第9話 これって約束かも!
空港の到着ロビーには、報道陣が詰めかけていた。
「空手世界王者・荒谷呉人選手が帰国!」
フラッシュがたかれ、マイクが伸びる。
「優勝おめでとうございます! 今の気持ちは?」
「まだ実感はありません。でも……日本の空気、うまいです」
苦笑いしながらも、心の中には確かな誇りがあった。
その日の夜、
呉人のスマホにメッセージが届く。
> 『くれひとくん、おかえり! 世界一おめでとう!』
> 『ありがとう。そっちの舞台も、最高だったらしいな』
> 『うん。でも、伝えたいことがあるの。明日、会える?』
呉人の胸が静かに高鳴った。
(半年ぶりの再会、か……)
翌日。
渋谷のスクランブル交差点。
姫野沙耶はベージュのコートを羽織り、マスクを外して微笑んだ。
「くれひとくん!」
振り向いた呉人の目に映る彼女は、
以前よりも少し落ち着いた“大人の女優”の顔をしていた。
「久しぶりだな、沙耶」
「ほんと、半年ぶりだね」
彼女の手には小さな袋。
中には、呉人の道着に付けるための新しい刺繍糸――“運命”の文字。
「これ、私が刺したんだ」
「……お前、まだこういうの得意だったな」
「うん。でも、今回はおまじない。
“運命に勝つための運命”ってね」
二人は笑いながら、街を歩いた。
食事のあと、夜景が見えるカフェに入った。
姫野は静かにカップを置き、呉人を見つめる。
「くれひとくん、私……映画に出ることになったの」
「映画?」
「うん。主演。来年、全国公開。
でも、半年間ロケで地方を転々とするんだ」
呉人は驚いた。
「すげぇじゃねぇか!」
「ありがとう。でも……たぶん、あんまり会えなくなる」
沈黙が落ちた。
呉人もまた、プロの空手団体からスカウトを受けていた。
「俺も、プロに行くつもりだ」
「え……?」
「来月契約する。試合数も増える。遠征も多い」
二人は見つめ合う。
喜びと、寂しさが交錯する。
「ねぇ、くれひとくん」
「ん?」
「離れてても、私たち、壊れないよね?」
呉人はゆっくりと頷いた。
「壊れねぇよ。だって、俺たちは“運命”だからな」
姫野は少し泣き笑いして、
「……ズルいよ、そういうこと言うの」と呟いた。
その夜、二人は公園を歩いていた。
冬の風が頬をかすめ、木々が揺れる。
姫野が立ち止まり、空を見上げた。
「ねぇ、くれひとくん。覚えてる? 高校の屋上で、私が言った言葉」
「“これって運命かも”か?」
「うん。でもね、今はちょっと違うの」
姫野は彼をまっすぐ見た。
「これって――約束かも」
呉人は眉を上げる。
「約束?」
「うん。どんなに遠くにいても、
お互いの夢を裏切らないっていう約束」
呉人は無言で彼女の手を取り、拳の上に重ねた。
「だったら、俺も約束する。
どんなに強くなっても、お前のことを忘れねぇ」
夜空に雪が舞い落ちた。
二人はその下で、静かに見つめ合った。
翌月。
呉人はプロデビュー戦を控え、激しい稽古を続けていた。
だが、試合の直前に、右手の指を痛めてしまう。
「荒谷、無理するな!」
「大丈夫っす」
痛みを隠しながらも、
試合の日は容赦なくやってくる。
一方、姫野は撮影現場で体調を崩していた。
セリフを間違え、監督に叱られ、
「大丈夫」と笑いながらも、心は張りつめていた。
――お互いの存在が支えだった。
でも今は、すぐ隣にいない。
夜、二人はそれぞれの場所でスマホを見つめていた。
> 呉人:『ケガしたけど、出る。絶対勝つ』
> 沙耶:『無理しないで。でも、信じてるから』
> 呉人:『ありがとう。……約束、覚えてるか?』
> 沙耶:『もちろん。夢を裏切らないって約束』
画面越しでも、心は繋がっていた。
試合開始のゴングが鳴る。
右手の痛みをこらえ、呉人は拳を構えた。
観客の声が遠のき、
ただ姫野の言葉だけが脳裏に響く。
> 「信じてるから」
相手の攻撃を受け流し、反撃の一撃。
右拳が光る。
「一本!」
歓声が爆発した。
呉人は倒れた相手に深く一礼し、
拳を胸の前で握った。
――これは、ただの勝利じゃない。
“約束を守った証”だった。
同じ夜。
姫野の主演映画の試写会が行われていた。
舞台上で、彼女は観客を前に語った。
「この映画は、夢を信じ続ける人への物語です。
そして……ひとりの空手家に、心から感謝を」
会場がざわめく。
彼女はマイクを胸に抱き、
小さく呟いた。
「これって、約束かも」
その瞬間、照明の中で彼女の涙が光った。
数日後。
都内の屋上。
姫野は撮影終わりにひとり夜空を眺めていた。
「……あの日も、こんな空だったな」
背後から声がした。
「お前、ここ好きだよな」
振り向くと、呉人が立っていた。
右手には包帯、顔にはいつもの穏やかな笑み。
「試合、見たよ。勝ったんだね」
「お前の映画も観た。すげぇよ、お前」
二人は並んで夜空を見上げた。
「なぁ、沙耶」
「なに?」
「次は――一緒に夢を作ろうぜ」
「え……?」
「お前の映画、俺もアクション監修で呼ばれたんだ」
「うそ!」
姫野は目を丸くして笑った。
「やっぱり、これって……」
「運命かも?」
「ううん」
彼女は優しく微笑んで言った。
「これって、約束の続きかも」




