渡辺誠 後編
「にいちゃん、本当に美紀ちゃんのファンだったの?こういっちゃなんだけど、美紀ちゃんて普通の子じゃない?運動神経も鈍いしアイドルとして踊ってたなんて想像もつかないんだけど」
美紀ちゃんの姿が見えなくなった瞬間にご婦人が声を潜めて話し出した。そうか、ご婦人の中ではアイドルとは踊る人なのか。アイドルが踊ったり歌ったりするのはただの活動で、本当はその姿で勇気づけたり、背中を押したりする人なんだけれど、伝わるかな。
「確かに、ダンスは上手とは言い難かったですけど、声が綺麗だし歌は上手かったんですよ。僕は美紀ちゃんがソロで歌う所が増えるのを楽しみにしてました。苦手なダンスも日々上達していて、努力してるのが伝わってきていました。人が一生懸命な姿ってそれだけで勇気付けられるものなんですよ。美紀ちゃんのファンはみんな、頑張りやさんな美紀ちゃんの姿にエネルギーを貰っていたんです」
僕がステージに立つ美紀ちゃんの姿を思い浮かべながら話していると、背中をペチリと叩かれた。振り向くと花柄のカップとティーポットを持った美紀ちゃんが顔を赤くして立っている。そんな美紀ちゃんを揶揄うようにご婦人が、このお店での美紀ちゃんの活躍を話し出した。
和紙でハンドメイドのアクセサリーを作ったり、石州瓦の小物を仕入れたり、伝統的な物をおしゃれに取り扱っているのがこのお店なんだって。インスタでの紹介もあって、観光地のお土産物屋さんでの伝統工芸の売り上げも少し伸びていると。美紀ちゃんはやっぱり凄い子だ。恥ずかしそうにしつつも、笑顔で話す美紀ちゃんは、アイドル時代よりも生き生きしている様に見えた。
「SNSの投稿も、お店の外観も、お洒落な雑化屋さんにしか見えなかったんだけど、 ここはお土産屋さんでもあるの?」
「お兄ちゃんに頼まれて置いてるの。元アイドルって片書きを使って観光促進できないか 考えてるみたいだけど、今のところは何も言わずに私の好きにさせてくれてるんだ」
「美紀ちゃんが楽しそうで安心したよ」
「そんなに心配だったのかい?」
僕の言葉に反応したのは田中さんだ。干し梨をかじりながら首を捻っている。
「それはもう。僕からしたら、忽然と姿を消したように見えてたので。 事故にあったのか、急病にかかったのか……姿を消すほど辛い思いをさせてたのかと心配しました」
「そんなに心配してくれてたんだ?ありがとね。少しは安心してくれた?」
それからも、僕と田中さんの美紀ちゃん自慢合戦お茶会はしばらく続いた。途中田中さんのカバンから利休饅頭が出てきたり、美紀ちゃんがストックしてた干し梨を食べきってしまって、美紀ちゃんをすねさせたり楽しい時間だった。
気が付くとショーウィンドウから差し込む日差しの色が変わっていた。僕はお昼前に来て、今は四時?!長居しすぎた!っていうかお客さん全く来なかったんだけど、経営状態大丈夫なんだろうか?
「長居しすぎてごめん!ちゃんと買い物するから許して!美紀ちゃんのお勧めはなに?可愛いものは好きだけど、女性もののアクセサリーはさすがに身に着けられないから、それ以外でお願いしたいけど!」
僕の焦りに美紀ちゃんも田中さんも大笑いしている。田中さんは店で一番高い商品である石見神楽のお面を勧めだして、美紀ちゃんが慌てている。お皿とか日常使いできる雑貨や、ミサンガみたいな僕が身に着けても違和感のないアクセサリーをお勧めしてくれる。美紀ちゃんはやっぱり思いやりがあって優しい。
けれど僕はお面が気になって仕方ない。入口すぐの棚に並んでいたあのお面、鍾馗っていう神様で疫病をやっつける演目らしい。ぱっと見も魔よけの神様っぽいよね。僕がお面の購入を決めると美紀ちゃんがため息をついた。いい売り上げになったと思うんだけどなぁ。
「トンボさん、もし時間があるならここに行ってみると良いよ」
丁寧に包んだお面を入れた紙袋と一緒にチラシを差し出された。他のチラシと違って、コピー用紙に印刷された手作り感の強いチラシには、簡単な地図に番号が振ってあって、隠し財宝の地図みたいだ。一番上に書かれたタイトルを見てもピンとはこなかった。
「幻の広浜鉄道?」
「トンボさん、鉄道好きでしょう?ファンレターで私の事を観光列車に例えて褒めてくれてたくらいには。だから、観光するならここが良いと思うんだ。私も行ったことはないけど」
美紀ちゃんに手渡された不思議な地図の一番の所を目指して、国道九号を東へと向かっている。助手席には鍾馗様に座っていただいた。美紀ちゃんが丁寧に包んでくれたけれど、僕はこの厳めしい顔とドライブがしたい気分だった。
昨日、美紀ちゃんの店を出てから夜神楽を見に行って、丁度演目が鍾馗だった。力強いしぐさに、華やかな衣装は僕の目を釘付けにした。
「仕掛けのついた華やかな衣装、すごかったなぁ」
右折して山へと突っ込むような道に入り、曲がりくねってはいるものの、きちんと整備された二車線の山道を進んでいく。
