遺産相続
本日はご足労いただきありがとうございます。電話でもお伝えしましたとおり、あなたの父親にあたる者が私の親戚でして……あ、もう戸籍を確認してくださったんですか? そうです、この■■が私の伯父です。良かった、どうやって証明しようかなって思っていたんです。認知はしてあったんですね……ああ、すみません。あなたのことは噂から辿っただけだったので、分からないことだらけで色々と不安だったんです。
あの、改めまして……このたびはご愁傷さまでした。あ、そうですよね。顔も知らないならこんなこと言われても困りますよね。
え? 伯父さんがどんな人だったか? ううんと……ごめんなさい、一緒には暮らしていなかったのであんまり記憶がないんです。でも、そうですね。折角ですから、私の覚えている限りで伯父さんに関することはお話ししたいと思います。
■■伯父さんは、私の父の兄にあたります。祖父が農家で、伯父さんは家業を継いで祖父達と一緒に暮らしていました。あなたのお母様と暮らしていたのは、伯父さんが高校を出てから家業を継ぐまでの間ですよね? あ、結婚する予定だったんですか。それは知らなかった……駆け落ち同然で家を出ていた時期がある、って小耳に挟んだ程度で。
私が知っているのは、家庭を持った後の伯父さんだけです。伯父さんの長男が私の七つ上ですから、家業を継いでからもそれだけの時間は経っていたんだと思います。だから私にとっての伯父さんは、いつも畑に出ている人というくらいしか認識がないんです。あ、でも勿論、夜ご飯の時は少し話しましたよ。私はお盆やお正月だけ父の帰省で伯父さん達の家に行っていましたから、夜は毎回宴会みたいになってて。伯父さんはお酒を飲んでご機嫌に私と話してくれましたから、関わりがその時間だけでも怖い人だという印象を持ったことはありませんでした。
あと伯父さんのことで覚えているのは……ああ、そうだ。熱心な仏教徒だったということですかね。正確なところはよく分からないんですけど、朝昼晩の三回、祖父と伯父さんが仏間でお経のようなものを唱えていたのはよく覚えています。壁の上の方に仏教絵画みたいなのがあって、それに向かってやる感じですね。しかもそのお経なんですが、一回が結構長いんですよ。時間を測ったことはありませんが、三十分くらいは続けていたんじゃないでしょうか。それを毎日、昼間はわざわざ畑から戻ってやっていたんです。祖母達に聞いたら、私達一家が来ている時だけじゃなかったみたいで。実際、大晦日も元旦もやっているのは見たことがあるので嘘じゃないと思います。
何のためにやっているのか、気になって聞いたことはあります。確か「うちは百姓だから、神様に『うまく育ちますように』ってお願いしてるんだ」とかなんとか。それで納得して私もあんまり深くは聞かなかったんです。何せうちの父は普通のサラリーマンでしたし、私自身都心育ちで農家のことはよく分からなかったので、それ以上の疑問って浮かばなかったんですよね。それに伯父さん達が向かっていた仏教絵画もそれっぽかったですし……えっと、男の人が描かれている絵で、周りにはたくさん桶のようなものがありました。だからあの中にはきっと収穫した野菜か何かが入っているんだろうって。ずっと昔の豊作だった時のことを描いた絵なのかなって納得しちゃったんです。
それに、そのうち従兄弟もやるようになったんですよ。あ、従兄弟っていうのは伯父さんの長男の……ああ! すみません、言い忘れてました。伯父さんには息子が二人いたんです。あなたの弟にあたるのに……私ったらすっかり話すのを忘れててごめんなさい。
従兄弟のことも、正直あまり覚えていないんです。私からしたら七つと五つ上の従兄弟で、性別も違います。だからあんまり遊んでもらったことがないというか……。多分、彼らも年の離れた女子の扱いに困っていたんだと思います。加えて私は引っ込み思案で、あの家に行くといつも父か母の後ろにくっついていたんです。
