原精色
セキトたちの前に現れたのは、横転した荷馬車とその前に佇む一人の男。
――長身で大柄の男だ。
腕や足は丸太の様に太く、腹は出っ張っている。
着ている羽織袴は色褪せ、毛玉もできており、全然洗濯していないのか見る者に不衛生な印象を与えさせる様相だ。
草履は履いておらず、大きな足で地に足付く姿は、まるで根を張る大樹がごとし。
そして最も目を引くのが、まるで模様の様に体に刻まれた数々の傷跡。見るものに恐怖を抱かせる程の嫌な威圧感だ。
「行商人が襲われたというのは正解でしたが、襲っていたのはどうやら盗賊のようです」
「ああ、そのようだな」
セキトたちが近づいていくと、大男もこちらへ気が付いた。
「こんな所でガキが三人何してんだぁ? 警戒してるようだが大したもん持ってねぇお前らには用はねぇよ。さっさと通りな」
品性のない声で大男は言い、道を譲るように、一歩右へどけた。
行商人以外興味はないといった雰囲気を醸し出している。
だが、セキトの目は見抜いていた。
――大男が言った『興味はない』という言葉は真っ赤な嘘であり、既に大男はいつでも攻撃できる臨戦態勢であることに。
わざと罠に掛かったふりをして、不意打ちを決めることも考えるが、相手の手札が読めない以上リスクが高い。
ここは見に徹して、相手の手札を伺う。
――それから両者動かずの時間が流れた。
「がはは! ただの馬鹿ではないらしいなぁ。しかもなんだぁその目は、明らかに普通の子供の目じゃねぇ」
沈黙を破ったのは大男の低俗な笑い声だ。
「なぁおい、お前ら『原精色』って知ってるかぁ?」
「……なんだそれ?」
突然大男が発した『原精色』という単語に、セキトは問い返した。
「がはは! 知らねぇか……。ならば教えてやる『原精色』ってのはなぁ、人に流れる原精、その属性のことだぁ。この属性ってのも千差万別でよぉ、有名なのはぁ火や水だがぁ、人によって違い過ぎて当てにならねぇ」
「どうしてそんな事を俺に説明する」
大男は一度目を閉じると口角を吊り上げた。
「そりゃ、何もわからずにぼっこぼこにされるお前たちが、不憫で仕方がねぇから教えてやってんのさぁ。少しでも長生きしたけりゃ最後まで俺様の話を聞きなぁ」
セキトは無言で話の続きを促す。
「賢明な判断だぁ、賢いガキは嫌いじゃねぇぜぇ」
大男はそう言うと、自身の足のすそをまくる。
「授業の続きだぁ。この『原精色』ってのがなんであれぇ、体の内側を流れている間は何の効果もねぇ。だがなぁ、人の『原精』を体外に流せばどうなるか――」
大男は相撲取りの四股の様に右足を上げる。
「――原精色ぅ、『蛇土流』‼」
掛け声と共に、大男は右足を地面へ叩きつけた。
その瞬間、大男の右足に高濃度の原精が流れ、膝から下の血管が緋色に発光する。
さらに、原精の光の流れは足だけに留まらず、足の裏から地面へと網目状に広がった。
それと同時、大男の近くの地面が――一平方メートル程の正方形の形に隆起する。それは大男の足に流れる色と同じ緋色の原精が流れていた。
「――なっ⁉」
隆起した長大な土の塊は蛇の様にうねりながら、驚愕に目を見開くセキトの元へ、高速で迫る。
――着弾、土の大質量により土埃が舞い上がる。
「――今のを所見で躱すか、やるじゃねぇかガキぃ」
土埃が晴れた跡には砂を被った、だが無傷のセキトが立っていた。
ごほごほと咳き込み、ぺっと口に入った砂を吐き捨てる。
「ヒヨリ下がれ、ツボミはヒヨリを護れ。おそらくあいつには仲間がいる。頭はあいつのようだからあとは有象無象だと思うが、森からの不意打ちに気をつけろ。俺はあいつを叩く」
