寒空を見上げる
僕は一旦体育館に戻った。
「お疲れ様です」
警察の人が出入口を警備している。なにかが起きないとは限らない、気を抜けない状況が続いているんだと思う。
僕は会釈をして扉を潜った。
体育館には生徒と教師の全員が避難している。
啜り泣く声が聞こえる。励ます声が聞こえる。怯える声が聞こえる。共感する声が聞こえる。弱々しい声が聞こえる。それでも強くあろうとする声が聞こえる。
怪我人は、掠り傷とか転けたとかはあったけど撃たれた人は居ない。それでも恐怖は人の心に癒えない傷を深々と付けていった。
これが恐怖の真骨頂。例え死者が出なくてもその光景は人々にトラウマを植え付ける。まともな生活が出来なくなる。
「……」
人を助けることは出来ても救うことは出来ない。それが僕の限界だ……。
静かに、誰の恐怖も刺激しないように人目を避けて一人で居られる場所に移動した。
一人になって父さんの言葉を反芻する。
僅かな可能性を切り捨てるな。
それは異能だけじゃない。他の可能性、なぜ生徒も教師も殺そうとしたのか、どうして西園寺ナオヤがこの学校にいると分かったのか、そもそも、何でカンナギは彼が居たら連絡しろと言ったのか……。その他諸々の可能性も切り捨てちゃあいけない。
「……」
今判明している情報を整理する。
生徒と教師を殺そうとした理由は対象になっているかもしれないから。何の対象だ?そもそもどんな対象になっていれば殺害対象になる?
一番は西園寺ナオヤが異能者であり、他者に何かしらする異能。例えば、対象同士を入れ替える瞬間移動【交換】とかを持っていて逃げられるから。とか?
いや、なら、こんな雑な方法は取らない。もっと慎重にするはず。僕ならする。
例えば、もっとこう、限定的な……逃走方法を持っているとか?周りに生きている人物がいれば確実に逃げれる手段……。
「……」
「……あの」
「ッ!はい!」
僕は声をかけられてふと現実に引き戻される。
いつの間にか目の前に黒髪のショートカットの女子が立っていた。
「えっと、隣のクラスの……」
「谷と言います。あの、先程は助けていただきありがとうございます」
「あっ、えっと……いえ、これぐらいは。怪我はなかったですか?」
「はい。膝を擦りむいたぐらいでして」
視線を落として彼女の足を見ると絆創膏が貼られていた。
「転けた時に?」
「はい」
「大丈夫?」
「大丈夫です」
ついさっきの恐怖に体は震えながらも気丈に振る舞う。
「本当にありがとうございます」
僅かに会釈して笑顔を浮かべている。
僕が助けた人の、感謝の言葉を素直に受け取る。
「……無事で良かったです」
貰ったその言葉はきっと、これから先の未来で僕が人を助ける為の消えない想いになってくれると信じて。
「よーう!さっきは助けてくれてありがとなぁ!」
「うわー!誰だお前ェ!」
「同級生の顔ぐらい覚えといてくれよぉ!」
セットしてた髪の毛グシャグシャで誰か分かんない。
「私からもありがとう」
「悪い奴じゃないんだな」
「飛んでたもんね」
いつの間にか僕の周りには人集りが出来ていた。
「あっ、えっと……」
僕のキャパシティだと目が回りそうだ。
ふと、赤い髪の毛が見えた。
「あっ!楠さん!」
……なんか、ちょっと不機嫌そうな彼女が見えた。
「なぁにぃ?」
「怪我無い?」
「無いよぅ」
向かい合った僕達はしかし、視線を右下に逸らして目を合わせてはくれなかった。
「……なんか怒ってる?」
「怒ってない。怒ってないけどぉ」
何か言いたそうにして、でも口をつぐんだ。
「……くすの……」
『あー、みんな注目してくれ』
拡声器を使った生徒指導の先生が壇上に上がり、響く声に会話を遮られた。
『まずは生徒に大きな怪我がなくて良かった。だが、もし体の不調が有る者は今のうちに名乗り出てくれ。そして、今後だが一時的に自宅待機、授業はリモートで行うことにした。また、警察の皆さんが今回の事件を解決するまでの間対異能組織の方々が警察と連携してパトロールと警備を実行してくださるそうだ。過去に例がない事件だが、本当に一人も欠けずにここに居てくれることを嬉しく思う。残りの連絡事項は追って行う。帰りは保護者の車かパトカーだそうだ。真っ直ぐ帰れよ』
……僕は一人かな。翔べるし。
「お前家に連絡した?」
「したした。一緒に帰るか?」
「俺パトカーかも。初めて乗るなぁ」
「俺三回目だわ」
おい。
「楠さんは帰る方法ありますか?」
「……前みたいに送ってくれないのぉ?」
「今回は、流石に事情が事情ですから」
彼女の視線が沈む。不機嫌、じゃない。落ち込んでいる。そう言えば何処かに遊びに行こうと誘おうとしてくれてたような……。急にこんなことになれば落ち込むのは当たり前か。
「……また、遊びに行きましょう」
「……え?」
「なるべく早く、解決するので」
曖昧に笑ってしまった。でも、うん。
楠さんは僕に誰かと一緒にいる楽しさを思い出させてくれた大事な友人だから。彼女がこの気持ちを思い出させてくれなかったら雫を好きになることもなかったから。
大事な人なのです。僕にとって。だから、笑ってほしい。
「無茶はしないから」
「……無茶しそう」
わぁ、僕の性格よく知ってるぅ。
「……そうだ、西園さんって誰?」
「西園……ってぇ、ほら昨日ぶつかった……」
昨日?ぶつかった?
そう言われて僕はハッとする。ピンク髪の小柄な男の子。
「それとほら、谷って言ってたあの子」
そう言われてさっき感謝してくれた内気な女の子を思い出す。
「はい」
「あれの彼氏」
「……えー」
恋人いるのか。羨ましくなんか無いけどチクショウめ。
「聞いたら?」
「そうします」
……空が青い。
こうして居ると世界は広くて、自分の悩みはちっぽけに感じて、同時に世界が憎くてたまらなくなる。
だってそれは人の悩みなんてどうでも良いと言われているようだから。でも、僕にとっては今この瞬間の人生の大部分を占める大事なこと。
空が青い。澄み渡ったこの空のように自分の心も何もなければ苦しまずにすんだのに。
「……何黄昏てるの?」
ゾクリと、心と脳に深々と刺さる声。言葉が発声されたのは自分にとって警戒すべき距離の内側。
「こんなに寒いのに屋上で一人とか……」
黒い髪に金と青のメッシュ、そして、空より鮮やかな青い瞳。この人の事を自分は一年前に知っている。
「雨宮翔……」
「……こんにちは西園ナオトさん」
前はメッシュとか入れてないし、なんなら髪の毛は目が隠れるぐらい長かったけど聞いた通りの人だ。
一度切り替えると一切の隙がなくなる。この人の目を盗んで逃げるとか出来そうにない。
「何か、用……ですか?」
「……うん。単刀直入に聞きます」
笑うことはなく、ただそこに佇む。
「貴方が、西園寺ナオヤさん、ですか?」
確信を持った瞳が西園寺家の末子である自分を見つめ続けていた。




