身内の恥晒し
僕、雨宮翔は庶民だ。タワマン最上階に住めば舞い上がるよりも嫌な汗を搔き、良い肉を前にすれば味よりも値段を気にする。指輪とか沢山持ちたいよりも一つ贈りたいだけ。そんな人間だ。
だから、ギラギラしたシャンデリアも、黄金色の広間も、大理石の床も、細かい装飾が施された柵も、目を回してしまうような美しさを覚えた。
「なぁにこれぇ」
「実家」
落ち着かない。城じゃんこれ。
「ここが、西園寺財閥の家……」
都内にある一際大きなな敷地、その中心にナオが住む豪邸よりもさらに大きい豪邸が建っていた。
「お、おお……」
僕が生涯かけても手が届かない風景がそこにはあった。
「ナオヤ様、雨宮様、こちらへ」
「は、はい!」
本物のメイドさんだ。普通に古風でなんか良い。
案内された部屋は高そうなソファーとテーブルがあり、既に三名の大人が座っていた。
僕達に気が付いて立ち上がる。
「初めまして。雨宮翔と言います」
「雨宮君、だね。わたしは西園寺財閥の当主、西園寺十夏だ。ささ、座りなさい」
「し、失礼します」
四十代後半の男性、西園寺の当主。物腰柔らかくとても一つの巨大な組織を担っている人物には見えない。そう見えないだけで立ち振舞いや視線、細かい所作は気品を感じる。良く見ないと分からない生まれつき備わったものではない、親の躾による賜物が。
厳格さを持った人物よりもよっぽど危険だ。こういった人には気付いた時には警戒心を解いてしまっているから。
彼の隣には四十代ほどの儚げな雰囲気の女性が座っていた。
「こちらは家内の冬美、そしてこの子が……」
女性のさらにその隣に全身包帯だらけで車椅子に座った二十代の男性。
もしかして……。
「次期当主の……元春さんですか?」
「……」
「すまない。元春は今顎の骨が……」
「あっ、申し訳ありません。無神経に……」
僕は頭を下げて謝罪するも元春さんは僅かに笑って目を瞑っていた。
「気にせずに、とのことだ」
寛容な方で良かった。
「……ナオヤ。最後に確認がある」
「はい。お父様」
僕同様かしこまるナオは真っ直ぐに父親の目を見ている。
「信用できるんだね?彼は」
「はい。それと、今外で警備をしてくれている彼のお父様も」
「……分かった」
途端に重苦しい空気が流れ出した。
「今からする話しは他言無用、誰にも話さないように」
「はい」
生唾を飲み緊張感が高まる。
「遥は血縁上はわたしの娘であり、戸籍上も養女という形で西園寺に入ってもらった、ある女性の子だ」
「……すみません。それはつまり不倫の末に出来た子供ということでしょうか?」
「……」
「……」
「君は……、直接言うのだね」
「はい。まどろっこしいのは嫌いでして」
西園寺家当主、西園寺十夏は僅かに笑みを溢していた。
「あぁ、不倫の末の子だ。ただし、不貞を働いたのはわたしではない」
「え?それは……え?」
困惑する。だって、不倫の末の子で血縁があるなら不貞以外のなんだというのだろうか?
