幽霊兼八Ⅱ
退院してきてすぐに、美紀ちゃんは部屋を片付けだした。そりゃ都会で嫌な思いも沢山しただろう。だけど、そんなに急いで故郷に帰りたがるのは不自然だ。電話口では来週って言ってたのに、明日にでも出ていきそうな勢いで片付けている。
美紀ちゃんはあの女性に会ってから上の空で、俺に話しかける事もない。まぁ外で話しかけたら怪しい人に見えるってのも有っただろうけど。それでも時々寂しそうに目を伏せるのは、結衣ちゃんって子に思うところが有るのだと分かる。
寂しいと思うくらいなら、気になる事が有るのなら、会って来れば良いのに。
今まで見守ってきたお菊ちゃんの子孫の中で、一番面影があるからなのか、話せる相手だから情がわいたのか、自分でも分からない。けれど、美紀ちゃんには幸せになってほしいと思う。今はまだ油断したらこの世から魂が離れそうな美紀ちゃんを見守るだけじゃなくて、支えて背中を押してあげたい。だから、ここはお節介を焼く事にしよう。
「なぁ、美紀ちゃん?結衣ちゃんってのは、どんな子な人なんだ?」
「・・・私のTO」
「TOって、なんだ?大昔のジジイにも分かるように説明してくれ」
美紀ちゃんは、ベッドの枕元に有る箱から封筒の束を取り出して、俺に渡した。カラフルな封筒には必ずお花のシールが貼ってある。紫と緑の花だ。
この三年、アイドルとしての美紀ちゃんを見ていたおかげで、少しだけ覚えたアイドル文化がある。メンバーカラーってやつだ。ステージに向けて振るペンライトや、イベントの時の持ち物に使う色で、ファンだとアピールする色。封筒に貼られた花のシールは美紀ちゃんのメンバーカラーで、この手紙の束がファンレターだと理解した。
封筒の外は整った文字だが、中から手紙を取り出せば、大きな文字でひらがな多めの手紙だった。書いたのは小学校低学年くらいだと察する。ライブの感想だろう、いつの何が可愛かったとか、カッコ良かったとか褒め言葉が並んでいる。これを書いたのが結衣ちゃんという子供なのか。
「トップオタク。一番のファン。私を一番応援してくれてた人。私みたいなアイドルになりたいって 言ってくれてた。私なんかに憧れてるって……ずっと結衣ちゃんの憧れでいたかった」
俺が五通目のファンレターを読んだ頃、美紀ちゃんがやっとTOという物を説明した。それから心細そうな言葉が溢れる。
「美紀ちゃんは、その応援に十分応えたのか?ずっと憧れで居たかったのなら、これからもそうあればいい。アイドルじゃなくて、女性として、人として憧れられる姿を見せれば良い」
「兼八さんは、こんな情けない姿で会いに行けって言うの?」
「情けないんじゃなくて、新しい姿だ。何も言わずに逃げる方が情けない。美紀ちゃんが進もうとする未来を語ってあげて、その子の中に憧れの人を残してあげるんだ」
一番最初の手紙では大きくて斜めに並んでいた文字が、一番最近届いた物は真っすぐに並び漢字も増えていた。書いてくれた子の成長が見て取れる。美紀ちゃんがアイドルをしていた三年間は決して短い時間ではなかったのだとそのファンレターが証明している。
三十通のファンレターに込められた思いは、単純な応援の気持ちではない様に感じる。まるで俺に纏わりつくこの靄の様な、強い感情がファンレターの文字に滲んで見える。これを書いた子に会えば俺がいつまでも成仏できない理由も分かるかもしれない。
俺はどうにか美紀ちゃんをファンレターの差出人に合わせるべく、読ませてもらった手紙を返しながら問いかけた。
「それと、あの病院は評判の良い病院なのか?」