そういうこともあって従兄弟のこともあまりよく知らないんですけど、確か伯父さん達と同じ日課を従兄弟がやり始めたのは、従兄弟が高校を卒業した後だったんじゃないかなと思います。ちなみに長男の方だけです。理由は多分、長男の方が家業を継ぐからじゃないでしょうか。その頃から従兄弟の生活リズムも伯父さん達と同じような感じになっていた記憶があるので、高校卒業を機に正式に色々と教わり始めた……とか。
本当にごめんなさい、全然知らなくて。ちょうどそのくらいからうちの両親もちょっとギクシャクし始めて、あんまり父の帰省についていかなくなっていて……。だから今回、こうして伯父さんの遺産相続のことを手伝うってなって不安しかなかったんです。でもあなたにとっては法律上の権利ですからね、そこはちゃんとしないとと思って。それにあなたにしてみれば実のお父さんのことですから、私もできる限りのことはしたいなと。
え? ……ああ、そうなんです。早死の家系なんです。嫌ですよね、こんな話されるの。でもみんな病気になるとかではないのでそこはご心配なく! なんというか、不慮の事故? みたいなのが多いというか……。
私の知る限りだと、遡れるのは祖父の兄弟までです。兄か弟かは分からないんですけど、祖父には男兄弟が二人いて、そのどちらも私が生まれる前には亡くなっています。一人は事故で、川に転落して……あんまり高さは落ちなかったみたいなんですけど、運悪く首の骨を折ってしまったとかで。それからもう一人は、その……自分で……首を、括ったみたいです……。
ごめんなさい、こんなことしか話せなくて。あ、でも! 事故じゃなかったのはその人だけです! 私の父も事故でしたし、従兄弟も……従兄弟達も、あれは……事故です。
……聞きます? 正直、ちょっと気分が悪くなる話なんですが……――分かりました、私もなるべく淡々とした感じになるように話します。
二年くらい前のことです。あの頃の従兄弟達は兄弟同士で何かよく揉めていたみたいなんです。内容はちょっと知らないんですけど、家のことだとは噂で聞いたことがあります。
それである時、畑で言い争いになったそうで。見かけた方の話によると、兄の方が農作業で使う重機の……コンバインっていうんでしたっけ。あの、前の方に鍬みたいなのがついてるやつです。その重機に乗っていて、弟はそれを追いかけたんです。追いかけたって言っても、横に並んで歩くって感じですね。テレビとかでもよく見ません? 重機の隣を歩いている人。そうそう、ああいうのだと思います。
別に珍しくない光景だそうです。安全な距離さえ保っていれば誰も気にしないくらい……でも、あの日は違いました。
重機が倒れてしまったんです。それも、隣を歩いていた弟を押し潰す形で。その時点で弟が危険な距離まで近付いていたのは確かでしょうね。悲鳴でそちらを見た人の話によれば、倒れた重機から兄が大慌てで出てきたそうです。それで、下敷きになった弟を必死に助けようとして……。勿論、エンジンは止まっていました。それは彼らの元に駆けつけようとしていた人達もよく覚えていたみたいです。
だけど何故か、急に……。弟を助けることに集中していた兄は、エンジンを切ったこともあってあんまり自分の位置を気にしていなかったんじゃないかな。それで……服の一部が引っかかっちゃったのか、そのまま動き出した機械部分に巻き込まれて……。
……大丈夫ですか? お手洗いにでも……いえ、私は大丈夫です。もう過去のことですから、だいぶ折り合いはつけられています。
事故の原因? それが……警察も不運が重なった結果だと。なんでも、畑の中に大きな石が落ちていたんだそうです。中型犬くらいの大きさだったと聞いています。
畑の中に普通はそんなものありません。それに事故が起きたのは道路から離れた場所だったので、多分誰かが悪戯で放置したんだろうと。最初は兄の方にも疑いがかかったんですが、本人が亡くなっていることと、仮に狙ってやろうとしてもうまく重機が倒れるとは限らないということで疑いは晴れたみたいです。
これがきっかけで伯父さんは酷く憔悴してしまいました。その少し前に祖父も咽頭癌で亡くなったばかりでしたから、従兄弟の葬儀で会った時は記憶の中の伯父さんよりも一気に老け込んでしまっていて……。
