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好きな子に告白したら制服が汚れた


「好きです、付き合ってください」

 

 喉を鳴らす。

 高畑裕太は、足を子鹿のように震わせながらそう言った。

 校舎裏。告白場としてはド定番かつ無難なシチュエーション。人目がつかず、二人の世界を演出するには最適解と言える場所。

 この場所を選んだのは高畑であり、彼女を呼び出したのも、また高畑であった。

 それもこれも、彼女に愛の告白を伝えるために。

 


 高畑裕太は恋をした。


 きっかけはクラスの調理実習。

 同じ班になった彼女がうなじを晒していたのだ。それも、普段下ろしている髪を結った上で、だ。

 ここだけの話、首の後ろにはほくろがあった。

 それはそれは、高畑のハートを貫くには十分であった。


 この段階で既に落ちていたのだが、トドメとばかりに、口元についていた米粒を笑いながら指摘された。


 もうダメだった。

 この子と結婚生活を送りたいと思った。

 その場に婚約指輪が置いてあったのならば、即座に膝をつき、手渡していただろう。

 

 高畑は思う。自分はチョロい、と。


 恋焦がれて苦節二ヶ月ほど。

 クラスで四番目くらいに人気の彼女のことなので、早く告白しなければと思った。

 そうとなれば。決行を決意したその日に恋文をしたためて、靴箱に突っ込んだ。

 行動は早い方が良い、と誰かが言っていた。


 しかし、本当に来てくれるとは思っていなかった。

 勢いに身を任せたとは言え不安はある。彼女を待っている間は、翌朝まで一人で立っていることになるのでは、と忙しなく歩き回っていたほどだ。

 「狭量だね」だとか「器が小さいんだ」などと恋愛相談に乗ってくれていた幼馴染に背中を突つかれそうなものである。

 無意識だったのでどうしようもない、とだけ言っておく。それも言い訳にしかならないが。

 


 高畑のファム・ファタールこと、彼女の名前は早川朱美。背中まで伸ばした茶髪が夕陽に照らされて、光の輪を作っていた。

 うん、好きだ。

 

 不意に。校舎裏に、一陣の風が入り込んで体を震わせた。

 季節は秋。

 時間は夕暮れ。

 となれば、こういう風も吹く。

 目の前にいる早川も同様に寒さを感じたらしく、高畑が差し出した手から目線を逸らして、右手を左腕に添えた。

 なんとも間の悪い風であ――。

 

「ごめんなさい。そういうのはちょっと考えられない」

 

 茶髪の彼女は、そう言った。

 

 ――――。

 

 ――――――――。

 

 ――――――――――――。

 

 絶望感で目の前が歪んだ。

 真っ暗な足元が崖の先に落ちて走馬灯が頭に浮かぶ。

 

 調理実習のとき、下手な包丁さばきを見て助けてくれた早川。

 プリントを回すときに必ずこちらを振り返ってくれた早川。

 落ちた消しゴムを拾ってくれた早川。

 朝、下駄箱で出会ったときに挨拶をしたら、笑顔で返してくれた早川。

 背筋が綺麗な早川。目元のほくろが可愛い早川。靴下が短い早川。運動が得意な早川。二の腕についた日焼けの跡を気にしている早川。

 その全てが瓦解する音。

 二ヶ月という淡い恋の地盤は雨に濡れた土のように脆く、容易く崩れ去ってしまう。ジェンガのように儚い、一つの終わり。


 早川が何事かを口にして、振り返ろうとする。

 嫌だ。

 待ってほしい。

 これを現実と消化するには衝撃が強すぎる。覚悟が出来ていなかったとも言う。

 しかし、今しかないと思ったのだ。


 何か、何か。彼女の気を引ける何かを......!

 突然、頭の片隅にいた幼馴染が顔を出す。

 オーケー!それを言えばいいんだな!?

 

「な、なら、何か欲しいものとかある? 駅前のスイーツとか――」


「最低だね、高畑。人を物で釣ろうとしてるの? 消えればいいのに。どうかと思う」


 追い縋るように口にすれば、目の前の彼女の眉根が締めつけるように寄せられた。


「それと、この手紙の内容キモいから」


「え」


「もう行くから。あと私、彼氏いるし」


「............え」


 遠ざかる靴音。

 淡い恋心はしゃぼん玉が弾けるように、薄い膜で出来ていた。

 押し付けられた手紙が胸元からズレ落ち、乾いた土に伏せる。

 儚い。実に儚い。


 恋心が硝子で出来ていたのならば、それはドでかい隕石の下敷きとなり、あらんかぎりの破壊を受けただろう。

 粉々粉砕。

 かき集めても砂にしかならない再生不可能な世界の塵。ゴミ。


 早川、彼氏いたんだ。

 