「えっ?私も初めて行った病院だからよく知らないけど、悪い評判でも聞いたの?」
「あの病院、恐ろしく幽霊だらけだったんだ。生きたいという強い希望を持ってなければあっという間に魂が連れ去られそうなくらいには。この手紙をくれた子の生きたい気持ちの根源の一つは美紀ちゃんだったんじゃないのか?美紀ちゃんが引退した事で生きたい気持ちが薄れていたら、あの幽霊達に拐われるだろうな」
「だから、アイドルじゃなくても憧れでいられる姿を見せろってこと?」
「それも有るし、美紀ちゃんがその子に会いに行ったら、俺が他の幽霊避けになる事ができる。何かお守りに見える物を持って行ってあげてくれないか?そのお守りにマジナイを掛けておけば、結衣ちゃんに幽霊がちょっかいかけたら、俺が飛んでいける様になる」
「兼八さんが結衣ちゃんを守ってくれるの?」
「幽霊にできる事なんて高が知れてる。基本は憧れの存在である美紀ちゃんが、結衣ちゃんの希望や気力を支えるんだ」
美紀ちゃんは部屋の片付けを中断して、糸を編み始めた。慣れた手付きで紫と緑と白の糸を左右に動かして、花が連なった様に見える紐が編み上がっていく。俺は、時々編み込まれるビーズに霊力を込めながら美紀ちゃんの器用な手元を見ていた。
おれがいつから霊力なんて物が扱えたのかは忘れた。俺の霊力でできるのは、他の幽霊の感知と撃退。それから幽霊を呼び寄せて他の幽霊の霊力で体の不調や事故を起こしてもらう事だ。現世の困り事に役立てる力はほとんどない。
それでも約百年前、和子ちゃんの思い人が戦争に行った時には役に立てた。あの時は刺繍のお守り袋に霊力を込めたんだったな。
昨日退院したばっかりの病院に来た美紀ちゃんはTOの結衣ちゃんに会った。結衣ちゃんと話をしたら美紀ちゃん自身もすっきりしたような表情になった。
「兼八さんありがとね。多少悔いはあるけど、気持ちを切り替えて浜田に帰れそうだよ」
バスから降りた美紀ちゃんがグーっと背伸びをする。肩先で髪の毛が風に吹かれて揺れる。風の感触が浜田に帰って来たと実感する。目の前のからくり時計、近代的とも長閑なとも言いがたい駅前の景色。
四年ぶりに帰ってきた景色を美紀ちゃんはどう感じているのだろう。四年くらいでは大きく変わったところはないと思う。懐かしいと言うには離れていた期間が短いけれど、それでも、その柔らかな表情は懐かしさの表れだろう。
新幹線とバスを乗り継いで最速で帰ってきた筈なのにもう夕方。距離以上に交通の便の悪さが、この町を僻地、田舎たらしめていると思う。
美紀ちゃんが俺の方をじっと見ている。何か話したいけれどここで話しかけたら独り言を言うヤバい人になるからやめておこうとでも思っているのだろう。守護霊なんだから、テレパシーとか使えないのかと言われたが、そんな便利な能力はない。
「みきー!!!」
遠くから美紀ちゃんの兄君が大きく手を振っている。あんなに大きな声を出す人ではなかったはずなのだが。彼もきっと心配していたのだろう。
美紀ちゃんの兄が運転する車に乗って十分も経たずに家に帰り着いた。玄関を開けるとふんわりと出汁の匂いが漂ってきた。これは相当張り切ったのだろう。美紀ちゃんのお祝い事の度に用意されていたおでんの匂いだ。
玄関までパタパタとやって来た美紀ちゃんの母親は四年前と変わりない様子だ。美紀ちゃんの姉と言われても頷きそうなほど若々しい。背が高くて、手足が長くてスタイルが良い。バッチリくっきりした目元を輝かせて、ニコッと大きな口元を別上げる。顔立ちも華やかで美人だ。美紀ちゃんには似ていない。
「おかえり。夕飯なんだとおもう?」
