頭を冷やす
「いったぁ……」
カンナギに額を思いっきり叩かれ赤くなっている。
「ったく、このクソババァはともかくお前は売られた喧嘩を買うなよ」
「ずびばぜん」
で、肝心の立花博士はというと。
「……」
「なんか言えよクソババァ」
「……なん」
カンナギが右手を挙げるとビクッと体を震わせて口を次ぐんだ。
「ボケろッつってんじゃねぇんだよ馬鹿」
「……」
なんか急に大人しくなった。
「ねぇえ、あんたさん。これ追い出してくれへん?」
チラリとカンナギの方を見ると首を横に振っている。
「……おねがい」
あぁ、さっきの笑顔は無理矢理作っていたのか。多分カンナギに余裕があるって見せたくて。
「とりあえず大事にならなくて良かった。帰るぞ翔」
「えっ、あっ、はい」
「西園寺ナオヤの居場所が分かった以上お前の役目は終わりだ。後は知り合いに護衛させる」
「……ブーブー」
カンナギは立花博士に背を向けて部屋を出ようとする。
「本当、邪魔ばっかり」
「あんたのせいで計画大狂いなんだ。文句言われる筋合いはない」
強めの語気で返す。
大人の事情なんて知らないが僕が思っているより根が深い関係が二人の間にあるのだと何となく悟った。
僕がカンナギに連れて地下室を出て行くと二百人は越える黒服の人達が集まっていた。
「いやぁ、すいませんね。いきなり集まってもらっちって」
「カンナギさんの頼みなら何処へでも駆け付けますよ。で、仕事って?」
カンナギはさっきとは打って変わって砕けた口調で何となくおちゃらけて話し出した。
「西園ナオト君の護衛を頼みたい。こっちの仕事が片付くまでヨロシク」
「分かりましたが、具体的な期限とかありますか?」
「具体的には期限とかにゃーけど、そうだな……三ヶ月、それまでに片付ける」
「「「了解!」」」
……カンナギは僕が思ってたより人望も財力も知恵もある。
この場に集まった彼ら彼女らは対異能組織、しかもちらほらと父さんに並ぶ人も居る。改めてカンナギのすごさを目の当たりにすると同時に、どうしてこの人が僕を気にかけて自分の組織に誘ってくれたのかが分からなくなった。
「あっ!今度焼肉行きましょうよ!カンナギさんの奢りで!」
「ボクの奢りぃ!?まぁ、良いけど!」
ケタケタ笑いが夜空に響く。さっきまでの大騒動が無かったかのように。
「……あぁ、そうだ翔」
「うん?」
「ジュース奢ってやるから話がある。大事な話だ」
帰り道、途中公園に寄り自動販売機で飲み物を買っていた。
「はいココア。お前好きだろう」
何で皆僕の好きな飲み物知ってるんだよ。
でもありがたく僕は温かいココアを受け取った。
「……今日の事は褒められたもんじゃないが、まぁ、よく耐えたよ」
「え?」
溜め息を吐きながらカンナギはココアを飲んでいる。
「ボクが止めた。けど、時間はギリギリだった。つまり、お前が耐えていなければとっくの昔に東京は無くなってたよ」
「……すみません」
「……」
僕は、あの時衝動に飲まれていた。
立花博士が人類に対して天敵になってしまう前に、そう思った瞬間抑えが効かなくなった。
「これはボクの推察だけども、潔癖症なんじゃない?」
「……僕が?」
「うん」
カンナギはココアを飲み干すと缶をゴミ箱に捨てた。
「立花博士は人類社会に多大な貢献をもたらした偉人である一方で、善も悪も成した化物でもある」
脳裏に過る生前の立花博士、白衣を身にまとい不老の後遺症で小さい体のままそれでもなお研究を続ける彼女。
「あれは人類社会、そして文化と歴史の縮図のような人だ。発展のためならば犠牲を厭わず、前に進むためならあらゆるものを省みない。まさしく善悪を超えた人だ」
ふと感じる胸のざわめき。衝動が、また、叫び出した。
「素直に感想を言ってみな。あの精神だけが人外の……」
わかる。僕にはあの人を言い表せるものがある。
「………………気持ち悪い、ですね」
それが僕の口から出た素直な気持ちだった。
「善悪を超えたかもしれませんがその上で、醜いと思いました。おぞましい、吐き気を催す、それこそ良い功績を除けば誰もが看破できない悪行だけが残る人だから」
個人で対処してはならない類いの善人で、悪人。
でも、それはきっと……。
「でも、僕のこの心はきっと間違えている」
「……」
思考がぐるぐると同じことを繰り返す。堂々巡りだ。
「間違い……じゃないと思うけどな」
「え?」
溜め息と同時に白い息を吐きながら夜空を見つめるカンナギはどこか懐かしむように語りだす。
「むしろ正しいよ。お前は正しい。どれ程の功績を積み上げようと立花博士の罪は一つも償われていない」
それは……そうだ。
「問題は彼女の悪を法で裁くと人類社会に多大な損失を与えかねない。あの人もまた人を超えた【超人】や雷蔵のような【英雄】になっているんだよ」
個人で世界を動かしかねない人……、それはかつて戸田さんに言った個人で対処できない悪の反対側に居る存在。一人で何でも解決できる善。
もっと言うなれば個人で人類が積み上げてきた問題点をその手を汚してもなお洗い出した善悪。偽善、あるいは偽悪。