 顔を出した透明な雫が頬を伝いそうになって、鼻で必死に堪える。

 耳がキーンと甲高い音を残してくぐもる。誰だ?耳元でクラッカー鳴らしたやつ。出てこいよ。

 地面が湿る。なるほど、今日は雨らしい。

 雨は嫌いだ。鼻息を荒くして目元を擦る。


「............早川、彼氏、いたんだ」


 噛み締めるように口にする。

 徐々に、その事実が現実であると脳が理解していく。

 二ヶ月間という短い恋はここで幕閉じたらしい。


「彼氏、いたんだ......」


「うん、そうみたいだね!」


「いるって知ってたら告白なん――」


 違和感に気が付いて口を止めた。ありえないはずの相槌。


「......櫻本?」


「うん。そこは昔みたいにさくちゃんって呼んで欲しいかな?」


 横でこちらの顔を窺うように小ジャンプする人間を認識する。傷心中の高畑に声をかけるのは櫻本矢束。高畑の唯一の幼馴染――。


 に、拳を繰り出した。

 

「さ・く・ら・も・とーーーーッ!!」

「もう! 怖い顔だなあ」


 が、彼女の蝶のように身軽な体はそれを華麗に回避。

 放った拳は空を切って、高畑がよろめくだけに留まった。


「大人しく当たれ!」

「こらこら。私、女の子だよ? 暴力よくないなー」


 そう言ってセミロングの黒髪を指先で巻いて、唇を尖らせる。つぶらな黒瞳を繊細な睫毛で伏せて、こちらの責を訴えているようだ。


 その女の子とやらが、男の全力拳を余裕綽々で避けていたのは幻覚か?この拳が掴んだのは空気だったが?

 

「お前を女子だと思ったことなんてねえよ」


「えーどうして?このプリティーフェイスが見えないの?」


「黒焦げ料理に汚部屋、果てには子供のころはガキ大将なんかやってただろうが。胸に手を当ててよーく考えろ。その子分のうちの一人が俺だ。生き証人がいてよかったな櫻本」


「っはーーーーーー!ひどい!過去を掘り返すなんて!乙女心が傷ついた!責任問題だ!責任取って!」


「取らねーよ!」

 

 こちらのペースを崩すように飄々と言葉を連ねるが、今回の告白において戦犯だったのはこの少女である。


 なぜならば――。


「おい、お前がアドバイスくれた恋文がキモかったとか言ってたぞ!? あと女子が言われて喜ぶ言葉ベストスリーの言葉も反応悪いし!」


 何を隠そう早川にしたためた恋文とは、櫻本のアドバイスを大いに取り入れた最高傑作。

 加えて、最後の最後でGを見るような目で睨みつけられた台詞は櫻本が考えたものだ。


 高畑は、恋をどうやって表現すればいいのか分からない。恋愛初心者だと言ってもいいだろう。ゆえに、不動たる正解が欲しかった。


 そこで相談したのがこのポンコツ相談窓口なわけだが。色々と裏目に出てしまった気がする。

 

「ぷぷ。私はただ早川さんの魅力的に思ってるところをとにかく書きまくればいいって言っただけだよ? それの何が悪いの? 私なら嬉しいけど早川さんにとってはそうじゃなかったみたいだね。けど、元々そんな私の意見を欲しがったのはゆーくんだよね? 私が責められるのはおかしくないかな? もっと適任を探せばよかったのにゆーくんが頼ったのは私なんだよ?」


「ゆーくんって呼ぶな! 恋愛ごとなら任せろってあんなに自信満々だったじゃねえか!」


「ぷい。しーらない。ストーカー思考なのが悪いんじゃない?」


 ならおかしいと思った段階で指摘してくれ。


 なぜだろう。

 騙されたのはこちらのはずなのに、なぜか責任を丸々押し付けられているような。

 これは頼った自分が悪いのだろうか、いやしかし教える際の前提条件を違えていたのは向こうの方ではあるし、少しは罪悪感を持ってほしい。


 それも、彼女の態度を見るに難しそうだと思うのは過去の積み重ねか。


「いい」


「......へ?」


「もうお前には頼んねえよ」


 ため息を吐いて、跳ねるように口を滑らせる櫻本の横を通り抜ける。と、丸々と目を見開いた櫻本が視界の中に滑り込む。

 

「え、恋愛相談はもういらないってこと? それじゃあもう女の子に好かれないかもしれないんだよ? それでいいの?」


「いいもなにも、こうして最悪の結果叩き出すくらいなら俺だけでケリつけた方が櫻本だって楽だろ」


 また恋愛相談をしたとして、似たようなことを繰り返せば彼女に憤ってしまうはずだ。

 しかしそれはおかしい。

 彼女の言う通り、高畑にも頼んだ責任というのも少なからずあるのだから。

 こちらとて全責任を押し付けて謝罪をしてもらいたいわけじゃない。


 加えて言えば、恋愛相談を続ける気はシャボン玉と共に消えた。

 結果はもう出たからだ。

 他人の幸せに割り込むほど野暮ではないし、出た結果に対して云々言える立場でもなく。


 そんなことを含ませながら口にすれば、櫻本の顔が地面に向いていく。

 