美紀ちゃんがここで暮らしていた時と同じように問いかけて、美紀ちゃんは少しだけ悩むふりをした。いつものやり取りだ。
「んー?なんだろ?おでんだったら嬉しいなぁ」
「じゃあ、喜ぶといいわ。今晩はおでんよ。おでんの具とは別で赤天もあるからね」
決して料理上手ではないが、家族の好物は誰より上手に作る。一度味しいと言えば、いくつもレシピを見て研究して、何度も作ってその度に感想を求める。家族の為に努力を重ねる姿勢は素晴らしくて、少しだけ羨ましい。
「お母さん、おでんも嬉しいけど、お味噌汁もあるともっと嬉しいかも」
「味噌汁ぅ~?美紀がリクエストなんて珍しいわね。何か具になるものあったかしら?」
嬉しそうな足取りでキッチンに戻って行く母親の背を見送って、スーツケースを持ち上げようとした美紀ちゃんの手が空振りした。すぐ隣で兄君が美紀ちゃんのスーツケースを持ち上げてニッコリ笑ってる。
「こんな重い物よく持って来たな。二階まで運んであげるよ」
スーツケースを持ってサッサと階段を昇りはじめた兄君の後ろに美紀ちゃんも続いた。四年振りに帰って来た部屋は、出て行った時のままだった。ベッドの上の布団もふんわりとぶ厚くて、枕カバーも美紀ちゃんお気に入りのタオル生地のものがかけてあった。机を見れば全然埃が積んでなくて、高校の教科書までそのまんま置いてある。
机の上に開いて置いてあるのは数学の教科書の様だ。美紀ちゃんが嫌いな科目の教科書を開いてるのは、兄君の悪戯だろうか。
「母さんが二日に一回は掃除してたし、週に一回は布団を干してたよ」
「母さんはやっぱり、ガッカリしてるよね?」
「ガッカリとは違うと思うけど、まあ、夕食の時は覚悟しておきな。オレも助け船を出すけど、あの母さんを止めるのは大変だからな」
兄君が部屋から出て行くと、キャリーケースを開けて洋服をクローゼットに仕舞いはじめた。俺は邪魔にならないように窓際に寄って景色を眺める。美紀ちゃんの家は城下町よりも南側の新興住宅地だ。俺の思い出の欠片もない景色が窓の外に広がっている。
ちらりと振り向けばクローゼットの中に残されていたワンピースを見た美紀っちゃんが手を止めている。あれは高校時代の親友の子と色違いで買ったワンピースだったか。ワンピースを撫でていた美紀ちゃんが俺の方に振り向いた。
「兼八さんはなんで私に憑いていているの?別にうちのご先祖様ってワケじゃないんでしょう?」
どう答えるべきか迷って俺は視線を窓の外に向けた。お菊ちゃんの事を話して大丈夫だろうか。憑いた理由はお菊ちゃんの気配だが、今は美紀ちゃんの事を守りたいと思っている。誤解されないようにどう言葉にしようか。
「……君が、似てるから」
「誰に?」
「幼馴染みのお菊ちゃんに」
結局誤解を生みそうな言い方しかできなかった。お菊ちゃんの代わりじゃなくて美紀ちゃんを心配していると言おうとしたが、美紀ちゃんはやけに嬉しそうにニヤニヤとしはじめた。
「それって兼八さんの恋人?」
「いや、ただの幼馴染みさ。俺が成仏できない原因だとは思うけど」
「成仏できない?兼八さんは成仏したいと思っているの?」
「成仏したい、と言うか成仏できない理由は知りたいと思っているよ」
「じゃあとりあえずは、兼八さんの成仏できない理由も探して過ごそう」
美紀ちゃんはニヤニヤ顔から一気に真面目な顔になった。本当に表情豊かだし、思考が柔軟な子だ。
ダイニングには季節外れのおでん鍋がクッグツと湯気を立てている。湯気の向こう側斜め前に座る父親の額が四年前より少し広くなっている気がする。まぁ心配はしただろうな。
