第八十九話 不安を抱えて
【登場人物】
マリリア ジョルジア王マルスの末娘 〈聖者〉
イェリアナ ハルザンド王イェガスの娘 〈剛者〉
シルリラ シシリー子爵夫人の娘 〈賢者〉
アゼルヴェード 北大陸の軍団を率いる侵略者
精霊石のペンダントを身につけた時、暫くは頭の中にモヤがかかった状態になったが、そのモヤが晴れると、マリリアの世界の見方が変わった。いや、変わったのではなく、多くの欺瞞に満ちていた事に気が付いた。この世界の本当の主人がアゼルヴェードである事に、そしてこれまで自分に向けられていた優しい笑顔の裏側には悪意が隠れている事に、...主人と自分に敵意を向けるこの大陸の人々が討ち倒されねばならない存在だという事に気が付いた。
特にマリリアの心をざわつかせる家族やジュードに対しては一際強い憎悪を抱いた。だからケララケがお膳立てしてくれた時にジュードを、ジョルジアを征服した時に家族をこの手で殺した。少しでも早く奴等の存在を消したかったからだ。
神帝アゼルヴェードがこの大陸へ来てから1年が経過し、多くの国を征服し、神帝の妃となった今、マリリアが希望は早く神帝アゼルヴェードの子を身籠る事だった。大陸東部への侵攻はケララケが、政務などは闇森人達がやってくれる。身の回りの事も侍女達の役割だった。イェリアナは既に妊娠している。シルリラも妊娠の兆しが現れたそうだ。未だに妊娠の兆しがないマリリアは焦っていた。
神帝は、昼は人の姿だが、夜になると大きく黒い粘液状の姿で、体表には幾つもの触手があり、表面は滑りのある液体に包まれている。最初に見た時は驚いたが、今はその姿を見ると愛おしく感じる。触手に身体中を愛撫された時の快感は忘れられない。マリリアは初めて神帝に出会った時に感動し、その夜に抱かれた時には嬉しさで胸が張り裂けそうになった。そしてその後も新帝はマリリアの寝室を定期的に訪れ、愛情を注いでくれた。3人同時に愛される夜もあった。しかし自分だけが妊娠できていない。
理由はマリリアの身体に精霊石が未だ馴染んでいない所為だとケララケに指摘された。イェリアナやシルリラは精霊石が身体に馴染み、精霊石が胸の中央で癒着し始めている。ケララケによれば次第に胸の中へと埋まっていくそうだが、そうなるには長い時間が必要だという事だった。しかしマリリアの精霊石がそうなる気配はない。ペンダントの紐で首からぶら下がっているだけだった。
それが自分の体質によるものか、聖者の紋章によるものかは分からない。他の要因もあり得る。周囲に誰もいない筈の時にふと何かの気配を感じる事があり、その気配を感じた時に家族やジュードの顔を思い出してしまう。なぜ今頃になって...思い出してしまう点も精霊石が馴染まない理由の1つかも知れない。
最近では神帝に明らかに避けられている。マリリアは自分の身体が精霊石が馴染んでいない為だと思っていた。神帝はハルザンドにいる事が多く、マリリアのいるジョルジアに来るのは建設中の帝都を視察する時だけ。しかも来たとしても僅かな期間で、その僅かの期間に神帝は王宮の侍女達と閨を共にする事が多くなった。そんな時はマリリアは自分の寝室で朝まで膝を抱えながら過ごすしかなかった。
神帝と閨を共にした王宮の侍女達は完全に隔離され、王宮の外と連絡を取る事が禁じられている。神帝の秘密が外に漏れる事はないだろう。侍女達は、精霊石を与えられていない為に神帝と夜の姿に恐怖を感じる様で、数回も交われば大抵は気が狂って地下牢送りになる。所詮は神帝の素晴らしさを理解できない者達だ。地下に閉じ込めておけば良い。だが、そんな侍女達でも、もしかすると近いうちに神帝の子を身籠る者が出てくるかも知れない。自分だけ取り残されてしまいそうな、そんな嫌な想像がマリリアの脳裏をよぎる。
このまま身籠る事が出来なければ神帝は自分をどうするだろうか。不安を抱え、ベッドの上に座りながら、マリリアは寝室に神帝が訪れるのを待った。
第六部 完
これで第六部は終わりです。
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