「だから、さくちゃんだって。でも、でもさ」


「んだよ。明日から恋文キモ男(こいぶみきもお)として生きてく俺に、なに?」


「う......」


「ああ、そう。手伝ってくれてありがとう。これでお前と話すことはねえだろ」


 これでいいはずだ。櫻本も責められるよりはサラッと流してくれた方が嬉しいに決まっている。


 言葉にしない気遣いをこれでもかと隠し、彼女を置いて去ろうとして。

 

「......み」


「え? ......お前身長高くないんだから、俯いてたら声聞こえないって」


 自分よりも20センチほど小さい櫻本を見下ろして首を傾げる。

 昔は櫻本の方が身長が高かった。中学生になってからは成長期の高畑に追い越されてしまったが、それでも昔は彼女の方が上で高畑が下だった。

 その事実は変わらない。


 ガキ大将とその子分であった関係が変わったのは中学生の頃。

 元々可愛い顔立ちの櫻本は、周囲から持て囃されて次第に疎遠になっていった。ガキ大将はクラスの中心へ。

 それは高校生になっても変わらず、こうして恋愛相談の為にと話していたのも年単位ぶりだ。


 なので当時、早川に恋をしていた時に声をかけられたときは驚いた。

 なぜなら、櫻本は既に遠い人間だったから。

 しかし、そんな細い糸のような関係もこれで終わりだ。

 彼女はまたクラスの中心でキラキラとした生活を送り、高畑という男は平凡な生活を送るのだろう。


 櫻本の旋毛を見下ろす。


 微かに震えているような頭を見て、もう一度首を傾げ――。

 

「――み"、み"す"て"な"い"で"ぇ"ぇ"」


「うお!?」


 突如、胴体に突進されて大きくよろめく。

 彼女の名誉のために言わせて貰えば、彼女が重たいからとかではない。重心がしっかりしているのだろう。


 なぜ。

 自分を地面に転がすつもりだったのだろうか。


 目を点にして慌てていれば、顔中からあらゆる体液を放出して、愛らしい顔を混沌に仕上げた櫻本が胸元にいた。


 わんわんと子どもみたいに泣いて、後ろに回された腕が高畑の体を締め上げ、骨を軋ませる。


「な、なあ。どうしたんだよ、櫻本。別に俺、見捨てたわけじゃ――」


 ――口にしかけた言葉は彼女の唇に吸い込まれる。


 マシュマロに触れたような柔らかい感触。


 ――それから、鼻水がベチャリ。


 色気も雰囲気もへったくれもなかったマウストゥーマウスに、破裂しそうな脳が救われた。

 

「ふぅ、う、うわああああん!! ひっぐ、うう……全"部"全"部"ゆ"ー"ぐ"ん"が"私"以"外"を"好"ぎ"っ"て"言"う"が"ら"い"げ"な"い"の"!" ズビッ」


「――っておいバカ! それ俺の制服! ティッシュはこっち! やめろ!」


「う"、う! だってだって、一番ずっとゆーくんのこと見てたの私だもん! ねえ! 養うから! 絶対ゆーくん幸せにするから! 私のものになって! 私のじゃなきゃ嫌!」


「おま......」


 これは、高畑の勘違いなんかじゃなければ、おそらく――。

 

「じゅ、じゅきぃ......」


 と、真剣に考える前に答えが置かれる。

 ポスン、と胸元に柔らかい衝撃を受けて、点Pこと高畑の目は目まぐるしく動く。


 何が何だか分からない。急展開にも程がある。恋を追いかけていたら、実は更にその恋を追いかけていた子がいただなんて。


 なぜ、櫻本は高畑のことを好きだと言ったのだろうか。

 それっぽいエピソードを思い起こしても、特に見当たらない。強いて言うなら幼稚園の頃合に結婚の約束をした程度か。

 しかしそれも忘れているはずだし、一体何が彼女をここまで泣き喚かせたのか。

 やはり見当がつかない。

 

「はあ」

「絶対、絶対離さない。地の果てまで追いかけてミクロサイズになっても捕まえてやる」

「なかなかすごいぞ、それ」


 文字通り、涙目でこちらを見上げた櫻本。

 半ば睨みつけるようにこちらを見つめたあと、鼻水やら涙やら、グチャグチャになった顔を制服に擦り付けた。

 ハチャメチャである。





 ここだけの話。ちらりと見えた桃色の唇に、耳が熱くなった。

 



高畑は、チョロい。

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