第7話 これって再会かも!
春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が来た。
荒谷呉人は体育大学での稽古に明け暮れていた。
朝は走り込み、昼は筋力トレーニング、夜は道場での実戦練習。
同じように強さを求める仲間たちの中で、呉人の名はすでに知られていた。
「荒谷、全国大会でもう一回名前を刻もうぜ!」
「……ああ。やるからには優勝しかねぇ」
拳を固く握り、汗が落ちる。
あの日――姫野に「夢を追え」と背中を押された時の気持ちを、
今も胸の奥に刻んでいた。
夜、寮の部屋に戻ると、スマホが震えた。
画面には“沙耶”の名前。
> 『今週末、関西公演だよ! チケット、まだあるよ?』
> 『観に行く』
呉人は即答した。
心の奥で、静かに火が灯る。
(半年ぶりか……どんな顔して会えばいいんだろう)
週末。
大阪の小劇場には観客がぎっしり詰まっていた。
ポスターには姫野沙耶の名前――「主演」の文字が輝いている。
呉人は最後列に座り、静かに舞台を見つめた。
――幕が上がる。
ステージの中央に立つ彼女は、もう“高校生の姫野”ではなかった。
動き、声、表情のすべてが研ぎ澄まされている。
“夢を掴もうとする人間”の輝きがそこにあった。
演目のタイトルは『運命を選んだ日』。
主人公の女性が、愛する人と離れながらも、
再び出会う物語。
最後の台詞が胸に刺さった。
> 「運命ってね、奇跡のことじゃないの。
> 自分で信じ続ける強さのことなの。」
カーテンコールが終わり、観客が拍手を送る中、
呉人は席を立った。
心臓の鼓動が、いつもよりもずっと速かった。
舞台裏の通用口。
姫野が出てくるのを、呉人は待っていた。
暗い夜空に、舞台の灯りが滲む。
「くれひとくん!」
声を聞いた瞬間、呉人の胸が熱くなった。
半年ぶりのその笑顔は、少し大人びて、けれど変わらなかった。
「よかった、来てくれたんだね!」
「当たり前だろ。言っただろ、“観に行く”って」
姫野は笑いながら駆け寄り、彼の胸に飛び込んだ。
呉人は戸惑いながらも、しっかりと受け止める。
「……やっぱり、くれひとくんの匂いだ」
「お前、相変わらずだな」
二人は顔を見合わせて笑った。
「これって――」
「運命かも、か?」
「ふふ、言わせた!」
懐かしいやりとり。
でも、そこに漂う空気は、もう“恋人未満”ではなく“恋人そのもの”だった。
その時。
「荒谷先輩!」という声が背後から響いた。
振り返ると、一ノ瀬涼が立っていた。
彼女は関西の大学に進学し、偶然この劇団の裏方の手伝いをしていたのだ。
「えっ……一ノ瀬さん?」
「お久しぶりです! お二人とも、まさかここで会うなんて!」
姫野が少し驚いた顔をする。
「そっか……一ノ瀬さんも、関西にいたんだ」
「はい。裏方の勉強してて。今日の舞台、すごくよかったです!」
和やかな空気――のはずだった。
だが、涼の目が一瞬だけ呉人を見たとき、
その中に、わずかに消えない想いが光った。
姫野はその視線を、敏感に感じ取った。
(……やっぱり、まだ……)
しかし、彼女は笑顔を崩さなかった。
「また会えてうれしいよ。一ノ瀬さん」
「はい!」
涼は元気よく返したが、その声の奥に、
小さな寂しさが混ざっていた。
翌日。
呉人は大学の練習を終え、姫野との食事の約束に向かっていた。
だが、途中で急に教授から呼び出しがかかる。
「荒谷、代表合宿の選抜だ。今日の夜、説明会がある」
「えっ……今日ですか?」
「そうだ。全国強化選手の候補に入ってる」
呉人は、迷った。
姫野との約束を守るか、空手の夢を優先するか。
スマホを見つめる。
メッセージが届いていた。
> 「駅前で待ってるね! くれひとくんと過ごすの、久しぶりだもん♪」
拳を握る。
(……行きたい。でも、今ここで逃げたら後悔する)
呉人は短く打った。
> 「ごめん。行けなくなった」
それだけ。
説明を加える余裕もなかった。
夜。
駅前のベンチで、姫野はコートの襟を握りしめていた。
冷たい風が吹く中、スマホを見つめて小さく呟く。
「……運命って、便利な言葉だよね」
ふと、後ろから声がした。
「姫野さん?」
一ノ瀬涼だった。
偶然同じ駅を通りかかったらしい。
「荒谷先輩、合宿の説明会に行きました。全国代表のチャンスなんです」
「え……そうなんだ」
胸の奥が、すとんと落ちた。
悲しいわけじゃない。
ただ――“大切な人が前に進んでいる”という実感が、
彼女の中で何かを変えた。
「……そっか。なら、よかった」
涼が驚いたように顔を上げる。
「怒らないんですか?」
「ううん。私、やっとわかったの」
姫野は微笑んだ。
「運命ってね、待つものじゃなくて、信じ続けるものなんだって」
涼は目を潤ませながら頷いた。
「やっぱり、姫野さんって強いですね」
「違うよ。……あの人が、強さをくれたの」
翌朝、合宿の説明会が終わった呉人は、すぐに駅へ向かった。
夜明けの冷たい空気の中、心はざわついていた。
「……やっぱ、ちゃんと会って話さねぇと」
その瞬間、駅のホームで声が響いた。
「くれひとくん!」
振り向くと、そこに姫野が立っていた。
息を切らし、目を潤ませながら。
「遅いっ!」
「悪かった。でも……行かなきゃいけなかったんだ」
「知ってる。一ノ瀬さんから聞いた」
姫野は一歩近づく。
「もういいの。私、怒ってない。
だって――夢を追うくれひとくんが、いちばん好きだから」
呉人は言葉を失った。
そして、そっと彼女を抱き寄せる。
「ありがとう。……俺も、お前がいるから頑張れる」
姫野は小さく笑って、彼の胸の中で囁いた。
「これって、再会かも」
「……いや」
「え?」
「これが、本当の“運命”だ」
ホームに風が吹く。
電車の音が近づく中、二人は離れずに立っていた。
その春。
呉人は日本代表の強化合宿に正式選出された。
姫野は新しい舞台で主役を務め、雑誌に取り上げられるほどの注目を集める。
互いに遠くにいても、支え合う二人。
それは“恋愛”ではなく、“絆”と呼べるものだった。
――運命とは、出会うことではない。
――信じ続けることだ。
空と空の下で、二人の道はこれからも交わり続ける。




