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災厄の日

 深層第四層、莱竜村。

 浴衣の少年は二つ下の少女の手を引きながら、何かから逃げるように森の猪道を必死に駆けていた。

 後方から地を揺らす程の咆哮が二つ轟く。理性ではなく獣性が警鐘を鳴らし、死を彷彿させるような底冷えする咆哮だ。


 ――『竜』それはあらゆる生物の頂点に君臨し、神とさえ崇められる存在。

 莱竜村に置いてもそれは例外でなく。むしろ、とある一頭の金竜と契約を結んだこの村では、守り神として精神的、物理的な庇護の存在となり、村存続の一助となってきた。

 今までに金竜が退けてきた脅威の数々は無数にある。

 だが、竜種がどれ程強大な存在であっても、例外はある。そして、例外の中でも至極真っ当な一つの事例として、『竜種の相手も竜種であれば、即ち互角である』という事柄がある。

 村民の誰もが一度は想い、そしてそれは解決方法も無ければ、起きる確率も低い無意味な不安だと捨て置いてきた。

 だが、どんなに少ない確率だとしても、村として久遠の時を歩めばいつかは起こるのだ。


 ――この日、空を駆る『竜星群』の内一頭、炎竜が莱竜村へと〝着弾〟。

 炎熱を纏う着地の一撃で村の三分の一を消し飛ばした。


 ――幸運だ、とても運がよかった。ほとんどの村民は事態を把握する間もなく命を落とした。だが、自分は死なず走り続けている。

 そして、生きる為にどこへ進めばいいかも知っている。

 猟師の息子であった自分は数度、父親と共に別の村に行ったことがある。だが、ほぼ全ての村民は村の生活圏から一度も出たことがない。仮に竜から逃れたとしても、行く当てもなく野垂れ死ぬのが落ち。


 少年は生きる道がまだ続いている幸運を嚙み締めつつも、それを取りこぼさないよう必死で頭を回す。

 猟師の父親から自然界での教訓は叩きこまれてきた。まだ未成熟で付け焼刃のそれを、我流で補いつつ森を駆る。

「セキト、少し――」

「ヒヨリ、喋るな。足を前に出すことだけ考えろ!」

 息も絶え絶えなヒヨリの弱音は受け付けない。

 しかし、理解はできる。

 焼かれて乾燥した空気に中てられ、潤む瞳とかさつく唇。呼吸する度無理矢理に鼻を突いてくる、肉の焦げた嫌な臭い。

 そんな最中にあれば、精神と肉体を蝕むのは無理もないことだ。

 セキトが手を取る少女ヒヨリ。炎竜襲来の時、偶然近くにいたヒヨリの手を、セキトは反射的に取り、今に至る。

 現状ヒヨリは完全に足手纏いの為、置いていくという手段も無くはない。

 だが、村長の娘であり、今から行く村の村長と面識のある彼女を連れていく事は、多少の危険を覆す程のプラスの影響があると判断し、何が何でも守り抜くと決断した。


 ――――どれ程の距離を走っただろうか。

 二人の足取りは早歩き程度になっていた。


 竜の咆哮、災禍の喧噪は止んだ。

 しかし今度は虫の奏でる演奏の中でひたすらに変わらない景色。

 もし道を間違えていたら、もし背後を竜に追われていたら、もし木々の影に獣が潜んでいたら……。

 無数の疑念が動悸を早め、精神を摩耗する。

 そんな最中でも救いがあるとすれば、地下でありながらここは完全な闇ではないということだ。


 この世界に陽光の概念は無く、上を見上げれば第三層の地盤が覆っている。

 通常あるはずの闇を祓っているもの――それは生きとし生ける全ての生命だ。


 ――『原精』と呼ばれる生物がいる。

 人間の肉眼で辛うじて見えるかどうかというその生物は、現存するあらゆる生命と共生している微生物だ。

 地球上の酸素呼吸能力を持つミトコンドリアに近い性質の原精は、物質をエネルギーに変換する言わば生物のエンジン。

 その原精は物質を合成しエネルギーを放出する際、極微量の光を放つ。

 原精一つ一つの光はとても小さい。

 だが、各々の生物に途方もない数の原精があれば話は変わる。それはまるで地上の星空の様に闇をかき消し。動物の血流や、草葉の葉脈、木々の維管束を流れる原精の様子は、天の川に引けを取らない程に幻想的だ。