「鉄四肢の理念、立花博士は全人類の異能者化、西園寺総帥は異能の弱毒化あるいは無力化、残りの二人は全身の義体化と外付け武器による異能との拮抗。どれも成されないまま組織は解体されたけど、これらの研究にはどう足掻いても人には言えない方法が使われている」
「つまり、人体実験が?」
「……それだけで済めば良いな」
それ以上があるのか……。
「さて、話を戻すが、お前が潔癖症だと思うのは都市部への破壊衝動を持っているって聞いたから色々思案しててな」
「はぁ」
「あくまで一つの予測だ。違うと思えば眉唾物として流してくれ」
「はい……」
カンナギは僕の方を見て話し出した。どこか物悲しげに。
「人類の積み上げた文明と文化は彼女と同じように善悪を飲み込んでいる。良い面と悪い面があるって話だな」
それは、うん。わかる。
燃えた東京を昔習った。核によって滅んだ街を習った。
積み上げられた都市は人の善悪を飲んで肥大化していく。まるで一つの生き物のように。
「お前はそれが嫌なんだ」
「………………へ?」
「善悪であるならば悪があることが、美醜であるならば醜さが、許せないんだ」
即ちそれは……。
「醜悪を見過ごせない」
何かが腑に落ちた気がした。
「美しいのならば美しいまま、例えば透き通った青い水の池があったとしよう。人々はその情景を見るために足を運び、感動するだろう。だがある日金儲けのために池の入り口に料金所を設置する。それでも足を運ぶ人は居るし儲ける。それが許せないんだよ。美しいものを金儲けに使うことが」
「そ……れは」
何となく嫌だと感じた。感じてしまった。
「まぁ、言ってしまえばお金だね。悪いことにも良いことにも、醜いものにも美しいものにも、全く同じ価値で存在してしまう。それこそが善悪と美醜を超えた物だ」
「……」
「……大丈夫か?」
「大丈夫です」
何となく理解した。僕が嫌ったもの、その条件が。
「欲、ですね。僕が嫌いなものは」
「そのとおり」
それが都市へ対する嫌悪感に結び付く。都市とは、文明とは、人が積み上げた欲望の塊だから。
「無意識に良い欲望と悪い欲望とを分けて考えていて、その基準が美醜だった。外見じゃなく内面の……」
「それは普通の人達も同じでしょ。やっちゃいけないこととやって良いことの線引きをさ」
僕は見た。立花博士の醜悪さを。そして、その功績も今日この日まで目の当たりにした。
人格チップを始めとする脳内インプラントチップ。父さんを始めとする義手義足の制御、強化外骨格による機体操作、障碍をこの世からほぼ全て無かったことにしたその功績は人類が次のステージに歩むのに必要な特異点だ。
「昔、道徳の授業で習いました。最初の移植手術には患者の同意がなかった可能性があり、それは人体実験と非難されてもおかしくはない。けど、最初に移植手術を行った医者が居なければ現代医術で移植という手段は使えなかったかもしれないって」
「そうだね」
「最初の犠牲があったから、今救われる人が居る。僕はそれを分けて考えられない……」
「……そうだよなぁ、割り切れる人間なんて早々居ないよなぁ」
これから多くの人が救われるとしても、手を伸ばした最初の犠牲者を僕は見捨てられるだろうか……。
雫を僕は助けた。同じように最初の一人を助けてしまう。
「かつて戦争があった。多くの兵器が生まれ、多くの命を奪った。でも、兵器の技術は後に家電やインターネットっていう形で人類の役に立った。命を奪う兵器が人類の生活を豊かにした」
「……」
「人類社会とは人が思っているよりも腹黒く醜悪だ。だからこそ、お前が行ったクリスマスの逃走劇は栄える。汚濁にまみれた世界の中であそこまで美しいと思える物語は早々無い。誇って良いよお前、誰よりも綺麗に輝いてたから」
「……だとしても……」
ざわつく胸を落ち着かせるためにココアに口を付ける。
甘くて、苦い。これぐらいがちょうど良い。
「前、折り合いをつけないとって言ってたよな」
「はい」
「なら、アドバイスだ」
白い息が流れる。寒い夜空に結露を起こして雲のように揺蕩う。
「醜さを愛しなさい。誰も、好んで醜悪になってる訳じゃないから。難しいかもだけどね」
明るい街灯の下、灯りに照らされた彼は優しく笑いながらそう告げた。
「西園寺ナオヤの事とかは後日話す。今日はもう疲れたろ。戦闘にネジ飛んだ狂人に相対して。早めに帰る約束してたんじゃないか?」
「……あ、あぁ!」
雫にできるだけ早めに帰るって言ってたんだった!
僕はココアの甘味を堪能すること無く全部飲み干し缶を捨てた。
「じょあ、また今度」
「うん!また今度!」
僕は翼を生やして空を駆けようとする。
「あっ!そうだった!」
カンナギが大声で呼び止める。
まだ何か言い残したことがあるのか、笑顔を浮かべて手の平でメガホンを作って伝えてくれた。
「好きな子が居るなら早めに告っとけよ!あんな良い子早々居ないからな!」
「は、はぁ!?」
「じゃあな!体暖めて寝ろよ!」
瞬間、彼の姿が消えた。
「……調子狂うなぁ」
カンナギの言葉を反芻しながら僕は空の帰路を辿って自宅へと向かうのだった。




