7.クラリスとウサギ
「『祝福の御子』の衝動に負けて錬金ニンジンにとびかかった俺に、ノータイムで魔法を放った男だからな。クラリスの作った野菜を死守する姿勢は並大抵の男ではマネできまい」
「魔法、ぶつけたの? 人相手に?」
「今思い出してもあの魔法はすごかった」
ルイ曰く、『祝福の御子』は神から特別な力を与えられる代わりに好物には逆らえないのだそう。当然のごとく大問題になったようだが、現場を見ていないクラリスでも納得の流れである。
「エドガーの目は忘れもしない。俺はもちろん、多くの貴族達が胸を打たれたものだ。あの一件で、地方貴族のほとんどがエドガーの味方となったな」
エドガーの野菜を死守する姿勢が農業に関わっている者の胸に響いたのだろう。
それはつまり『祝福の御子』を野菜泥棒や害獣と同列に認識しているということなのだが、農家にとって敵は敵。知能がある分、厄介であるくらいの違いしかないのだろう。
そう考えるとクラリスもエドガーと同じ立場に立たされた時、同じことをしてしまうかもしれない。
「でもよくそこから仲良くなれたわね?」
「毎日誠心誠意謝ったら許してくれた」
けろっとした顔で教えてくれるが、エドガーのことだ。ただで許したとは考えづらい。その後もひと悶着ふた悶着くらいはあったことだろう。だがそれがあったからこそ、あの兄が心を許すまでとなったとも言える。
人付き合いの上手いセドリックとは違い、癖が強いエドガーのことは常日頃から心配だったが、案外社交界でも上手くやっているのかもしれない。貴族全体で見た時に多少浮いていたとしても、有事の際に手を取り合う地方貴族の輪の中に馴染めているのであれば問題ない。
よかったよかったと頷いていると、ルイが慌てたように付け足した。
「あ、今では錬金ニンジンを分けてもらう仲だぞ。ちゃんと仲良しだからな」
「ダンジョンに案内するように言うくらいだもの。そこは疑ってない」
「そうか。よかった。……俺からも一つ聞いていいか?」
「私で答えられることなら」
「君はウサギが好きか?」
「は?」
「いや、先に聞くべきではあったんだが、ウサギが苦手な可能性があるなと。それに君はよく俺の耳を見ているようだが、人にウサギ耳が付いた状態が受け入れられないということも!」
「あー、いや、苦手というわけではなくて……その」
その点を指摘されると思っておらず、クラリスは言いよどんでしまう。するとルイは何かを勘違いしたように眉を下げた。一緒に長い耳もぺったりとしている。
「やはりウサギ耳が付いた男は嫌か……?」
「あなたが、昔拾ったウサギに似ていたから」
まだ幼い時の話である。裏山で薬草採取を行った帰りに大怪我をしたウサギを見つけたのだ。
当時のクラリスはちょうどダンジョンに慣れ始めた頃で、自分の力を過信していた。ダンジョンの内外では勝手がまるで違うことにも気づかず、鍬を振り回した。
ダンジョン内では楽々倒せていたゴブリンは外ではかなりの強さを持つ魔物で、何度も殺し損ねてはダメージを食らった。鍬も早々に刃こぼれしてしまったせいで、いつもよりダメージの入りが悪かったのもよく覚えている。
幸いにも小さな群れで、クラリス単独でも勝利を勝ち取ることはできた。ただし途中で受けた毒矢でかなり体力が消耗していた。すぐそこだからと回復系のアイテムを一切持たずに出てきたのも悪かった。
これがもしダンジョン内であれば、死んでも復活するだけ。だがここはダンジョンの外。創造神の加護には期待できず、血の匂いに誘われた魔物に襲撃されたら一巻の終わりである。
痛む足を引きずりながら、ウサギを抱えて山を下りる。ウサギを置いていけばもっと早く歩けたかもしれない。だが親とはぐれ、寂しそうに声を上げる子を置いていくことなんてできなかった。
この子は自分の手で育てる――そんな強い思いがクラリスを動かした。
採取したばかりの薬草をハンカチで包み、地面にこすりつけてからウサギの身体に巻き付けた。本当はちゃんとすり潰した方がいいのだが、調合道具も体力もなかった。
といっても心配した祖父が来てくれなければ、クラリスの命もどうなっていたか分からない。
『クラリス!』
祖父の顔を見て安心したクラリスは意識を手放した。
自室で目を覚ました時、そのウサギの姿はなかった。祖父がクラリスをおぶっている間に逃げてしまったそうだ。凄まじいスピードだったそうで、いかに速かったかを熱弁する祖父を見ていたら、寂しさよりも安堵が勝った。
ウサギの袋を作ったのはそれからしばらく経ってからのことだ。
クラリスのウサギ好きはそこから始まった。同時にダンジョンの外で魔物と遭遇したら可能な限り逃げる、ということも覚えた。それこそ祖父から逃げたウサギのように。袋は教訓の意味もある。
紫色のリボンが気に入っているのも、この時のウサギの毛が紫がかっているように見えたから。祖父から『ライラック』と呼ばれる色と教えてもらってからは、紫色を好むようになった。マジックバッグが紫なのも同じ理由だ。