外伝Ⅰ これって継承かも!
あの日から三年。
荒谷呉人は、地元に自分の空手道場「荒谷塾」を開いていた。
表には「心の拳を鍛える道場」と掲げた看板。
それは、彼が空手と恋を通して学んだ“優しさの力”を表していた。
県大会チャンピオン、映画のアクション監修、テレビ出演――
名は少しずつ広まり、今では子供たちや学生が十数人も通ってくる。
けれど呉人自身は、あくまで飾らず、昔と変わらぬ柔らかな笑みで指導していた。
「構えは低く。けど、気持ちは高くな」
「はいっ!」
子供たちの返事が響く。
夕日が差し込む畳の上――呉人は、その光景を誇らしく見つめていた。
ある日、見学希望の少年がやってきた。
中学二年生、篠宮陸。
小柄で、目を合わせるのが苦手そうな少年だった。
母親に背中を押され、しぶしぶ靴を脱ぐ。
「よろしくお願いします……」
小さな声。けれど、その瞳の奥には何か光るものがあった。
呉人は笑って言った。
「よし、まずは正座して挨拶だ」
「お、お手柔らかに……」
その日から、彼の指導が始まった。
最初は動きも鈍く、周りの子供たちよりずっと遅れていた。
だが、呉人は叱らなかった。
「下手でもいい。大事なのは、“あきらめないこと”だ」
その言葉に、陸の顔が少しだけ明るくなった。
ある夕方。
稽古を終えた道場に、明るい声が響いた。
「お邪魔しまーす!」
姫野沙耶が、差し入れを抱えて現れた。
今や映画女優として全国的に知られる存在になっていたが、
彼女の笑顔は昔と変わらない。
「くれひとくん、ちゃんとご飯食べてる?」
「子供扱いすんな」
「だって昔からすぐ稽古ばっかでしょ」
子供たちは「テレビの人だ!」と騒ぎ出す。
姫野は照れ笑いを浮かべながら、サインをしてあげた。
そんな彼女の姿を見て、陸がぽつりと呟いた。
「……あの人、すごいな」
呉人は軽く頷いて言った。
「そうだ。けど、あいつも最初は何もできなかったんだ」
「え、ほんとに?」
「“できない”を“やってみよう”に変えた人だ」
その言葉が、少年の胸に静かに残った。
夏の昇級試験の日。
陸は初めて“組手”に挑戦することになった。
相手は、自分より大きな高校生の先輩。
観客席には、姫野もこっそり見に来ていた。
試合開始。
陸は防御一辺倒で押され続ける。
見ている呉人は何も言わない。
「痛くても、逃げるな」
その一言を胸に、陸は再び立ち上がる。
息を整え、拳を握る。
> 「押忍ッ!!」
最後の一撃――まっすぐ放った中段突きが、
見事に相手の胴を捉えた。
「一本!」
会場に歓声が上がる。
陸は涙をこらえながら、呉人の方へ走った。
「先生……俺、やった……!」
「おう、よくやった」
呉人はその頭を優しく撫でた。
姫野は観客席でそっと笑う。
「ねぇ、くれひとくん。今の、すごくいい顔してたね」
「だろ? あいつ、絶対強くなる」
その夜、道場の片隅で陸が呟いた。
「先生……俺、昔、いじめられてたんだ」
「知ってた」
「え?」
「お前の拳、最初から“守る形”だったからな」
陸は目を見開いた。
呉人は静かに続けた。
「でもな、空手は“倒すため”のものじゃない。
“誰かを守る力”なんだ。
お前が誰かのために拳を握る時、きっと本当の強さになる」
その言葉に、陸の目から涙がこぼれた。
「……俺、守りたい人がいる」
「そいつを守れるようになれ。そのための稽古だ」
秋の大会。
陸は準優勝を果たした。
悔しそうに唇を噛むが、その目は輝いていた。
閉会式のあと、姫野が駆け寄ってきた。
「りっくん、おめでとう!」
「ありがとうございます!」
姫野は笑って、呉人の方を向く。
「ねぇ、これって――運命かも!」
呉人は少し照れくさそうに苦笑する。
「……またそれかよ」
「だって、あの時あなたが助けてくれたから、
今こうして、この子に出会えたんだよ?」
その言葉に、呉人は静かに頷いた。
> 「そうだな。運命ってのは、
> こうやって繋がっていくもんかもな」
冬。
道場の壁に貼られた新しい文字。
> 『守る拳、繋ぐ心』
呉人が筆で書いたその言葉の隣には、
陸の写真が貼られていた――「次期指導員候補」。
「先生、本当に俺が?」
「ああ。お前なら、きっと誰かを守れる」
陸は真剣に頷いた。
その背後から姫野が顔を出す。
「ねぇ、これって――継承かも!」
「……運命の次は継承かよ」
「だって、いい響きでしょ?」
呉人は笑って肩をすくめた。
「ま、悪くないな」
窓の外では雪が舞っていた。
その白い景色の中で、
荒谷呉人の“心の拳”は確かに次の世代へ受け継がれていった。
ある日記の最後に、呉人はこう書き残している。
> 「拳を交わすたび、人は繋がる。
> それが“運命”の形なんだろう。
> 俺の道場が、誰かの未来を照らせますように。」
そしてページの端には、
小さな文字で――
> 「これって、継承かも!」