 木々も草花も色とりどりの淡い光を帯びて、セキトたちが進むべき猪道を照らしてくれている。

 幻想的で、そして無数に危険のある道。

 それは数時間の走破の末――ようやく終わりを迎えることとなる。


 森の終点、視界を覆う木々の無い平野が二人の視界に広がる。

 そして前方一キロ程の場所に、黒紫の黒曜石がびっしりと詰まれた、長大な長さの石垣の壁が見えた。

「セキト、あれって」

「ああ、あれが目的の阿剛村だ。平野は見晴らしが良くて獣に狙われやすい、最後は一気に駆け抜ける。いけるか?」

「うん」

「よし、あと少しだ行くぞ!」

 二人は同時に駆け出した。

 体力も精神も限界に近いが、ゴールが視界に入れば自然と力がみなぎってくる。

 爽やかな風が吹く平野をただひたすらに前へ前へと。


 平野を半分程走ったところで、セキトは全身が総毛立つ違和感に勘づいた。

 ――聞こえる足音が二人だけじゃない……?


 セキトは視線を後ろに向ける。

「クソッ!」

 ――居た。

 黒くて判別できないが、四足歩行の狼の様な獣が一頭、セキトたちの後ろを追いかけていた。

 速度的に確実に追いつかれる、そう判断したセキトは生きる為、すぐさま行動を起こす。

「誰かたすけてくれぇ!」

 来る保障は全くないが助けを求めるべく、喉を痛める程の最大限の声量で壁へと叫んだ。

「ヒヨリ、振り向かずに走り続けろ」

「うん!」

 ヒヨリを先に行かせ、セキトは振り返り、臨戦態勢。

 懐から山刀を抜き、威嚇する。

 だが、獣は一切臆することなく近づいてくる。

 ――残り数メートル。

 セキトは激動の瞬間の中で流れる時間がひどく遅く感じるような不思議な感覚を味わっていた。

 『どんな時にも冷静に』という父の教えが脳裏を過る。

 勝てるか? 無理。逃げれるか? 無理。できることは? 時間を稼いで助けを待つ。

 自問自答、結論は出た。

 あとは実行あるのみ。

 意識が拡張され、ゆっくりと迫る獣が、


 ――突如、原精により光を灯す血を吹きながら、地面を転がった。


「……え?」

 突然の出来事でセキトは何が起こったのかまったく理解できない。

 と、唐突にぽんぽんと撫でられる感触が頭に伝わる。

「よう坊主、よく頑張ったな」

 それは渋い、しかし優し気のある男の声だった。

 驚き顔を上げるセキト。

 そこには、侍といった風貌の男が何処か彼方を見詰め、セキトの隣に立っていた。

 その左手はわしわしとセキトの頭を撫でている。

「おまえさんが連れの娘を囮にすれば助けなかった」

 男が右手に持つ刀からは、ぽたぽたと原精の光を灯す血が滴っている。

 セキトは混乱する頭で、この異常な状況をだんだんと理解してきた。

 この侍が獣を切ったのだ――意識の拡張されたセキトの肉眼でさえ、捉える事のできない速さで。

 戦慄するなという方が無理な話。

 セキトは思う。きっと隣に立つこの男は竜とか神とかそういった類のモノと同じ場所に立てる者なのだろう――と。

 そして、男はゆっくりとセキトに目を合わせ、口を開く。


「おまえさんの勝ちだ」


 その目線には、ただの子供に向けるそれだけではない熱が篭っていた。

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