世界儀
「必要ないから後回しにしてた『世界儀』についての授業をはじめる。いいかツボミ、一般的な感覚とはかけ離れた物だから頭を柔らかくして聞けよ」
「ん!」
セキトの言葉を聞いて、正座したツボミは小さな手で自分の頭をわしゃわしゃとこねくり回す。ぴょこぴょこと獣耳が跳ねて実に愛らしい。
セキトたち三人は居間で地球儀のようなものを囲むように座っていた。
ヒヨリが倒れてから三日経ったが、ヒヨリはあっさり回復し、いつも通りの生活を送れるようになっていた。
そして、一見地球儀に見えるその物体はよく見ると、七枚の大きさの異なる円盤が一定の間隔で折り重なって立体の球を形どっていた。
「これは世界をとても小さくした模型だ。折り重なる円盤が地面で、一番上が深層第一層、一番下が深層第七層、昇順に名前が付けられてる。ここまでいいか?」
「……外側……壁?」
ツボミはそう問いながら世界儀の側面に触れて首を傾げた。
「いや、何もないと言われている。実際に見た人は限られるだろうから確証はないけどな」
ツボミは今度は反対の方向に首を傾げて、世界儀の円盤と円盤の間に手を入れた。
「……地面……浮いてる?」
「まあ普通そこ気になるよな。地盤同士の間には岩とかでできた柱がいくつもある。けど物理的に考えて、この柱だけで地盤を支えるのは無理がある。学者の間では原精の属性が地盤ごとに違うことから、原精の集合体同士の反作用で浮いてるって説が主流らしい」
セキトの説明にツボミはなるほどと頷く。
「他に質問はあるか?」
ツボミはふるふると首を振った。
「よし、次は地盤の特徴だ。まず俺たちが居るのがこの深層第四層」
セキトは世界儀の真ん中にある円盤を指差す。
「深層第四層を基準に、下へ行くほど暑くなり、上に行くほど寒くなる。それもかなりの温度変化で、一般人が住めるのは三から五層までだ。一層や七層に至っては竜ぐらいしか住めないらしい。ここまでいいか?」
ツボミは頷く。
「よし、それでここからが本題だ。俺たちはこれから『書斎の魔女』の住む所へ向かう」
セキトは世界儀の上三枚を取り外す。
深層第四層の円盤には地図といくつかの地名が記されていた。
「深層第四層の中心にある一番大きな国が『日の国』だ。他にもいくつか地名が書いてあるが、世界儀に記されるのは阿剛村とは比べ物にならない程大きな国か、伝説の人物が住まう地だけだ。そして、阿剛村があるのがここだ」
セキトは『日の国』の少し北の地点を指差す。
「俺たちが向かうのがここだ」
セキトは指差していた地点からさらに北へ指を滑らせ、円盤の最北『書斎の魔女』と確かに記された地点で指を止めた。
「冒険の計画を立てるなんて夢みたいです。何でしょうこの胸の高鳴りは、癖になってしまいそうです。物語の主人公たちもこんな気持ちを抱いていたのでしょうか?」
ヒヨリもツボミと同じくらい目を輝かせて落ち着かない様子を見せている。普段のおしとやかで知性溢れる佇まいは鳴りを潜めているようだ。
そんなヒヨリを無視して話を進める。
「最短距離を行くならこのままひたすら北上したいところだが――」
セキトは阿剛村と『書斎の魔女』の間にある地点、『竜の噛み跡』と記された、地図上で文字通り竜の噛み跡の様な形状の地点を指差す。
「この『竜の嚙み跡』は深層第四層最大級の、深層第三層へと続く巨大な穴だ。これを越える手段や橋はない。迂回する必要があるが、深層第四層で平面的に迂回するよりも深層第五層か深層第三層を一度通ることで迂回した方が早い」
セキトの言葉に聞き手の二人はさらに目を輝かせた。
「『階層渡り』までするのですね。それまでの事となると、私たちの冒険譚を書き記すことを真剣に考えなければなりません。それで、深層第五層と深層第三層どちらを通るのか決まっているのですか?」
「いや、まだ決めてない、情報が少ないからな。まずは北上しつつ情報を得る。その後上るか下るか判断する」
「そうですね、それもまた味があって楽しめそうです」
そうだなとセキトも頷く。
旅において最も削られるのは精神だ。見知らぬ地で、心休まることはなく、ストレスは貯まる一方。そんな中で、思いのほか旅に対して肯定的で希望を持っている二人に、セキトは内心安堵した。
「それで、出立はいつ頃になりますか?」
「この三日間で旅の準備は整えた。後は村長と話を付けるだけだ――」
セキトは真剣な表情で話を続ける。
「もし、村長との交渉が決裂した時は、最悪の場合阿剛村全体を敵に回す。そうなった時の逃走手段も既に確保しているが、覚悟はしておいてくれ」
二人も理解したようで、しっかりと頷いた。