第百五十三話 ハルザンド攻略
ハルザンドの旧王都ではこの地の統治を任されているフーゲルが今後の対応を考えていた。2度にわたる北大陸への大掛かりな侵攻は失敗に終わり、逆に今では連邦海軍の軍港が相手に抑えられている。勇者が出てきている事は報告されているが、2度目の侵攻の際に勇者が見せたという翼を広げて浮かび上がった姿は、逃げ帰った兵の話が本当であれば、識者であり過去の膨大な記憶を持つフーゲルでも見た事はない。
いや正確には、識者の精霊がシャムとしてジュードに協力していた時に妖精族の神装具を使ってジュードが飛翔しているのを知っており、それに近い気はするが、今の勇者が精霊の助けを受けているとは考えられず、なぜ浮かび上がれたのか理解出来なかった。
イェルヴェが智者、キースが愚者、自分が識者、ヴァイブが怯者。それに王者と賢者と剛者の精霊はキースとヴァイブが精霊石に封じ込めて、そのうち賢者の精霊石は手元にある。残りは勇者と聖者と隠者の3人。勇者と隠者がいる事は把握している。精霊石に封じ込めた精霊以外に存在する可能性としては、前回の聖者であったマリリア、それにクリスに討たれた怯者のヴァイブであるが、死亡した際に精霊は神界へと戻っている筈だった。つまり現在の勇者は精霊の助けを受けていない。
「勇者が新たな力を獲得しているのか?」
フーゲルは呟いた。この時点でフーゲル達はジゼルが神格を得ている事を知らない。かつてのジュードが持っていた力の延長線上で考えている。北の大陸にいる神々や、その力を奪ったアゼルヴェードと同様に普通の攻撃が通じない事まで予想出来ていなかった。統一教のクリスがヴァイブを討った時と同じ様に飽和攻撃を仕掛ければ倒せる筈だ、それがフーゲルの認識だった。
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フーゲルが軍を率いてハルザンド軍港に迫ったのは凡そ2ヶ月後だった。キースはカーマインで発生している反連邦の武装組織を討伐、イェルヴェは各国の調整で忙しくしている。率いている軍も一般的な兵だけで構成されている。2度にわたる北大陸への大規模侵攻で多くの兵を失い、どうにか近隣からかき集めた兵達だった。それでも1万を超す兵を集められたのは、イェルヴェが各国に対してかなり無茶な要求をした結果だった。練度も連携も不十分。だが、これだけの兵で囲めば何とかなるだろう。
「軍港の出入口に1人の男が立っています。軍港内部の様子を直接確認できておりませんが、外から見た限りでは、それ以外に兵の気配がありません。如何致しましょうか?」
軍港の調査のために放った斥候が知らせてきた。
「しまった。奴等は我が軍をハルザンドに引き付けている間に他国を攻めるつもりだ。」
フーゲルのこの予想はあながち誤りではない。確かにクリスが率いる兵達、それにテラスゴとゴードは、既に大型船でハルザンド軍港を出航し、ハルザンドの反対側にある大陸南部の旧スーベニアへと向かっている。軍港に残っているのはジゼルのみ。だが、これは陽動ではない。ジゼル1人でフーゲルが率いる連邦軍を相手にするつもりだった。
「直ぐに周辺国へ注意喚起の伝令を出せ。残りは...」
フーゲルが指示を出そうとしている時、もう1人の斥候が血相を変えてフーゲルのいる陣幕へと駆け込んできた。
「しっ、指揮官殿。ぐっ、軍港前に立っていた男がもの凄い速さでこちらに向かっています。多連装砲や大型弩弓で牽制しましたが効果がありません。あっ、あっ、あの姿は...あの姿は...」
「落ち着け。男一人がどうしたというのだ。」
「勇者...勇者です。間違いありません。」
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フーゲルが斥候からの報告を聞いている頃、ジゼルは既に連邦軍の一部と戦闘を開始していた。とは言え、ここに居る連邦軍にはジゼルに有効な武器などない。ジゼルから放たれる強烈な衝撃波に押されるだけだった。至近距離で放たれる矢もジゼルに達する前に奇術の様に消滅してしまっている。
「連邦は多くの罪もない人々を殺した。お前達の中にも北の大陸への侵攻に参加した者がいる筈だ。多くの者が死んだ。北の大陸に住む彼等が何の罪を犯したというのだ。スーベニアでも、アルムヘイグでも大勢が殺され、今や大陸全土が連邦に強制的に従わされている。それがお前達にとっての正義なのか。お前達は本当にそうしたかったのか。誰を守るべきで、誰を倒すべきなのか、自分自身でよく考えろ。」
ジゼルは叫びながら尚も連邦軍の中央へと進む。不思議と彼の声は周囲に響き渡った。
「武器を納めろ。ここでの戦闘に意味などない。」
ジゼルは叫び続けた。その叫びを聞いて武器を兵達が次々と武器を放棄していった。
数刻後、ジゼルの前に指揮官クラスが整然と並んでいた。彼等は近隣の国々から集められた各国国軍を率いてきた者達で、連邦の正規軍ではない。かつてアゼルヴェードの支配から自国を解放してくれた勇者への信仰に近い憧れを抱いている。また連邦の各国への圧政に不満を持つ者達でもあった。彼等は率先して配下の兵達に武装解除を命じ、同時に連邦から派遣されていた正規兵達を捕えていたが、不利を悟ったフーゲルは極小数の部下を伴っていち早く逃げ出していた。
フーゲルは共に脱出した部下にハルザンドで起きた事を報告せよと命じて先行させたが、彼自身は連邦の中央政庁のある都市への道中で行方を晦まし、それ以降は誰も彼の足取りをつかめなかった。