第8話 これって挑戦かも!
冬の朝。
道場の床に、荒谷呉人の気合いの声が響いた。
「ハッ!」
正拳突きの音が空気を切り裂く。
汗が床に落ち、白い息が上がる。
「荒谷、決まったぞ」
監督が笑顔で近づいた。
「世界大会、日本代表正式決定だ」
呉人の胸の奥で、何かが爆ぜた。
「……マジっすか」
「お前の努力は誰もが見てる。胸を張れ」
夢だった“世界の舞台”が、現実になった。
だが、喜びよりも先に思い浮かんだのは――
姫野沙耶の顔だった。
(あいつに、真っ先に伝えなきゃ)
その頃、東京。
姫野沙耶は稽古場で発声練習をしていた。
「――運命は、待つものじゃない!」
彼女の声は以前よりも強く、伸びやかだった。
演出家が拍手を送る。
「姫野、いいぞ。その感情、忘れるな」
「ありがとうございます!」
稽古後、スマホを開くと一件の通知。
差出人は“呉人”。
> 『世界大会、日本代表に選ばれた』
その文字を見た瞬間、目に涙が溜まった。
「やった……やったね、くれひとくん!」
同時に、彼女にも大きなニュースが届いていた。
――新作舞台『運命を越えて』、海外ツアー決定。
開催地は、なんと呉人が出場するフランス・パリ。
「……え、うそ」
姫野は呆然と立ち尽くし、
すぐにスマホを手に取った。
> 『くれひとくん、行き先どこ!?』
> 『パリ。なんで?』
> 『これって――運命かも!』
数ヶ月後。
異国の風が二人を包んでいた。
呉人は大会前の調整練習の合間、エッフェル塔の下で立ち止まる。
街の喧騒、香ばしいパンの匂い。
空の色すら違う気がした。
「……本当に来ちまったな」
すると、後ろから声がした。
「くれひとくん!」
振り向くと、そこに姫野がいた。
白いコートにマフラー、少し大人びた雰囲気。
街の光の中で、まるで映画のワンシーンのようだった。
「ほんとに同じタイミングでパリなんて……」
「お前が言う通りだ。これって、運命かもな」
「でしょ!」
二人は笑いながら、カフェへと入った。
「舞台の準備、大変だろ?」
「うん。言葉の壁とか文化の違いとか……正直、怖いよ」
「でも、お前ならできる」
呉人の言葉に、姫野は微笑む。
「ありがと。……くれひとくんも、世界で勝ってね」
その目はまっすぐだった。
しかし、どこかに“焦り”が滲んでいた。
姫野の劇団は今回が初の海外公演。
現地メディアの注目も大きく、
プレッシャーに押し潰されそうだった。
一方で呉人もまた、代表としての重圧を感じていた。
互いに励まし合いながらも、
少しずつ――心の距離が開いていく。
大会初日。
観客席には各国の旗と歓声が渦巻いていた。
呉人は深呼吸をし、心を落ち着かせる。
(空手は、心の戦いだ。焦るな)
相手はヨーロッパ王者。
長いリーチと鋭いカウンターを持つ強敵。
試合開始。
激しい攻防の末、呉人は一瞬の隙を突かれた。
――ダウン。
審判の声が響く。
観客の歓声が遠のく。
(まだ……終われねぇ)
立ち上がり、構え直す。
脳裏に浮かぶのは――姫野の言葉。
> 「運命ってね、信じ続ける強さのことなの!」
拳が、再び火を灯す。
渾身の突き。
会場が揺れた。
「一本!!」
逆転勝利。
呉人は静かに天を仰いだ。
同じ夜、姫野の舞台も始まっていた。
観客席には、呉人が勝ったという速報が流れていた。
「くれひとくん……やっぱりすごいね」
ステージに立つ彼女の声には、
いつもよりも少し力がこもっていた。
最後のセリフ――。
> 「運命は試練をくれる。
> でも、それを乗り越えた時、
> きっと本当の“絆”になる。」
観客が総立ちで拍手を送る。
その中に、呉人の姿はなかった。
だが、姫野は確かに感じていた。
彼の存在を、心の奥で。
翌日、パリの街角。
大会を終えた呉人が歩いていると、
小さな劇場の前に姫野が立っていた。
「優勝、おめでとう!」
「お前こそ、すごい評判だぞ。新聞に載ってた」
二人は笑い合い、肩を並べて歩く。
街の喧騒、夕暮れの光、すべてが温かかった。
「ねぇ、くれひとくん」
「ん?」
「私ね、前は“運命”って、
出会うための言葉だと思ってたの」
「……今は違うのか?」
「うん。今は、“一緒に進むための言葉”だって思う」
呉人は立ち止まり、姫野を見つめた。
「じゃあ、これからも一緒に進もうぜ」
「もちろん!」
姫野は笑って、そっと彼の手を握った。
パリの街灯が、二人を優しく照らす。
帰国の飛行機。
雲の上で、二人は隣に座っていた。
「なぁ、沙耶」
「なに?」
「俺たち、ここまで来たけど……これからも挑戦だな」
「うん。だって、夢って終わらないもん」
彼女は微笑み、窓の外の空を見つめた。
「これって、挑戦かも!」
「そうだな」
呉人は拳を握り、そっと笑った。
「でも、俺たちの挑戦は、きっと“運命”が味方してくれる」
雲の切れ間から、太陽の光が差し込む。
二人の未来を照らすように――。