僕が首を捻っていると奥様である冬美さんが口を開いた。
「私が、不貞を働いたのです」
ただ一言、今にも消えそうなか細い声で。
「……ん?んんん?」
「夫の子種を……彼女に仕込んだのです」
「……え?なん……へ?」
言葉の意味も起きた事実も理解できた。なのにその根底にある何故そうしたのか、それだけが理解できずにいた。
僕達男性陣は完全に黙り込んでしまった。あまりの生々しい話に。
弱々しい、儚げな雰囲気。突っつけば崩れてしまいそうな脆い心を必死に抱いて彼女は語る。あまりにも歪みきったとある恋の物語を。
「夫とは政略結婚になります。家の、親同士が決めた婚約。家の役に立つことが私の生まれた理由でした」
それは、現代にとっては時代錯誤な考え方、むしろ残っていたことに驚く。
それでも、人は生まれ落ちれば家を出るまで家庭環境家こそ世界の縮図だと誤解する。
外の世界に触れなければ、大人になってからもその価値観は変わらない。
「全てを管理されていた。友人も、人付き合いも、言葉を交わす人さえも。ゆえに、私はあの日、なんの鬱屈もない優しい笑顔に恋をした……恋を、してしまった」
その瞬間の僅かな微笑みにどうしてか、友達を、彼女を、垣間見てしまった。
「そこからの事は良く覚えてはいません。ただ足繁く通っていました。最初はほんの少し元気を貰うだけ。そう思って。ですが、次第に大きくなっていく気持ちに私……」
「……」
表情が崩れていく。それは例えるなら幸悦。
歯止めが効かなかった初めての恋。届かない輝く憧れ。箱入り娘だからこそ至ってしまった狂気。
「抑えれなくって……」
それらに僕は同情した。
手に入らないならば、傷になってしまえと、そう思ってしまったであろう彼女のその一生を。
そしていつか辿るかもしれない、僕に笑いかけてくれた楠さんの事を……。
西園寺遥は西園寺冬美が恋した女性の忘れ形見であり、血縁上現当主の西園寺十夏の子。西園寺家としてはこれらの不祥事を世に出すことは出来ず自分達の子供として育てるしかなかった。
そして西園寺遥の母親は既に亡くなっていた。頭と体が別々の場所で見つかり、断面はこの世の物とは思えない程鋭利なもので切り落とされていたらしい。
そして、彼ら彼女らは最後に頭を下げた。娘を、連れ帰って欲しいと。
恥を忍んで、無力な彼らは僕達に縋るしかなかった。一つの巨大な組織の最も責任がある人々が、だ。
断れるはずもなく。
僕は想像以上の重圧に耐えかねて父さんに相談するのだった。
「と、いうわけで」
「家庭問題に他人を巻き込むな、と言いたいが……」
「もう被害者出てるもんね」
中庭に僕と父さん、そしてナオの三人が並んで歩いていた。
僕達は溜め息を吐きながら歩いていた。
「事実を知って家出した、この先で例の組織に加入した。目的は……」
「西園寺に対する復讐……」
……。
理由は納得できる。でも、こう、何と言うか違う気がした。復讐を目的にした人の熱を僕は感じなかった。
「……とりあえずこの事は他言無用だ。スキャンダルなんてレベルじゃないからな」
「僕、口軽い方なんだけど」
「知ってる。喋るなよ」
「はい……」
基本的に異能者と対峙したとしても殺害はない。あくまでも無力化しなくてはならない。超法規的措置を行えるのは父さんが持っている殺人権。しかし行使できるのは超人のような社会に壊滅的な被害を出す異能者にのみ。
殺すことはない。問題は事件に関わったのを不問にして欲しい事。
「調査班が敵の拠点を判明させ次第、事に移ろう。その時は協力してくれ、翔」
「うん」
「……」
その瞬間、僅かに空気が揺れた気がして、同時、ナオに着信があった。
「はいもしもし」
『……』
「……どうしたの?」
柔らかい口調で優しく問いかける。電話先の人物は例の恋人だろうか。
「大丈夫?何かあったの?」
『た……』
「うん?」
『……助けて……』
「え……?」
ナオがハッとした表情をしたのと同時に父さんの檄が響いた。
「総員!戦闘態勢ィ!」
瞬間、土埃をあげながら何かが落下してきた。
僕は轟音が響くまで視線を向けていなかった。だから何が飛んできたのか分からなかった。でも、真っ赤な瞳が見えた瞬間察した。
「カイン……!」
「よぉ!雨宮翔!」
子供のような容姿になった怪物はしかし、その威圧感だけは衰えていなかった。加えて、例の三人が付いてきている。
「分かっていると思いますがあくまで足止めですよ。くれぐれも冷静さを欠かないように!」
「はいはい」
「分かってるわよ」
「は、はいッ!」
カインは流し、【蓄電】は気丈に振る舞いつつ聞き入れ、【爆弾魔】は緊張したように返事した。
……爆弾魔……白金カリナ……。
今日まで音沙汰なく潜み隠れていた超人達が今さら表に出てくるってことは……。
「金で雇われたな」
「正ッ解!」
空気が張り付く。敵が一歩でも動けば僕達は瞬時に戦闘に入る。
「か、翔!」
「なに!ナオ!」
振り返る暇もなく見向きも出来ず声だけ返した。
「深雪が!」
「誰!?」
「恋人!」
「恋ッ!?谷さん!」
「そう!」
襲撃時に僕に感謝の言葉をくれた人、その人が……
「敵に……捕まったって……」
振り向いた僕は確かに見た。今にも泣きそうな取り乱したナオの姿を。




