9.現状維持でいい
「はぁ……ようやく終わった。これで二階層、か」
「ルイさんって体力ないのね。でも安心して。第三階層は楽だから」
アイテムを拾うルイはもうすでにヘロヘロだ。
溜め息を吐き、ゴブリンが作ったやぐらに腰かけている。まだ第二階層だというのに情けない。Eランクダンジョンでこの調子では外の魔物と遭遇したら簡単にやられてしまう。
ダンジョンに潜ったことがあるという話もちょろっと中を覗いたくらいなのだろう。日常生活を送る上ではダンジョンに潜った経験があろうとなかろうとどちらでもいいので、見栄なんて張らなくてもいいのに……。
子供っぽいところもあるのだと思いながら、持ち込んだ水筒を彼に渡す。ルイはペコリと頭を下げてから、遠慮なく水筒に口を付けた。やはり喉が渇いていたようだ。喉の潤いを取り戻した後、小さく息を吐く。
「参考までに聞きたいんだが、三階層にはどんな魔物が出るんだ? 服装を含めて教えてほしい」
「オークと蜂。オークは帽子を被っているだけのが多いんだけど、一体だけゴブリンのおしゃれリーダーと方向性が違うのがいて、貴族みたいな感じ。でも服が完成するまで人前に出たくないのか、あんまり見かけることはないけど」
「貴族?」
「すごくシュッとしてて、林檎に強く執着してる。まぁあの林檎、食べられたものじゃないんだけど。傷をつけようとすると蜂と一緒にすごい怒り出す」
貴族風のオークは二年半ほど前から目撃するようになった。
腰布や帽子だけのゴブリンとは違い、こちらは夜会にいてもおかしくない出で立ちである。顔立ちもオークとは思えないほどシュッとしており、夜会に混ざっていたら人間と見間違えそうなほど。
おしゃれなゴブリンの目撃から期間が空いたのは、縫製技術が育つまで待っていたのだろう。納得できる服が完成し、満を持して出てきた、と。
といっても見た目だけの問題で、使用する言語は魔物のそれであり、人をみるやいなや襲い掛かってくるのだが。林檎に近づこうとするとさらに凶暴性が上がる。
そんなに大事そうに守られていると味の方も気になるもので、一度食べたことがある。だがとても食べられたものではなかった。一口かじった時点で摩訶不思議な味が口いっぱいに広がる。さすがのクラリスも加工してまで食べようとは思わなかった。
以降、オークと蜂を討伐してからも林檎の実には手を出していない。だが木の方には使い道がある。
「一体ずつ倒してもいいんだけど、量が多いから第三階層はこれを使うの」
「それは?」
「睡眠剤。林檎自体は食べられないけど、樹液がこれの材料になるの。だから魔物を一掃し終わったら枝を切って樹液を確保するまでがセット」
手で枝を折ると、そこから樹液が垂れてくるのだ。垂れた樹液は木の根元に生えている草と、蜂の魔物がドロップさせる針と一緒に瓶に入れる。三日ほど放置すると高濃度の睡眠剤の出来上がりだ。これを錬金術でボール状にし、十個ほどマジックバッグに入れている。
第三階層で使用することがほとんどだが、一部を除いて他の階層の魔物にも効果がある。外の魔物に試したことはない。ダンジョンのように空気の逃げ場の少ない場所ならともかく、開けた場所ならどこまで効果が及ぶか想像がつかないからだ。
三個ほど取り出してポケットに入れていると、またもやルイが変なことを言い出した。
「その林檎の木ってトレントじゃ」
「そんなのじゃないわよ。顔もなければ動かないし」
「いや、必ずしも顔があって動くわけじゃない」
「そうなの? でも林檎の木はダンジョンができた時からあったみたいだし、災害級の魔物なんていたらさすがに気づくでしょ」
「ダンジョンそのものや魔物が内部で進化することはごく稀にある。審査をやり直し、その木がトレントだと発覚すればSランク、いや、SSランクとして認定されるはずだ。そうでなくともこのダンジョンに出現する魔物はおかしすぎる。Eランクのダンジョンにいるレベルの魔物ではない」
「我が家にはそんなお金ありません」
「金なら俺が!」
「いらない。今も特に困ってないし」
SランクまでいかずともせめてDランクに認定されれば、少しは冒険者も来てくれるかもしれない。
だがベルン領には冒険者を迎え入れられる施設がない。発生直後にDランクとして認めてもらえていれば、多少借金を重ねても冒険者向けの宿なりアイテムショップなりを作ったことだろう。
だが今となっては難しい。エドガーのおかげで借金はほとんどなくなったとはいえ、ベルン家には多額の借金をしたという記録が残っている。国からの援助は大して期待できず、先行投資を行ったところでプラスになる保証はない。
アイテムショップはともかく、宿屋なんて外から来てくれる人が皆無な状況では必要ないのだ。
誰かが来てくれるかも、と期待して投資した直後に失敗を味わうくらいだったら、現状維持が無難である。
祖父がクラリスにダンジョン管理を任せたように、クラリスが死ぬ前に次世代に受け継げばいいのだ。