新緑の木漏れ日と、時々高く上へと伸びた藤の花がちらりほらりと見える。そのコントラストが、美紀ちゃんのメンバーカラーで、僕は何とも言えない切ない気持ちになった。
僕を元気付けてくれたアイドル美紀ちゃんはもういない。緑と紫のペンライトを振る機会はもうない。元気そうにしていて安心もしたけれど、もう僕の応援を必要としないんだと、思い知らされた再会だった。
僕はこれからどう生きて行けばよいのだろう。 家族は全く理解してくれなかったけれど、「たかがアイドル」なんて言われたけれど、僕にとってはアイドルの美紀ちゃんは全てだった。美紀ちゃんを応援する時間がなくなって、魂が抜けたと言うか、生きる意味を失ったような感覚だ。
感傷に浸りながら運転をしていると、それは突然目の前に現れた。進行方向の右前方に三本の巨大な柱。これが遺構のひとつだと一目で分かる。けれど知らなければ、謎の柱としか思えないかもしれない。左の路肩にスペースが有り、そこに車を停めて降りると、小さな案内看板が有った。「③」と番号が振られている。僕はどうやら1と2を見落としてしまったらしい。
看板の横に遊歩道の様な階段があるけれど、僕は小太りで運動は苦手というか好きじゃない。できるだけ動きたくないと常に思っている。だから柱は下から眺めるだけにする。
道の両側に立っている柱はものすごく高い。あんな高い所を鉄道が通る計画だったのか。もし走っていたら、車窓からはどんな景色が見えたのだろう。もしも予定通りに開通していて、もしも今も走っていたなら人気の観光列車になっていたんじゃないかと思う。
そんなタラレバは、意味のない空想だけれど。美紀ちゃんがアイドルを続けていたら、って想像と同じだ。
しばらく橋脚を眺めてから、もう少し山道を進むことにした。右に左にポツリポツリと現れる民家の屋根は確かに赤茶色だ。美紀ちゃんのお店で教えてもらった石州瓦というやつだろう。色が珍しいだけじゃなくて、丈夫なんだと誇らしげに話してくれた。
しばらく進むと右手にさっき車を停めた様なスペースが見えた。けれど、さっきみたいな柱は見当たらない。スペースの少し先で二又に分かれていると思ったら、そこに小さな看板がたっていた。二又の細い方、看板の右側に車を停めて確認すると、今度はトンネルとアーチ橋で、あのスペースのあたりがアーチ橋の上らしい。本来、鉄道が通っていた筈の場所を今は車が通っていると。作られた物は上手く活用されている部分もあるのか。
それで、本来アイドルオタクで通る筈だった僕の人生は、何に乗って進んでいけば良いのだろう?見上げた空はただただ青い。僕の女々しくて、もやもやした気持ちを笑っているように思える程に清々しい青さだ。
またしばらく行くと右手に橋と看板の背中が見えてきた。その向かいに車を止められそうなスペースを見つけて、僕は車を降りた。下府川に架かる小さなアーチ橋の上に立っていた。 欄干のないその橋は、まるで現世と異界を繋ぐ境界線のようで、足元からは絶え間なく川のせせらぎが聞こえてくる。
「……ひんやりするな」
頬を撫でる空気は、ブラック企業のオフィスで浴びるエアコンの風とは全く別物だった。 目の前のトンネルは今福第四トンネルというらしい。
ひんやりとした空気、せせらぎの音、靴で踏みしめる土の感触、トンネルの向こう側の光、それらが僕に懐かしいという感情を与えた。
「ばぁちゃん……」
思わず小さく声が漏れた。小学生の頃、連休の度に遊びに行っていた父の実家をふと思い出したのだ。僕はゆっくりとトンネルに踏み込んだ。
「あんたの選ぶ色は、いつも優しいねぇ」
不意に聞こえた声に振り向けば、祖母がしているパッチワークを覗きながら、布を切って差し出す僕の姿がある。祖母の生活が少し華やかになるように、綺麗な物に囲まれて寂しい気持ちが忘れられる様にと祖母が作るこたつカバーに口を出していた思い出だ。
「……ばあちゃん、可愛いものが好きなのは変な事なの?」
「そんなことないさ。ばあちゃんは、そのお洋服着てみたいよ」
ふっと目に浮かぶ景色が変わった。これは小三の頃の記憶か。スケッチブックに描かれた女の子の洋服を覗き込みながら祖母が僕の頭を撫でている。
美紀ちゃんが作る可愛らしいアクセサリーに影響されたのか、華やかな神楽の衣裳に刺激をされたのか、すっかり忘れていた気持ちが沸き上がってくる。
ばぁちゃんが死んで、進路希望でデザイン科と言えなかったあの頃の僕を、今からでも、いや、今だからこそ助けられるか。今からでも遅くはないか?
美紀ちゃんはもう、僕の前で歌わない。けれど美紀ちゃんは新しい道で輝こうとしている。「人は何度でも道を選びなおせる」と見せてくれた。
このトンネルも教えてくれている気がする。 鉄道が通らなかったこの遺構が、今もこうして美しい景色として残っているように。 僕が積み上げてきた「優しさ」や「可愛いものへの情熱」は、無駄なんかじゃないと。
僕は急いで車に戻ると、手帳に一着のワンピースのデザインを描いた。伝統的で派手で強さを感じられる洋服。輝きたい誰かがいつか着てくれたらうれしい。