美紀ちゃんの母親が作るおでんは、しっかりダシが効いて味がしっかりと染みているそうだ。美紀ちゃん曰く「コンビニのおでんは辛子がないと物足りないけど、母さんのおでんは辛子が邪魔」だそうだ。大根、巾着、じゃが芋をはふはふと頬張る美紀ちゃんが幸せそうで何よりだ。
「東京では無理だったけれど、山陰、ううん、浜田で活動するローカルアイドルとしてならやっていけるんじゃないかしら?」
和やかな食卓は母親の発言で沈黙に落ちた。美紀ちゃんが卵を箸で割りながら考え込む様子を見せると、父親がコトリと箸を置いた。父親は無口で、オーディション受けるときも、活動してるときも美紀ちゃんに何か意見を言う様な事はなかった。表情もあまり動かなくて今も何を考えているのかは分からない。
「母さん!美紀にはゆっくりする時間が必要だろ!いつまでも母さんの夢を押し付けるのはやめなさい!」
いつものんびり喋る父さんにしては珍しい強い口調で、皆の動きが止まった。そうか、父親は相当に心配しつつ、母親と美紀ちゃんの気持ちを尊重して見守っていたのか。ふと養父となって育ててくれた高田屋のご主人の面影が重なる。
美紀ちゃんの兄君がわざとらしく音を立ててだし汁を飲んだ。コツンと軽い音を立てて取り皿を下すと、ニッと美紀ちゃんに笑いかけた。
「なぁ、美紀。これからの事は、すこしゆっくりしてから考えても良いんじゃないか?」
「ゆっくり?兄さんなにか企んでる?」
「企んでるとは人聞きが悪い。まぁ提案というかお願いはあるんだけど」
「お願い?」
「都会的な感性を持った若い女性の視点で観光資源の発掘をしてきて欲しいんだ。今浜田で注目度の高い美肌の温泉宿にでも泊まってきて感想を教えてくれないか?」
そう言えば美紀ちゃんの兄君は観光協会で働いていたんだったか。仕事にかこつけて温泉旅行を提案しているのか、美紀ちゃんの静養を提案しつつ仕事を手伝わせたいのかどっちだろうか。
「もし、美紀の気が乗って観光大使でもしてくれたら、俺も助かるし、母さんも落ち着くだろうけど、一先ずは感想だけ聞かせてくれたら良いからさ」
翌日美紀ちゃんは兄貴の提案通り温泉に出かけた。温泉は俺にとっても懐かしい場所もあって、美紀ちゃんと色々な話をした。俺の生前の話に耳を傾け、俺の為に怒ったり泣いたりしてくれた。
「兼八さんは浜田に居た時、まだ子供だったかもしれないけど夢はなかったの?」
「夢は、陸で商人として成功したかったんだ。だから、大阪に行くのは俺にとっても悪いことじゃなかったんだよ」
「じゃあ、その夢、私と一緒に叶えよう!一緒に小間物屋を開こう?屋号は……会津屋で!」
一週間温泉巡りをして、色んな話をした結論が小間物屋ってなんだと思ったが、随分と楽しそうな表情に止める言葉が出なかった。
「お兄ちゃん、観光大使はしないけど、雑貨屋をしてみたいんだよね。多少お土産を置くし、観光客向けのSNS発信くらいはするから、少し協力してくれないかなぁ」
「雑貨屋?オレに協力できる事なんてあるのか?」
「お兄ちゃんの伝手で貸し店舗とか見つからない?」
「貸し店舗ねぇ、まぁそこらじゅうに空き家もあるしそっちを活用したら良いんじゃないか?それで何を売るつもりなの?」
「伝統工芸と、私の手作りアクセサリーかな。あとは、今から考える」
「ふーん。ちょっと聞いてみるけど、初期費用はどれくらい準備できるの?」
「それなりには準備できるよ。お兄ちゃんも投資してくれるんでしょ?」
美紀ちゃんは全力で兄君を使い倒すつもりらしい。無茶な開店計画にならないようにしっかり助言していこう。




