第三十話 魔獣襲来
【登場人物】
フーゲル 深き森の住人 〈識者〉
キキ 深き森に隣接する開拓村の村長 〈愚者〉
スーベニア神聖国の西側辺境の深き森、その森の外れに小さな開拓村があった。元は何もない荒地、キキがそこに生活困窮者や孤児などを集めて数年前から作り始めた開拓村だった。開拓当初はあれもこれも無い状態で、統一教教会からの食料支援でどうにか飢えを凌ぐ状態だったが、昨年からは作物の収穫量が増え、どうにか自立への道筋が見えてきている。荒地の土に森の肥沃な土を混ぜ込んだ効果が出てきたのだろう。この村の作物はヒエやアワなどの雑穀と豆、それと葉野菜や根野菜が少し、その他は周辺の森の恵みで何割かを補っている。できれば麦を作りたいが、その為には更なる人材の確保と農地の拡張が必要だった。
村には住宅や畑があり並び、その周囲を塀と堀がぐるりと囲み、堀には近くの小川から引いた水が満ちている。塀は高さ2メートルほど。辺境の開拓村としては立派すぎる防備だが、これには理由がある。深き森は野獣の宝庫で、だからこそ狩でイノシシやウサギの肉を獲られるのだが、灰色熊などの大型の野獣も生息し、それらが森を抜け出して村を襲う事がある。それを食い止める為の塀と堀で、襲撃があった際には塀内に篭って村人総出で槍や弓矢で応戦する。とは言え野獣の襲撃など稀で、年に何度もある訳ではない。
深き森には識者のフーゲルが住み、キキも一時はフーゲルの従者として同居していたのだが、かつての帝国の侵攻による戦禍を逃れてきた難民が各地に溢れ、その彼らの惨状を見過ごせず、開拓村を作り始めた。キキは今ではこの村にいる事が多く、フーゲルの所へは月一度の頻度で訪ねる程度だった。
「まっ、魔獣だ...魔獣が出たぞ。森から出てこっちに向かってくる。」
この日もキキは村にいて、村人達と共に鍬で畑を耕していた。そこに村の見張り台からの怒声が聞こえた。
「魔獣だと...野獣の見間違いじゃないのか? 一先ず直ぐに門を閉めろ。何人かはついて来てくれ。」
キキはそう指示し、周囲にいた数名と共に武器を持って塀に向った。塀の内側から外を伺うと、多数の魔獣が村へ迫っているのが見えた。
「本当に魔獣じゃないか。それが群れで現れるなんて...」
魔獣とは、黒い体毛に赤い目、形は様々だがいずれも大型で、何らかの理由で魔に魅せられた野獣だと言うが、その真偽は分からない。分かっているのは、生きている者を無差別に襲い、重傷を負っても決して逃げない、そして牙や爪による攻撃が非常に強力だという事だけだった。キキは過去に遭遇した事がある。その魔獣がざっと30匹ほど。魔獣が群れるなど聞いた事はないが、しかし現実に魔獣の群れが村に迫っていた。こんな群れに襲われたら立派な城壁を備えた都市でも無傷では済まないだろう。この数では全滅の恐れさえある。キキはそう感じていた。
「矢は無駄打ちせずに相手を引き付けてから放て。弓や槍に慣れていない男は補助に回れ。分散せずに一匹ずつ確実に仕留めるんだ。女と子供は避難準備。馬に乗れる者は周辺の街へ報せに行け。」
キキは矢継ぎ早にそう指示を出しながら心の中では森に一人で住むフーゲルの事を気にしていた。フーゲルもそれなりに戦える。彼の一族は弓矢の扱いに長けている。しかしフーゲルの紋章は識者で、勇者や剛者のような特別な戦闘力を持たない。これだけの魔獣を相手に出来る筈がなかった。上手く逃げていれば良いが...そう願った。兎にも角にも先ずは自分達が置かれたこの状況を乗り越えねばならない。特別な戦闘力を持たないのは愚者のキキも同じ。フーゲルに習った弓術があるだけだ。キキは先頭の魔獣に狙いを定め弓を強く絞った。
ドカン...
魔獣の何頭かが堀を乗り越えて塀に激突し、激しい衝突音と共に塀が僅かに傾く。灰色熊の襲撃を想定して作った直径30センチ程の丸太を二重に並べた塀が一度の衝突で傾くなど想定していなかった。村人が塀の隙間から槍で魔獣を突き刺すが、致命傷とはなっていない様だった。キキは直ぐさまその手負の魔獣の眼に矢を放って怯ませ、走り寄って近くにいた者から槍を奪って魔獣の脳天に突き立てて仕留めた。魔獣は暫く後にその場に倒れた。これでようやく一匹。
「おぉー、キキさんが魔獣を仕留めたぞ。」
「魔獣を倒すなんて凄い。」
村人の歓声が湧き起こる。だが終わった訳ではない。
「油断するな。喜んでいる暇はないぞ。次が来る。」
ドカン、ドカン
2度3度と魔獣が塀に激突し、またも塀が傾く。塀に激突した魔獣は頭部から血を流しているが、怯む様子はない。
「塀を突破されるな。石でも木材でも何でも良いから塀を支えろ。弓兵は引き続き集中砲火...」
「放った矢が弾かれる。」
「槍も突き刺す事が出来ない。」
「こっちはもう駄目だ。塀が倒れる...」
やや離れた場所で塀を守っていた村人が悲痛な声をあげる。そもそも戦闘経験のある村人は少ない。どうしても戦う意識より恐怖の方が勝ってしまう。
「弱音を吐いてないで手数でどうにかしろ。避難準備を終えた者は反対側から避難開始。」
その後もキキと村人達は何匹かの魔獣を仕留めていったが、魔獣の塀への激突は止められず、とうとう塀の一部が破られ、多くの魔獣が村内に入り込んできた。
「もう村を放棄する。残っている者も逃げろ...」
咄嗟にキキが言えたのはそれだけだった。村内に入り込んだ魔獣の群れは近くに残っていた村人達に突撃し、或いは踏みつけていく。蹂躙された村人達が肉塊へと変えられ、その音が周囲に響く。キキも村内に入り込んできた魔獣に弾き飛ばされ、離れた畑の中に落下した。体のどこかの骨が折れているのだろう。思う様に動かせない。
キキは次第に意識を失った。