「はい、気を付けてくださいセキト」
「ん!」
このまま戦えばヒヨリを巻き込むと判断し下がらせる。
大男はヒヨリが下がるのを律儀に待っているようだ。
「後ろの二人は女かぁ? 今日はついてるなぁ」
「どうだろうな、もしかしたら厄日かもしれないぞ」
大男がヒヨリを見逃したのは価値を落とさないためだと察しがついた。
おそらく売るか弄ぶかするのだろう。
「がはは! 俺様の名はゼンエイだぁ。お前気に入ったぞぉ、連れの女を差し出して俺様の子分にならねぇか? 頭が切れるようだからぁ俺様の一個下に置いてやってもいいぞ」
ゼンエイは上機嫌に笑い、腕を組んだ。
「阿剛のセキトだ、悪いが誘いは断る。俺たちは目的があって旅してるものでな」
「そうかい、ならばぁあの世で後悔することだな」
仁王立ちで動かないゼンエイへと、セキトは近づき右手に山刀を持った。
「お互い正々堂々ってぇ質じゃぁなさそうだがぁ――いざ尋常に勝負といこうかぁ」
「尋常に」
そう言った瞬間、セキトは猛烈な速度で駆けだす。
まず狙うは短期決戦。
「そう来るかぁ、『蛇土流』‼」
ゼンエイが右足で地面を踏み鳴らすと、隆起した蛇土流がセキトの正面から迫る。
セキトは迫る蛇土流をぎりぎりまで引きつけてから右に回避、さらに接近しようとする。
――だが、
「『蛇土流』‼」
今度は左足で地面を踏み鳴らし、セキトの眼前の地面が隆起し始める。
セキトは慌てて後ろへ跳び、下から跳ね上がる蛇土流を回避。だが攻撃はまだ終わっていない――跳ね上がった蛇土流は弧を描きながら、今度は上からセキトの元へ迫る。
セキトはさらに後ろに跳ぶことで回避するが、前から迫っていた蛇土流の崩れた土は舞い上がり、セキトへと降りかかる。
だがセキトは動じない――何せわざと土を被ったのだから。
飛散した土が降りかかる今の状況を逆に捉えれば、ゼンエイからはセキトの様子が見えないということ。
懐から取り出した苦無を、土煙が生み出した完全な死角からゼンエイへと投擲する。
――が、
「その小細工はもう見飽きたわぁ! 『蛇土流』‼」
ゼンエイが地を鳴らすと、ゼンエイのすぐ前の地面が隆起し、苦無からゼンエイを守る盾となった。
――距離を取り一旦の小休憩。
セキトは呼吸を整えながらゼンエイの様子を伺う。
「がはは! いい動きじゃねぇかぁ、完璧に蛇土流の速度に合わせられているなぁおい」
ゼンエイは仁王立ちのままだ。
「だが、攻め手にも欠けているようじゃねぇか? どうするガキ」
不遜に笑いながら楽しそうにセキトの方を見ている。
「そちらこそ、攻め手に欠けてるようだが?」
「言うじゃねぇかガキぃ、遊んでやっている事にも気付かねぇのか? その程度じゃ俺様には勝てねぇぞ、精々足掻くんだなぁ」
ゼンエイはそう言うと、くいくいと挑発する仕草を見せる。
セキトは、はぁと息を吐き、首の骨を鳴らす。
体の力を抜き、脱力した状態から――一気に地を蹴り、ゼンエイへと接近する。
「『蛇土流』‼」
迫りくる幾つもの蛇土流の攻撃、セキトはそれを的確に躱す。
だが、躱しているだけでは遅々として前に進むことはできない。多少のリスクを追ったり、持ちえる手札を切らなければいたずらに体力を消耗するだけだ。
――しかし、セキトは何も手を打たない。ただひたすら攻撃を躱し続け、均衡した状況がいつまでも続く。
――これでいい。
攻めのリスクを取らず、回避に専念する。
『原精色』が体内の原精を体外へ排出することで起こる現象であれば、『原精色』を使えば使う程に体内の原精量は減っていくのは、誰にでも予想ができることだ。
