第十話 扉の音
「こんな関係は今すぐやめるべきだよ」
わかっている。わかっているから目を逸らした。気付かないように。気付いていないふりを続けられるように。真理は健人が心の奥底に隠した気持ちを掘り返し「あなたは間違っている」と容赦なく突き付けてくる。
真理の目から止めどなく流れ続ける涙は、怒り・悲しみ・憂い、そのどれでもあって、どれでもないように思えた。
「わかったから…もう大丈夫だから」
今ならまだ「親友同士の気の迷い」だと、「友情と愛情の取り違い」なのだと、そう言って元の関係に戻ることができる。今ならまだ…きっと。
「この顔どうしたんだよ」
まだ腫れの引かない左頬を親指でなぞりながら言う裕斗の手を軽く振り払い「ちょっとぶつけただけだから」と誤魔化した。
裕斗の唇が左頬に触れ「痛い?」と耳元で囁かれる。いつもの甘い声にまた流されそうになる。もうこの暗い沼の奥底から這い出して、先に進まなければならない。そう決心して裕斗を押しのける。
「やめろ」
「なんで?」
「やめろって。もう、こういうことはやめよう。俺たち友達だろ」
「なんで?どうしたんだよ急に…」
「もう嫌なんだよ…こんな関係いったいいつまで続けるんだよ」
「俺は健人のことを」
「やめろ!聞きたくない」
耳を塞いで振り向く健人を力ずくで振り返らせる裕斗の目には涙が滲んでいる。
「今の関係が嫌なら、はっきりさせればいいだろ!俺はお前のことが好きなんだよ!」
「違う」
「違わない!」
「友情と愛情を取り違えてるだけだ」
「違う!」
「俺もお前も友情を愛情だと誤解しただけなんだよ。今ならまだ引き返せる」
「いったいどこに引き返せるって言うんだよ!?」
裕斗に胸ぐらを掴まれ、次の瞬間ベッドに押し倒された。裕斗の頬を伝った涙が健人の赤く腫れた頬に落ち、涙の熱がじんわりと広がる。
「こんなにも好きなのに、今更この気持ちを無かったことになんてできないよ」
駄々をこねる子供のように、健人の耳元で項垂れる裕斗を愛おしく思う。大切に思う。だから、この間違えを終わらせなければいけない。
「お前の気持ちが変わらないなら、俺はお前の人生から消えるしかない」
健人のその言葉に、裕斗は静かに起き上がり、真っ暗な部屋の中にバタンという「扉の音」だけを残して去っていった。




