第百五十七話 風のように
ハルザンド軍港で寄せ集めの各国国軍を降した後、ジゼルは西方諸国を巡っていた。西方諸国の各国は反連邦の意思を明確にし、国軍を前に出して国内に駐留する連邦軍と対峙していた。兵力も武装も連邦軍が優っている。平野での本格的な戦闘となれば国軍に勝ち目はない。国軍側は王都など主要都市に篭って抵抗を試みている状態だった。連邦から派遣されていた政務官達は拘束される事を恐れて王都を脱出し、その政務官の指示で連邦軍側は主要都市を包囲していた。
そこに一陣の風が吹き、突如として1人の男が現れた。王都とそれに対峙する連邦軍とのちょうど中間、男は連邦軍に向いて立っている。男は光に包まれている。
「あっ、あっ、あれは...」
連邦軍の最前列で立っていた兵士の1人が男を指差しながら震える声を発した。おそらくジュードが帝国と戦う姿を見た事があるのだろう。或いはハルザンド軍港で起きた事を人伝に聞いているのかも知れない。
「ゆっ、勇者だ。勇者が現れたぞ〜〜」
兵士が叫ぶと連邦軍に動揺が広がった。熟年の者達は誰もが知っている。若年層も本や歌劇や、酒場の吟遊詩人の歌や、或いは幼少の頃に親から聞かされた話で知っている。この世界を救った者。誰もが憧れるであろう者。その勇者が目の前に現れたのだ。その状況は連邦軍の後方にいる指揮官や、指揮官に指示を出している政務官にも伝えられた。政務官とて勇者の事は知っている。だが彼は勇者への攻撃を指示した。
何台かの大型弩弓から矢が放たれたが、その矢はジゼルに近付くと消滅した。どうやら命令に従ったのは限られる様だった。その命令に忠実な兵が2射3射と矢を放つが、1射目と同様に矢はジゼルに近付くと消滅した。その度に王都に籠る国軍側では歓声が、連邦軍側ではどよめきが起こる。暫くすると連邦軍から矢が放たれなくなった。
「双方とも武器を収めよ。従わぬ場合は斬る。」
ジゼルの発する声は不思議と周囲に響き渡った。
「無益な戦いをする必要はない。それぞれ3名の代表者を選び、この場に訪れよ。」
ジゼルの呼び掛けに従ってそれぞれ3名の代表者を送り出してきたのは数刻後の夕暮れ時だった。一方は国王と宰相と国軍の指揮官、もう一方は連邦軍の指揮官と副官と縄で縛られた政務官だった。政務官が逃亡を図ろうとしたので拘束したという事だった。ジゼルの前に立たせられた政務官は震え上がってまともに話せそうにない。
「俺はこの国での戦闘を止める為に来た。だがその前に双方の意見を聞きたい。」
そのジゼルの求めに応じて先ずは宰相が状況を説明し始めた。連邦から派遣された政務官が実質的に統治して王家は殆どの権限を失っている事、連邦が要求する税負担が厳しすぎて民が困窮している事、国軍が縮小されて連邦軍の武力に逆らえない事など。これに対して連邦軍の指揮官は国内での反乱が多発して軍の投入が必要なのだと説明したが、合わせて連邦が行ってきた謀略について暴露した。犯罪をでっち上げて敵対的な者を処刑し、かつそれが王家による陰謀だったとし、軍を入れる理由としていた。
「連邦が悪意ある手段で国を支配したという理解で良いんだな。」
「はい、私はそう理解しています。それを主導したのがこの政務官です。私自身も無関係ではありませんので、如何なる罰もお受け致します。」
そう応えた連邦軍の指揮官は真っ直ぐにジゼルを見つめている。望まぬままに政務官の謀略に巻き込まれていたのだろう。罪を白状して今はスッキリとした表情をしていた。
「では謀略に関与した者を拘束し、連邦軍は最小限の部隊を残して解体。解雇された兵士達の再就職先の斡旋まで対応して欲しい。統治権は王家に戻すが、民の生活を守る事が最優先課題だ。民を苦しめる様なら再び俺が介入する。」
ジゼルの提案に政務官を除く5名は頷いた。それからも食事休憩や睡眠を挟んで協議は続き、途中からは実務者も加えて、5日後に全ての話し合いが終わった。一部の統治機構の引き継ぎが既に始まっている。ジゼルは初日に示した提案内容通りに進められる事を確認する為に全ての話し合いが終わるまでその場に留まっていた。
「後の事は頼む。さらばだ。」
ジゼルがそう言い終わると代表者達が立っていた場所を強い風が吹き抜け、その風が止んだ時にはジゼルの姿はなかった。残された者達は唖然としていたが、暫く後に正気に戻り、己の役割を果たすべくそれぞれの持ち場へと戻って行った。
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それからもジゼルは西方諸国を巡り、全ての国で王家の統治権の復旧と連邦軍の解体を進めた。既に戦闘が始まっている場合は仲裁し、戦闘を継続しようとする者がいれば躊躇なく勇者の力を振るった。民衆が反乱を起こしている場合も同様だった。風の様に現れて風の様に去っていくジゼルの姿は人々の記憶に強く残った。