたけれど、なんとか凌ぎきって終わってみたら三対一で勝利していた。
試合後幕を片付け終わって、帰っていく選手がバスに乗り込む時に感謝を伝えていく。遠くから声をかけるだけ。選手も手を振って答えるだけなのが通常だ。
「ナイスアシスト」
いつも微妙な所にパスを出していたけれど、今日は二回も得点に繋がる決定的なパスを出した選手が、俺の声に立ち止まってこちらへとやってきた。
「あ、佐々木さん!聞いて下さいよ。あの瞬間、声が聞こえたんですよ」
「声?」
「そう、『右』とか『三十三番』とかって声です。で、言われた方に蹴ってたら、皆がゴール決めてくれたんですよ。いつも佐々木さんのコールしか聞こえないのに、すごく落ち着いた声で、すぐ近くで話しかけられてる様な声だったんです」
「あー、俺も。ゴール決めたとき、『もう少し上』って声が聞こえて、思わずいつもより足振り上げたらボールの軌道が低くなったんだ」
後ろから来たフォワードの選手が話しに加わった。いつも誰より丁寧に一礼してピッチに入る彼に聞こえた声と言われると、神様ってやつの様な気がしてくる。