多分、精神的にも弱っていたんだと思います。葬儀の後に二日ほど伯父さんの家に滞在したんですが、伯父さん、ずっとあのお経を唱えていたんです。もしかしたら彼なりに冷静さを保とうとしていたのかもしれません。日常的に口にしていたそれを唱えて、頭の中を空っぽにして、どうにか悲しさを紛らわしてたんじゃないかな。そう思えるくらい、伯父さんの姿は見ていて辛くなるものがありました。
だから今回、伯父さんが亡くなったって連絡があってもそんなに驚かなかったんです。自殺ではありませんが、生きる気力をだいぶ失っているように見えましたから……仮にちょっとした病気や怪我でもそのままぽっくり逝ってしまうかもしれないねって母とは話していたんです。だから母からはなるべく伯父さんのことを気にかけてあげてと言われていて、私も折々で連絡を取るようにしていました。
それなのに、あんなに突然……。ヒートショックっていうらしいです。寒い日に熱いお風呂に入って、ふらっとしてそのまま……冬場にはよくある事故らしいですね。伯父さんの家には伯母さんと祖母がいたんですが、物音に気付いて駆けつけた時にはもう……。倒れた拍子に頭を打って、その時に首を折ってしまったみたいなんです。
首、やっぱり多いですよね。私も気になってたんです。実は従兄弟達も首をやられていたので……。
伯父さんのお葬式は家の仏間でやったんですが、なんとなく私、お坊さんのお経を聞きながら、いつも伯父さん達がお経を唱える時に向かっていた絵を見たんです。そうです、さっき話した男の人の。それまでは特に変だなと思ったことはなかったんですけど……大人になって見てみたら、なんか、あんまり仏教絵画っぽくないなって思えてきたんです。
ああいうのって普通、神様が描いてあるじゃないですか。でもその男の人は神様には見えませんし、だから豊作の時の絵だろうと思っていたのに、農民というよりは武士みたいな格好をしていて……。そう認識すると、今度は周りに描かれていたたくさんの桶も全然違うものに見えてきたんです。
あの大きさは多分、首桶じゃないでしょうか。ほら、敵将の首を入れとくあれです。もしかしたらその武士の人の実績を示す絵だったんじゃないかなと。
でもそうすると変ですよね。武士なんて伯父さんの言っていたように、お百姓だからってお願いをするような相手ではないじゃないですか。
それで、とうとう祖母に聞いてみたんです。「あれは一体何なの? 伯父さん達は何をお祈りしていたの?」って。
そうしたら、なんて言ったと思います? 「謝っているんだよ」って。「うちは元々桶屋だったんだ」って。
つまり、そういうことですよ。昔たくさんの人の首を入れていた桶を、うちが作っていたんだそうです。そのせいか、うちの……祖父の家系の男児はみんな、首に何かが起きて亡くなるんだそうです。
でも家を継いだ男の人があのお経をしっかり唱えているとその死は遅く、穏やかなものになるみたいで。だから祖父は咽頭癌という首の病気でしたが、長く生きられた。伯父さんも平均寿命までは生きられました。
従兄弟達は……実は、弟が家業を継ぐと言い出していたんだそうです。元々サラリーマンだったんですが、仕事がうまくいかなかったみたいで。それで兄の方がその覚悟を確認するために、仕事を教えつつお経を唱えるよう言っていたらしいんですけど、弟は仕事はしてもお経は全然やらなかったらしく……祖母は、仏さんを怒らせてしまったんだろうと言っていました。実は私の父が亡くなったのもその時期なんです。家を継ぐ人がちゃんとやらなかったから、周りにまで影響が出たんじゃないかって。
お経の内容ですか? ごめんなさい、分からないんです。口伝ってやつで、代々男児にしか教えられていないんです。文字に残されていないか探してみたんですが、結局見つけられませんでした。
あ、でも今日はこれを持ってきたんです。そうです、あの絵です。これをあなたに差し上げます。他の遺産は正式な手続きを踏んでからになりますが、これだけは先に必要かと思いまして。
え? いいのかって? 勿論です、受け取ってください。
だってうちにはもう、あなた以外に男児はいませんから。