運命邂逅1
昔、蝉の音が聞こえる暑苦しい季節に迷子になったことがある。
泣く事も喚く事も無くまだ四歳だった僕は森の中で三日ほど過ごした。
父さんに見つけてもらえた時、僕は泣きながら抱きしめる父さんを見て首を傾げた。
どうして泣くの?どこか痛いの?
父さんは何処も痛くないと、僕を見つけれて嬉しかったと、涙でくしゃくしゃになった顔を無理矢理笑わせて言った。
でもその後怒られた。どうして一人で森に入ったのか、って。
僕は再び首を傾げる。
一人じゃないよ。女の子も一緒だったよ。
その言葉に父さんは警察と捜索隊を編成して捜索するべきといった。けど、おじいちゃんの住む村の人達は全員が首を横に振った。
なんでも、僕が入った山には神様が住んでいるらしい。そしてその神様は僕を連れ去ろうとしていたらしい。そんな非科学的な事を父さんは信じなかったけど結局だれも捜索なんてしなかった。
だって、その神様は僕たちの目の前に現れたのだから。
僕と同じほどの女の子、金の髪に青い瞳を持ち白い和服を着たその子は他の誰でもない、僕と父さんの前に現れた。
神々しいというのだろうか、仰々しいというのだろうか、明らかに人とは違う存在感だった。父さんは異能者を捕まえる為の装備を手に持ってまるで威嚇でもするかのように目を見開いてその子を見ていたけれど僕は何の警戒もなく近づいて行った。
その女の子は謝罪をしに来たという。森の中へ誘ってしまった事、自分の家へ連れ帰ろうとした事を。
深々と頭を下げ僕達の前から消えた。
神様とか、非科学的存在とか、当時の僕にはまるで分らなかったけど今思えば田舎の隠れ住む異能者の一人だったのかもしれない。
今でも時折夢に見るし、思い出す。顔も名前も忘れてしまったけれどあの子が持っていたクマ避けの鈴の音を今も思い出す。
帰りたいと願った僕の為に森の入り口まで付いて来てくれたことも。
そしてその一連の騒動が一体どんな事態を引き起こすのか、僕は未だ知らない。
楠さんを送った帰り道、一緒にバスを降りて家まで見送り、徒歩四十分の道のりを静かに歩む。
微かに積もった雪を踏み固めながら一歩、また一歩と前に進む。行く時に見た発展した街がもう一度瞳に映る。
「はぁ……」
白い息を吐く。白い息は雪に混ざって消えていく。
「……ほんと、気持ち悪い」
眼下に映る街は夜ですら昼間並みに明るく、雪で明かりは散乱する。昼間とは打って変わって違う顔を見せる。というよりも夜の顔こそこの都市の本性だ。
東京という、ただ名残だけの都市は。
発展に発展を遂げこの都市は世界一位の人口密集都市となった今やこの都市に住む人口は五千万を超え、居住区となる高層マンションと職場となる高層ビルは乱立、こんな郊外の人の少ない居住地にからですらマンションとビルが見える始末だ。
国の土台がひび割れ始める音が聞こえる。ある著名人はそう言っていたかな。
高層建物が乱立する様は塔の密集地、人が密集しそぞろ歩く様は亡者の群れ。終いに、日本首都東京はいつしかこう揶揄されるようになった。
【塔京】と。
ちなみに僕が住んでいる所は二十三区から離れた郊外の居住地区だ。その郊外からでもその異様さがはっきりと見える。
「……」
なんであれを、僕は気持ち悪いと思うんだろう。
「…………ハァ……」
吐く息が白い。まるで霞のように、空気中の埃などに付着した水滴は凍って消える。儚い、夢のように。
その時、何となく理解した。自分が一体何を気味悪がっているのか。
現実感の無さ、だ。
僕はこう見えても小学生の途中までは田舎育ちだ。だからこそ蟻の群れの様な人々も、自然の一切を残さない街並みも、僕の知る人の営みからかけ離れているように見える。
僕にとって今の世界は夢の世界なんだ。
「こんな事にずっと悩んでたのか」
バカバカしい、と僕は僕自身を卑下した。こんな事に数年も費やしたのか。分かってしまえばどうという事は無い不快感なんだから。
と、ケーキの箱の上に雪がほんの少し積もっている事に気付いた。今の紙製品も防水加工がすごい事になってるからなぁ。濡れないし、変形しない。
この箱と同じ、僕の悩みは気にしなくても良い事だったんだ。
急ぎ早に雪の積もった道を行く。雪はさらに酷くなりそうだし、着いた頃にはさらに積もってそう。
今日はクリスマスイブ、共に過ごす人はいないけれども言い訳もなくケーキを食べられる数少ない日。楽しみにせず何とするのか。
「────ぁ──」
ふと、何かが聞こえた気がした。
静まり返った雪降る夜の街、僅かなうめき声に足を止めた。
僕は小脇に見える路地裏へ視線を向ける。細く、人一人通る事がようやく出来そうな明かりも無い迷路の入り口のような道。
なぜそこに視線を向けたのかと言われれば分からないけど、そこから聞こえた気がした。
恐る恐る路地裏を覗き込む。誰も居ない。
ホッと胸を撫でおろす。きっと僕が聞いたうめき声は空耳だったのだと納得した。
でも気になる。もし空耳じゃなかったら?もし誰かが事件に巻き込まれていたら?