特に、『蛇土流』は大質量を動かす強力な『原精色』だ。一回あたりの消耗は莫大なものになるのでは、とセキトは考えた。
だからこその、遅延。
相手の息切れを待ち、こちらはできるだけ体力や手札を温存する。
それがセキトの作戦だった。
――だが、
「ガキぃ、お前が何を考えているのかぁ、手に取るようにわかるぜぇ」
ゼンエイは不敵な笑みを浮かべる。
「『原精色』はぁ体内の原精を消費する。ばかすか乱発していたらいつか体内の原精は枯渇しぃ、最悪の場合死に至るだろう――だがなぁ! 俺様の『蛇土流』に弱点はないぃ‼」
ゼンエイは高らかに腕を振り上げる。
「何故なら『蛇土流』はあくまで地面へ指向性を与えているだけだぁ。地面が隆起する現象自体は地中の原精によるものでぇ、俺様は全く力を消費していないぃ。がははははは!」
セキトの作戦が崩れ去る絶望的な情報を告げながら、ゼンエイは高らかに笑った。
――作戦の瓦解。
今までの努力が無駄になり、普通なら精神的動揺も少なからずあるだろう。
だが、セキトは意に介することなく蛇土流の奔流を捌く。それどころか、『蛇土流』の燃費が良いと宣言された後でさえ変わらずに、攻めに転ずることなく、ひたすら遅延のような戦闘を続けた。
その様子にゼンエイは首を傾げる。
「俺様の話をはったりと判断したのかぁ、それともぉ余程体力に自信があるのかぁ」
思案するゼンエイだが、変わらない戦闘の様子に段々とテンションが下がっていき、うんざりとした表情になっていた。
「ガキぃもう手札は終いかぁ、残念だよ」
そう言ったゼンエイは地を蹴って跳びあがる。
「原精色ぅ!『蛇土流【散】』‼」
ゼンエイの両足が地に着き、両足から緋色の光が地面へと広がる。
緋色の原精は地面に指向性を与え、セキトの右前方、左前方、そして背後の三か所の地面が同時に隆起した。
通常の蛇土流よりも質量は少ないが、同時に複数から襲い来るそれを、所見で躱すのは難しいだろう。
――が、
「その可能性は考慮済みだ」
セキトが予想していた『蛇土流』から連想される派生攻撃の一つだ。
慌てる事無く前方へステップを踏み、身をひねることで回避する。
――だが、さらに上を行くのは、
「その可能性はぁ考慮済みだぜぇ?」
ゼンエイだった。
セキトが避けた地点――否、そこはゼンエイによって避けさせられた地点。
セキトの足が乗るその地面が、隆起を始める。
「しまっ――‼」
セキトは体への直撃を避ける為、態勢を崩さぬよう足を踏ん張る。
結果、蛇土流の上昇に乗せられ、空中へと打ち上がった。
――『蛇土流【散】』を布石にした一芸。
『蛇土流【散】』を右足で、通常の『蛇土流』を左足で発動することによって完成する、所見では絶対に見破ることのできない罠。
まんまと二重の意味で乗せられたセキトは空中というフィールドに投げ出された。
空中。
それは足場や遮蔽の一切存在しない空間。
遠距離攻撃手段を持つ者の独壇場。
こと対『蛇土流』戦において、最悪の環境であることを両者共に理解している。
セキトはすぐさま、自身を上昇させた蛇土流を蹴ろうとするが、既に蛇土流は崩れ始めてそれは叶わない。
「終いだぁ、『蛇土流【散】』‼」
勝ちを確信したゼンエイは右足を踏み鳴らす。
緋色の原精が地面を流れ、再び三か所から同時に『蛇土流』が隆起を始めた。
――回避できない空中。
――防御不可能な程の質量による攻撃。
絶望的な状況のセキトへ、無慈悲にも蛇土流の挟撃が迫る。