余計な事かもしれない。でも、本当だったら?
「……」
父さんに電話する。それが、この場における最適解だと僕はそう判断した。
視界に映る拡張現実の光とその文字。指ではじかずとも操作でき、連絡先から父さんの端末へと連絡を入れる。昔ながらのスマホを持っている父さんは、もしかしたら出ないかもしれない。まだ後始末で忙しいかもしれないし。
案の定父さんは出なかった。
……どうしよう。ワイヤーも取り上げられている。
そもそも父さんは僕に危険な目にあって欲しくないと思っている。きっと、危険な事に足を突っ込むような真似をする事も。
なら、僕は僕の不安を解消したい、という感情も我慢すべき……なんだと思う。
だから僕はその場を去ろうとした。
そしたら、何かの音が聞こえた。
何処かで聞いたことのある音、遠い記憶を呼び覚ますような、そんな心地の良い音。
遠く、遠く、うめくような鈴の音が聞こえた。
ノイズが走る頭の中の光景にいつか見た少女の姿を思い出した。
その時にはすでに、僕は路地裏に向かって歩み出した。
歩を進めるごとに僕は冷汗をかく。
元々迷路のような小道ではあったのだが、その道は既に異常に浸食されていた。
一言でいえば迷宮だ。いつの間にか元来た道に戻っている。永遠と同じ道をぐるぐるしているような。
超大規模な幻覚か認識の錯誤、それは現状存在する異能者達の中には居ない。
どうやって進めばいいのかわからない。左右に分かれた道のどちらを行っても元の場所に戻る。そもそも本当に同じ道なのかすら分からなくなってきた。
「……どうなってんの」
後ろを振り返るとそこには来た道が無くなっていた。
まるで玩ばれているよう。人とは違う、上位の存在に。
そしてまた最初の三叉路に戻ってきた。
「……」
唾を飲み込み再度覚悟を決める。次は右の道に、その先の分かれ道を……そして三つ目の右はまだ行った事が無いはず。
重い足を、再び動かして歩む。
そして、何度目かの振出へと。
何度行っても最初の三叉路へ戻って来てしまう。
「なんでぇ……」
でも、今回だけはなんかおかしかった。いや、最初からおかしかった事に気付いた。
明かりが一つもない。それは街灯が無いとかそんな事ではなく道を挟んだ建物からも漏れる光が無い、という事である。それはどんな事よりも異常だ。だってここ一応は住宅街だし、まだ夜の七時か八時だ。寝ている人も居るだろうけどほとんどの人はまだ起きているはず。
つまり、人の気配が一切無いという事だ。
大規模な幻覚か認識の錯誤と思っていたけれどそれは違うかもしれない。
来た道が無い、のではなく、来た道を隠しているのだとしたら?
僕が認識している光景がおかしいのではなく、僕を取り巻く世界がおかしいのだとすれば?
触れる、目の前の壁を。幻によって見える偽物と直感が叫んで。
僕は、すり抜けた。
僕は初めて迷宮のような路地裏を突破する。
「……幻影」
アメリカで確認された幻を構築する異能、物理的な干渉は出来ないが自分の姿を消したり周りの風景を別物に変えたりと視覚的に多彩な異能。アメリカのSNSでパレード用とかプロジェクションマッピングの職に就けとか言われているが、要はどこでも立体映像を作る事が出来る異能であり、この異能は、世界に一人しかまだ居ない。
つまり、路地裏を魔改造した誰かは全く同じ異能を持つ誰かかもしくは本人という事になる。
だけども僕の目の前に居る、力なく倒れている誰かは意識を失っているようだった。異能の任意発動型は意識を失った時点で解除される。つまり、この幻は目の前の少女の物じゃない。
少女、そうだ、僕と同じぐらいの少女が倒れている。
金髪の長い髪を持ち、白無垢のような服に真っ赤な血と泥が付いている。背中側に浅い傷が多くてまるで何かから逃げる時に付いたいわゆる逃げ傷、というものが付いていた。
暖を逃がさまいと足を抱えた態勢を取っていたようだが今夜は雪が降る。少女が気を失っている場所にも雪は積もるだろう。
「……」
仕方がないじゃないか、こんなの。見つけてしまったら。
助ける他ない。
だって僕は、血だらけで倒れている人を見捨てられるほど強くは無いのだから。